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フクシマ・セルフスタディーツアー~事故後初めてフクシマを訪れた。~③浪江駅周辺を歩いた。(前編:請戸小学校及び大平山霊園)

0. 浪江に向かう。

 双葉駅周辺を歩いた日から一夜明けた10月30日の朝。前日の夜に「30日の午前中は浪江町に行って、午後は富岡町、大野駅周辺を歩いてみよう。」と思っていた私は、浪江駅に向かおうと思っていた。いわき駅に着いた時、私は個人線量計を首元に付けた。首元に付ける前、個人線量計は0.08μSv/hの数値を示していた。

首元に付ける前の個人線量計の数値

 原ノ町行きの常磐線が9時22分にいわき駅に着き、私は浪江駅へと向かった。

1. 浪江駅に到着

 浪江駅に着くと、個人線量計は0.17μSv/hの数値を示していた。

浪江駅に着いた時の個人線量計の数値

浪江駅の改札を出て、私は駅の掲示板や標識を見た。とりあえず震災遺構である請戸小学校に行こうと思い、そのためのバスやタクシーがあるかどうかが知りたかったからだ。
 「バスやタクシーが無ければ請戸小学校まで歩いていこう。」と思いながらバスかタクシーを探していると、私は1人の中高年くらいの男性に「どうしたの?」と声をかけられた。私が「バスかタクシーを探してるんです。」と答えたら、その男性は「あ、そう。」と言った。その後、その男性は私に「この辺に知り合いとかがいるの?」と訊いた。私は「いいえ」と答えた。すると、男性は「女性が1人で‥、知り合いもいないのに、浪江に‥?」と不思議そうに呟いた。私は「あれ?烏賀陽さんや烏賀陽さんの記事を読んでフクシマに行く人達みたいに、フクシマに行く人ってそんなにいないのかなあ?」と思いつつ、その男性に「でも私、小さい頃に浪江に遊びに行ったりしたのですよ。親戚がいたので。」と言った。男性は、「あ、そうなの。」と答えた後、私に「どこに行きたいの?」と訊いた。私は、自分のスマートフォンに表示していた請戸小学校へのアクセスを男性に見せた。男性は「ああ、こっちの方面ね。」と言い、私を男性の自動車がある場所へ案内した。私は、「え?いいのですか?」と男性に言いつつ、「ありがとうございます。」と言って自動車の助手席に乗った。
※この男性のことをこれ以降「Nさん(仮名)」と表記する。(後述するが、この男性と別れる際に初めて名刺のような紙を渡された。そこに男性の名前と住所が書かれていて、その時初めて私は男性の名前を知った。男性のプライバシーを保護するために、私はこれ以降この男性を「Nさん」と仮名して表記する。)

2. 請戸小学校までの道のり

 大変有難いことに、私はNさんの御厚意で自動車で請戸小学校まで連れていってもらえることになった。Nさんは、自動車の中で私に「雑誌の取材か何か?」と訊いた。私は「何か立派な人に見られてる?。」と少しプレッシャーを覚えつつ、「いえ、福島第一原発の被災地の本や記事を読んで一度行ってみようと思ったのです。例えばこんな本を読んだのです。」と言った。信号が赤になって自動車が停まっているタイミングで、私は「例えばこんな本を読んだのですよ。」と言って、鞄の中に入っていた「福島第一原発 10年の現実」(烏賀陽弘道氏著 悠人書院さん発行)をNさんに見せた。Nさんは、「あ、そうなの。」と答えた。その後、Nさんは「それで、行ったことをネットに載せるの?」と私に訊いた。私は、「うーん、遊び感覚でここに来たと思われるのも嫌だなあ。」と思いながら、「はい。SNSに載せて、記事にして書こうと思うのです。」と答えた。Nさんは、「そう。」と答えた。
 その後、私はNさんについて訊いた。Nさんは浪江町の人ではないけれどNさんの娘さん夫婦が浪江町に住んでいたこと等を私に話した。Nさんの話を聞いたり、請戸小学校へ向かうまでの道のりを窓から眺めたりしながら、私は「浪江駅から請戸小学校まで結構距離があるな。これは歩くのは無理だ。車で行った方が良い。」と思った。そう思っているうちに請戸小学校に着いた。

