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231011_痛い目にあうことで初めて考え方を変える

人間というのは思考や感情が意識に与える影響、自己の現実世界に与える影響を把握するまでは思考や感情などにあまり意識を向けない傾向がありまして、その状態のときは自分自身があるとき痛い目にあうような出来事を作りだし、その出来事をキッカケに内省に向かうという傾向が作ります。

痛い目にあう出来事というのは人によっては様々でありますが、人間関係の破綻、病氣の宣告、交通事故、深刻な怪我などが挙げられ、このような出来事が起きて初めて人はいわゆる内面という世界に意識を向け始め、既に持っているもので不要であるものを手放すということをし始めます。その不要であるものは概ね、囚われているものや葛藤であったりしますがその解放とともに物理的な身辺整理も連動して起こったりします。

痛い目にあって初めて変わることができるという状態は裏を返すと痛い目見ないと変われないということであり、
普通に考えたら【痛い目見る前に変わればいいんでないの?】と思えます。

頑固とよく言われる人は痛い目見ないと変われないという傾向にありますが、痛い目見ても変われないことも頑固な人にはよくあります。

先日も頑固と評価される人が痛い目にあって、その人の話を聞いていたのですが、話の内容は全部【リアクション】であって、【仕事で〇〇さんに▲▲の仕打ちを受けて精神的に参っている】という内容のものでそれは結局、そういうリアクションを定期的に行うような自分がいて、そのようなリアクションを自分が行うように他人が意図的に無意識的に配置されているということになります。
ある一定のリアクションを行うように自分が設定しているからそういう他人が周囲に配置されるということなんですが、ここで頑固な人は常に原因は酷い仕打ちを行った〇〇さんにあるという考えに支配されていてずっと自分を被害者として認識するというリアクションを行い続けます。

そして話を聞いていると

【お金を得るのには苦労しなければならない】
【お金を得るには嫌なこともしなければならない】
【苦労しないと成長しない】
【楽してはいけない】

とありきたりな考えに支配されていて、
『それを当然のように思っているから、その思っていることが当たり前のように実現しているだけじゃないですか~』
と根ほり聞いてみるとギョッとした顔をするんですね。
結局、自分の思っている通りに出来事が進んでいるだけで。

【お金を得るのには苦労しなければならない】
【お金を得るには嫌なこともしなければならない】
【苦労しないと成長しない】
【楽してはいけない】
とそれ、本当に自分の考えなのか?
と聞いてみると、【勿論、自分の考えです】と言うから

自分『それ、本当にホントですか?』
とさらに聞くと

知人【・・・】
となり、

自分『当たり前のように聞こえる思想ってのは普通は誰かのコピーであって普通は物真似しているだけですよ。ある時、物真似し過ぎて物真似していることも忘れた状態に自分があるだけで、今抱えている思想は自分由来の思想だと思い込んでますが、まさに物真似由来のそれですよね?』

・・・と普通は今、人間の各個体が採用している考え、社会通念とか一般常識ってのは間違いなく自分の考えではなく誰かに持たされている考えで。誰かの思想を意味もなく真似ているから時折、自分の現実に嫌だと思える出来事が起きるような感じになってます。
思想、常識とやらもまさにウイルスのように伝染するんで、時折、自分のマインドを精査する必要があると思われます。

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