ジャッキーと名付けられた犬の一生
子ども時代を私は東京で過ごした。
夏になると、アスファルトからゆらゆらと熱さのせいで立ちのぼるあの現象の名前も知らないまま、毎年東京⇔岩手まで家族で帰っていた。
実家に行くと、はいからさんが通るの初版の漫画を読むことができた。当時はコミックスが350円らしい。
朝、昼、夜とスピーカーで音楽がなる。
そのあとは防災の公報音声が流れる。
録音ではないと思っていた。
その音に合わせて必ず遠吠えする犬がいた。
ジャッキーだ。
外に鎖で繋がれていて、犬小屋に毛布がひとつ。餌は残飯。
水はなくて散歩している姿もみたことがない。
きれいな柴だろうか、しっぽはくるんと丸まっている。
栄養失調なのか、豆柴と呼ばれるほどに小さく痩せていた。よく吠える。
私はこの犬に少し同情していた。
実家にいるときはできるだけ触りに行った。
急な坂道の上にジャッキーの家はある。
しゃがんでそーっと下から手を出せばジャッキーは噛まない。
気質はいい子なのだ。
骨付きのチキンを家で食べたときは、骨を与えに行った。
ジャッキーは小さいが歯が強くバリバリ噛む。
あっという間になくなるから爽快だった。
年々、ジャッキーは小さく、痩せていくようだが、私のことは忘れないようだった。
仲良くなるとお腹を触らせてくれたし、ペロペロ舐めてくれる。
でも、目が白く濁っていった。
震災があってコロナがあって、ジャッキーはもう震災の前にはいなかったのだけれど、今はもうない実家の少し上にはジャッキーがいたんだ。
いついなくなったのか、どうやって亡くなったのか、遠い親戚関係ではあるはずの名字が同じの上の家とは、そこまでウチは仲良くない。
ジャッキーという名前を教えてくれたおじいちゃんもおばあちゃんも仲良くお墓の中。
おじいちゃんの兄弟は津波に流されてお墓にはいない。
遺骨があるってだけですごいもんだ。
大好きだったおじいちゃんは事故で亡くなっている。
学校帰りに電話の前でハラハラしていた母を忘れない。亡くなった、といった電話を切った際、泣きながら私に抱きついて来た。
母より少しだけ背が伸びていた私は、こんなにお母さんって小さいんだ…と冷めきっていた家族関係を見直すきっかけでもあった。
ジャッキーを飼っていた家は、今ではきれいな3階建ての家で、室内犬と過ごしているようだ。
私はジャッキーを忘れないし、ジャッキーも夏の間だけ数日だけくる私のことも忘れない。
犬ってどこまで頭がいいんだろうか。
夏の一番暑い頃、遠くからチヤホヤされにくる家族のことを見ていただろう。
こんにちはと、ジャッキーに声をかけて水を与えて、少し触っただけの女の子。
何歳まで生きたのかすら知らないままだけど、
私は豆柴をみるとジャッキーを思い出す。
これに投げ銭するなら地元の温浴施設でジュース買ってほしいレベル