3. 請戸小学校に到着

 Nさんが請戸小学校の駐車場に自動車を停めた後、私達は請戸小学校の入口へ向かった。入口付近には請戸小学校の表示があった。

請戸小学校の表示

 Nさんは「自分は中に入らずに入口近くで待っている。」と私に言った。しかし、私は請戸小学校まで送って下さったNさんにどうしてもお礼をしたいと思ったので、Nさんに「入場料は私が払いますので、一緒に中へ入りませんか?」と提案した。Nさんは「いいよ。」と言って、渡しと請戸小学校の中へ入った。

4.請戸小学校の中

 「遺構」とされているためか、通路や階段が整備されていた。しかし、津波の爪痕と思わせる展示が次々と出てきて心が軋んだ。





案内に沿って一旦外に出ると、Nさんが「あの向こうにある山が大平山だね。」と言った。

請戸小学校の外から。向こうに大平山が見える。

案内に沿って進むと、展示の内容が大平山への避難になった。「とにかく高いところへ!大平山へ!」という絵が、私の目を引いた。


私の目を引いた展示







歩みを更に進めると、津波の映像や当時在校生だった人達の文集が展示されていた。教室の中に掛けられていた時計は、針が15時38分に向かいそうな位置で止まっていた。

案内に沿って更に歩みを進めた。

この建造物の時計も、教室内の掛け時計と同様に、針が15時38分辺りで止まっていた。

5. 大平山霊園へ

 請戸小学校の展示を一通り見終わった後、私とNさんは請戸小学校を出て駐車場に戻った。浪江駅方面に戻るためだ。自動車に乗っている間、Nさんが大平山霊園の案内を見つけた。Nさんが、私に「行ってみる?」と訊いたので、私は「はい。」と答えた。
 自動車が大平山霊園の敷地内に入り、駐車場に停まった。これも大変有難いことに、Nさんは「見に行く?俺は車の中にいるよ。」と私に言った。私はNさんの御厚意に甘え、霊園内を歩いた。
 霊園内は私が普段住んでいるところで見るようなお墓があった。しかし、目を別の方へ向けると、浪江町東日本大震災慰霊碑が認められた。


浪江町東日本大震災慰霊碑

慰霊碑を認めた時、私は「浪江町の慰霊碑の写真をインターネットで見かけたことがあったけれど、これのことだったんだな。」と驚きつつ、
両手を合わせた。

6. 後編へ

 その後、私は駐車場に戻り、Nさんが乗っている自動車に乗った。Nさんは、私に「どこで車を降りる?」と訊いた。私は、昼食をとりたい、浪江駅周辺がどうなっているかを知りたかいと思ったので、浪江町役場で降ろしてもらうようにNさんに頼んだ。Nさんは了解して下さり、自動車のエンジンをかけた。
 請戸小学校から浪江駅までの距離の遠さを感じつつ、自動車が浪江役場の前に停まった。自動車を降りる際、私はNさんに更に謝礼をしたいと思い、財布を出した。しかし、Nさんは「いいよ。これ俺の連絡先だからまた何かあったら連絡して。」とNさんの名前と住所が書かれた名刺のような紙を私にくれた。私は「本当にありがとうございます。」とNさんに何度もお礼を言い、自動車を出た。私は、昼食を食べた後、浪江町役場を見たり、駅周辺の町の様子を見ようと思った。

7. 御礼 

 浪江駅から請戸小学校、請戸小学校から大平山霊園及び浪江町役場へのアクセスは、Nさんの御厚意が無ければ出来ないことだった。
 この場を借りて、改めてNさんに御礼を申し上げたいと思う。

  「本当にありがとうございました。」







 


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