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麻生田町大橋遺跡 土偶A 50:『君の名は。』&シリウスとの関係

豊橋市の石巻本町 素盞嗚神社&宮西古墳から国道362号線に戻り、362号線を少し西に戻り、県道69号線を北上して、北西1.1km以内にある石巻小野田町の黒谷神社(こくやじんじゃ)に向かいました。

愛知県内レイラインAG (黒谷神社)
レイラインAG(黒谷神社)

北北西に向かう県道69号線から牟呂用水に沿って東北東へ分岐する道に入って、地図に表記のあるあたりを5往復はしたのだが、黒谷神社が見つからない。
周辺にいた人たちに聞くのだが、誰も知らない。
どうしても見つからないので、ついに断念して次の神社に向かうために、東の69号線に向かおうとした途端に、左手(南側)に石造明神鳥居と石段が立ち上がっているのに気づいた。
それは69号線から100m以内にいちしていて、69号線の分岐点から間も無いため、視線を両側に這わせる前に通り過ぎていたようだ。
69号線に向かう左手を流れている牟呂用水に短い橋が架かっていて、石鳥居と石段、その奥に拝殿らしき社殿が社叢に包まれていた。

黒谷神社社頭
レイラインAG 黒谷神社

鳥居の両側が樹木で覆われており、徒歩なら、すぐ見つかったろうが、バイクなので、死角から外れるのが一舜で、何度も見落として前を通過していたようだ。

愛車を道路脇の歩道内に駐めて、橋上から牟呂用水の上流側を見下ろすと、川面はコンクリートの堤防で2分割されていた。

牟呂用水(上流側)

左側の水面の低い方の水路は近所を流れている間川(あいだがわ)に落とす水で、右側の水面の高い方の水路は最終的に豊川に落とすのだろうが、こちら側はもっと下流まで農業用水として使用して後の事だろうと思われる。
右手から牟呂用水に覆い被さっているのが、黒谷神社の社叢ということになる。

牟呂用水の下流側も行く先が左にカーブしていること以外、上流側とほとんど、変わりなかった。

牟呂用水(下流側)

橋を渡り、石鳥居の前に立ったが、社号標も社頭額も無く、廃社にになっているのかと思った。
鳥居も石段も薄汚れていて、人の手が入っている感じが無い。
とにかく、鳥居をくぐって石段を上がると、瓦葺切妻造平入の拝殿の前に出た。

黒谷神社 拝殿

拝殿も全体に薄汚れている。
加工材で板壁が張られ、縦に桟を通した板戸の中央に格子窓を開けた戸が閉め立てられていた。
その拝殿は60cmほどの高さに石垣を組んだ土壇上に設置されているが、石垣は不定形の石が丁寧に組み合わされている。
明らかに古い時代の職人の手によるものだ。
しかしこの神社、やはり、ちゃんと祀られている感覚が薄い。
だが、廃社にしては瓦はまだ新しいのだ。

参拝するために拝殿の前に上がろうとして、石段が無いことに気づいた。
その代わりに大きな自然石が1コ置かれている。
あきらかに高齢者のことは考慮されていない踏み石だ。

拝殿に上がる木造の階段も水色にペイントされているが、色は剥がれ放題になっている。

それでも、拝殿の階段下まで上がって参拝したのだが、やはりエネルギーが感じられない。
境内に社名はもちろん、文字情報はいっさい見当たらず、ここが「黒谷神社」であることも確認できている訳ではない。

しかし、『東三河を歩こう』(https://www.net-plaza.org/KANKO/)というウェブサイトに写真付きで以下の情報があったので、「黒谷神社」であることは確認できた。

創建は明らかではないが、寛永6年(1629年)11月に社殿を建立したという。
祭神は罔象女神(みずはのめのかみ)で、例祭日は3月最終日曜日。    

●史書などにみえるミズハノメ

罔象女神は『日本書紀』に表記された名称で、読みに「みず」が入っているように代表的な水神だ。
『日本書紀』の第二の一書では、罔象女神はイザナミが死ぬ間際に埴山媛神(ハニヤマヒメ)と罔象女神を生んだとしている。

『古事記』の神産みの段においては、弥都波能売神(ミズハノメノカミ=罔象女神)はカグツチを産んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミの尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとしている。

