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アライメントの自分史 足首をまわすと人生もまわる

それぞれの人生。
レールがあるかのようでレールはない。
誰もが自分史。

はじまりはまぐれ

四半世紀前、突然の出会いでマッサージを学ぶことになった。
学んで間も無く、暗黙のテストが行われた。

実業団のトップクラスの陸上選手へのマッサージ。
そこでのテストは足首のアライメント調整。
足首は柔らかすぎても硬すぎてもいけない。
マッサージの結果、硬すぎる人には柔らかく、柔らかすぎる人には硬く。
そんな手技、学んでいない。。。
数値でその場で結果は現れる。

結果、びっくりだけど、理想の結果を出せた。

まぐれ。偶然の幸運。

としか思えないが、そこから選手たちへのマッサージに参加させてもらえた。

それから数年、また同じ足首で課題が出された。学んですぐに起きた偶然の隠された答えを見せる時が来た。今回は数値ではなく、私の在り方を試された。
結果、出せなかった。

足首ではじまったことが数年で足首で終わった。

足首の重要性

マッサージはそこで終えたが、偶然にもスポーツに励む子供たちに足のマッサージを毎日行う環境となった。

そのマッサージも今となっては何だったのだろう。
子供たちの健康のためはもちろんだけど、

スポーツで結果を出すため?
勝つため。格闘のため。張り合うため?
勝ちたかったのは私だったのか?!・・

と、最近は思っていたが、四半世紀経って、最近行ったワークと目にした本の中に答えを見つけてしまったように思う。

今年に入ってクンルンというタオの世界観に出会った。その方々は、詳細とまではわからないけれど足首の重要性を語られる。足首を整えれば、感情と思考も整い、それは人間関係がスムーズになると本にはある。

確かに、足首で私たちはこの地上に立ち歩いている。
トップクラスの選手が、足首のアライメントを調整すれば記録を更新できるのは当然のこと。

それは記録に限らず、人生の舞台に一人立ち歩き出せることでもあるのだろう。

子供たちを見れば、迷いながらも正解不正解を抜きに、体と心を意識し、確実に歩き出している。

歩き出すことができれば、自分史ができる。私の四半世紀かけた歴史のように。この自分史は人生の真実となるのだろう。

目の前の予見

この期間にも不思議なことはたくさんある。あなたは本をたくさん読むことで見つけるでしょう!という変な道標も途中あった。当初はその言葉を信じ闇雲に本を読んでいたこともあったけれど、今では読みたいから読んでいたが結果、本から四半世紀前の答えを見つけた。

これまでは1点集中のように生きてきたけれど、ちょっと遠くから眺めてみれば、全てが点と点がつながり目指す道を歩んでいる。

一点集中ではあったけれど、「目の前に見ていたもの」を振り返れば、「予見」を見ていたのだと思う。
目の前を見るとは、先に起こることを見ている。

歩くというのも、一歩右足を出せば、ごく自然に止まらず左足が次に出る。今の一歩は次の一歩が起きている。

アライメントのバランス

そこで出来上がる自分史での真実。
それは人によっては違うのだろう。
いや、それは違うという意見もあるだろう。
が、「張り合う」ことで空間が生まれる。

「張り合う」「格闘」のためのマッサージではあった。そこへの協力に後悔もあったけれど、張り合う経験でこそ今がある。

スポーツの結果は合理的ではない。努力が確実な結果とならない。こうすればこうなるが当てはまらない。大谷選手のような結果を出す!がどんなに稀なことかはちょっと考えればわかる。が、そこを目指そうとさえするのも矛盾。

その中での自らの格闘、張り合いがあったからこそ、今の子供たちの頼もしい挑戦ができているようにも思う。

私の人生に突如現れた足首のアライメント調整だったけれど、人生のアライメントにつながっていたようだ。

単に目に見える成果や成就にとどまらず、内面の調和や満足感にも深く関わる人生における「アライメント」。

そこには偏りではなく、バランスの大切さを教えてくれていた。

足首を回すこと。
そんな些細なことが、人間関係の秘技に関わってるとは面白い。



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