優しくしたくて

一ヶ月、いや、もっと前から私の心は同じ温度でいる。同じ感情を繰り返している。
どうせこうなるだろうと思っていた3月。遅すぎる選択は何も生まないと感じた4月。一瞬の淡い期待を抱いた5月。遅れてやってきた五月病と戦う6月。やっぱりこうなった、期待しなくてよかったと思った7月。どこにも行けないのは苦痛じゃない。誰かと会えないのも苦痛じゃない。いつまで経っても、生きづらさが拭えなくて優しくなれないことが苦痛だった。



世の中に普通の幸せがある限り、考えてしまう。普通に結婚して、普通の家庭を持って、普通の子供を産んで、普通に老ていくこと。それができない私は不幸で、いつまでも不幸で、この世界では幸せになれないこと。親に恩を返すことなんてできないということ。ずっと、考えてしまう。この世がこの世である限り。私の中で、この世界の中で、普通が普通である限り。
普通という定義は人それぞれだ。けれど多くの人間が頭の中に持っている普通の定義は、似たようなものだろう。父と母がいて、お金に不自由でない。学校もまあまあで友達もある程度いる。気に入らない部分はあるが容姿に困ったことは特にない。それが普通。私にはそれがなかった。普通じゃなかったから、普通の幸せが欲しかった。今でも、欲しかった。


欲しかったものは欲しかったときに手に入らなければ意味がない。一度感じた寂しさは一生消えない。寂しくなかった頃の形には戻らない。あの時に空いた穴は、決して埋まらない。大丈夫になんてならない。それでも私は、生きていく。苦しいまま、苦しい部分は決して救われないまま、それを隠すように、忘れるように、忘れられないまま、幸せを探しながら、生きていくしかない。私にも、愛がわかると、愛することができると、人に優しくできると。苦しいけれど、それでも幸せになれると。それを、証明したい。大丈夫になんてならなくていい。苦しいままでいい。痛みは覚えたままでいい。忘れられないなら忘れられないままでいい。それでも私は、人に優しくしたい。

20/7/31

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