『ホツマツタヱ』には「ミツハメ」の名で7ヶ所に、「ミツハ」の名で1ヶ所に登場している。
そのうちの1ヶ所「天の巻5 ワカの枕言葉の文」には以下のようにある。

【原文カタカナ訳】      【漢字読み下し】
カクツチニ ヤカレテマサニ  カグツチに 焼かれてまさに
オワルマニ ウムツチノカミ  終る間に   生む土の神
ハニヤスト ミツミツハメソ  ハニヤスと 水ミツハメぞ

『ホツマツタヱ 天の巻5 ワカの枕言葉の文』

内容は『日本書紀』と一致している。

また、「ミツハ」は映画『君の名は。』のヒロイン宮水三葉(みやみず みつは)の名と同音だが、ミツハメは日本を代表する女神セオリツヒメの別名の一つとする説もあり、原作者の新海誠はそのあたりを意識してヒロインの名に採用したのかもしれない。
そして、主人公の名、立花 瀧(たちばな たき)の「瀧」もセオリツヒメのトーテムであり、日本の社殿の浮き彫り装飾のモチーフとして多用されているものだ。
瀧をテーマにした装飾はレイラインAG上に祀られた神明社・八幡社合殿の拝殿にもみられるので、その記事で紹介する。

話を黒谷神社に戻すと、ここは麓との標高差48mの丘陵の途中に位置しており、祭神の罔象女神から推測するに、湧き水があったことから祀られた神社ではないかと思われる。

拝殿の格子窓から拝殿内を見ると「奉祝 天皇陛下御即位」の幟が壁に掛かっていた。

黒谷神社 拝殿・渡殿内

唯一の文字情報だが、少なくとも令和初年(2019年)までは祀られていたことが判る。
となると、以後は祭祀で人が集まることができなくなっている神社もあるから、2年以上人が出入りしなければ、境内が荒れても不思議ではない。
ただ、正面の戸は連子窓の桟が1本外れ、戸もきちんと閉められてなく、押入れの戸も半開きのままだ。
やはり、どうも変なのだ。

それはともかく、正面の戸が開けっ放しになっていることから、渡殿が存在し、本殿へはかなり急な階段で上がっていくようになっていることが見て取れた。

拝殿の左側に回ってみると、板で目隠しされた窓のある瓦葺の渡殿があり、その裏面に45度くらいありそうな急な傾斜を持つ、瓦葺でトタン板の張られた本殿覆屋が切り立った崖に設けられていた。

黒谷神社 渡殿・本殿覆屋

何とか本殿覆屋の全貌が見られないかと、反対側(西側)にも回ってみた。

黒谷神社 本殿覆屋

すると、東側とはまったく異なり、本殿覆屋はかなり奥に深い建物であることが判った。
裏面の崖の形状に合わせた結果なのかもしれないが、内部はほとんどが階段で、階段の行き止まりに本殿が祀られているのが想像できる。
実はそんな祭り方をした神社として、生川上神社(にうかわかみじんじゃ:奈良県吉野郡)下社が存在する。

生川上神社下社 本殿への階段

実は生川上神社の祭神は黒谷神社の祭神と同じく罔象女神なのだ。
だから似ているのは偶然ではない。
生川上神社下社の階段は 日本最長の木製階段で本殿まで75段あり、特別に最下段まで入れていただいたことがありますが、高所恐怖症の人は上がれないと思います。
小生が階段の麓に正座して見上げた時、上記の写真のようになだらかには感じなかった。
倍くらい急な階段に感じた。
手摺りを掴まなければ上がっていくのは無理だと思った。
上の方で足を踏み違えたら、下まで転げ落ちてくる可能性があります。

もちろん、黒谷神社の階段は生川上神社下社の階段とは比べるべくも無いが、黒谷神社には他にも、日本を代表する以下の建造物との共通点が存在する。

・応神天皇陵
・斑鳩宮(聖徳太子の御殿:現存しない)
・鹿島神宮

この3つのメジャーな建造物との共通点は社殿がシリウスの方向(真北から西に20度の方向:聖方位)を向いていることだ。
海外の古代の建造物の中にも以下のように聖方位を向いたものが存在する。

・シュメールのジグラット
・バビロニアのバビロン神殿

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※ところで、現在、丹生川上神社下社は、神社全般の修復を目指しています。修復見積り金額は2億6千万円となっていますが、川上神社下社は文化財指定を受けていないことから、その道程は厳しく、賛同者に寄付を求めています。高額寄附をして、最上段で本殿に参拝する交渉をする豪の者がいれば、下記が連絡先となっています。

問い合わせ先=丹生川上神社下社 社務所 
電話:0747-58-0823
住所:奈良県吉野郡下市町長谷1の1
拝観時間:08:00~17:00

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