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子供をひとりの人格者として扱う。子育てNo66

みなさん、おはようございます。

秋桜久です。しおひさと読んでください。よろしくお願いします。

私は、娘が産まれたとき、コピーでも、何でもない、一人の人間が産まれたんだと娘が産まれたとき、嬉しかった記憶があります。だから、小さいときから、私とは、性格も考え方も違うと思ってました。だから、いつも、娘にとってどうなのか?どう考えるのか?いつも、娘に聞きながら動いていたつもりです。でも、最初のうち、娘が風邪を引いたら死んでしまうのではないか?と言う気持ちからなかなか娘の看病をまともにできませんでした。でも、少しづつ娘と接していくうちにその不安は、薄れてきました。
だんだん娘がしたいこと、思ったことを一人の人として、接したつもりです。長い間、私の両親が同居していたので、両親は、自分の価値観を押し付けがちでしたので
両親が居なくなったら、考え方を修正するのに大変でした。そのときは、焦って、自分の価値観を押し付けがちでしたが。そうなると
旦那がほっとけ!と注意されるのです。自分で頭打ったら分かるやろ!って、そうやって、足し算.引き算しながら、育ててきたつもりです。ある程度、物の良し悪しが分かってきた頃、私は、自分の部屋にこもることにしました。娘には、娘の時間があるんだと思うし、
娘をみたら、干渉したくなるので、自分の部屋で自分のことをすることにしました。その事で、娘にどんな気持ちで部屋に一人にいるか、怒ったことがあります。今は、娘も成人して、対等に話せるようになりました。私の部屋にも入ってくるようになってきました。頑張ったかいがありました。
これは、私の持論ですので、参考にしていただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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