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恐竜卵屋 その10

 連載小説 ぼくの夢?


  十九 卵を返す

これが、この三週間の出来事だ。

今、ぼくはタオルケットに包まれた卵を抱きながら隣の空き地に立っている。

「おいっ、ぼくの声が聞こえるだろ?話があるから降りて来いよ」

「裕也、どうしちゃったんだよ?」

義広の問いには答えず、上を向いてもう一度叫んだ。

「早く降りて来いよ」

ぼくの頭の中では恐竜卵屋に足を踏み入れた日のこと、城山の6番と戦った試合、愛媛のみかん畑の話をしていた父さんの顔、etc、いろんな場面がグルグル回っていた。

「裕也」

もう一度名前を呼ばれた途端、頭の中にうかんでいた場面がぷつんと切れ、目の前に泣きそうな顔をした義広の顔があった。
そして天使のおっさんの顔も。

「わたしのことを呼びましたよね」

「おまえ天使だろ?先のことがわかるんだよな?だったら、なんで・・・
、なんで父さんが倒れるって教えてくれなかったんだ?」

天使のおっさんは、首を横にふった。

「父さんが死ぬことがわかってたんだろ?もし父さんが倒れていること知ってたら、もっと早く帰ってきたのに・・・家を空けなかったのに・・・」

後悔がぼくの中にぶわっと湧き出てきた。

「わたしだって・・・、わたしだって、坊ちゃんに教えてあげたかった。でもできないんです。おとうさんの運命は、お父さんが決めたことだから」

「そんなのウソだ。トイレの中でたった一人で死んでいくことを父さんが決めたのか?苦しくっても、誰にも助けられずに死ぬことを父さんが決めたのか?そんなの悲しすぎるじゃないか。
父さん、愛媛に帰りたかったのに、帰れなくって・・・・」

あの夜、ぼくはどうして愛媛に帰ろうって言ってやらなかったんだろう・・・。父さん、帰りたがっていたのに・・・。

目に涙があふれてきた。

父さん、まだ夢の卵見つけてなかった・・・。堰を切ったように涙が流れ出した。

父さん、父さん、父さん。ごめん。

一旦流れ出した涙は止めることができず、ぼくは嗚咽をあげながら泣き続けた。そんなぼくの背中を義広はずっとなで続けてくれた。

どれだけ泣き続けたのかわからない。泣きすぎて頭が痛い。

「大丈夫か?」

喜広が心配そうにぼくの顔をのぞきこんだ。

「ああ」

手で涙を拭う。

「坊ちゃん」

天使のおっさんが、ぼくを呼んだ。

「人が変えれるのは、自分の運命だけなんですよ。そして変えることを決めるのも自分なのです」

「ぼくには、父さんをどうすることもできなかったと言いたいのか?」

「はい。だから・・・」

「だから?」

「お父さんの死で自分を責めるのはおやめなさい。そんなふうに自分を責めるより坊ちゃんが自分の夢を見つける方が、お父さんは喜ばれますよ。
ね、だから夢、見つけましょう」

「夢、夢ってうるさいんだよっ!なんで今、そんなことを言うんだ?
そんなにも夢が必要なのか?あんたの・・・あんたの天使の地位を守るための夢なんか、ぼくは見つけたくないっ!」

ぼくは天使のおっさんの手を払いのけた。

こんな店、見えなければよかった。そうしたら夢なんて考えずにすんだんだ。お金がないことを知っていても、海南に行くって言ってさ、父さんを喜ばしてあげればよかった。海南に入って、試合に出たら、父さん、すっごく喜んだろうな。

ぼくの・・・ぼくの夢は父さんを苦しめた。

「こんなもの、もう返すからなっ!」

天使のおっさんにタオルケットに包まれた卵を突き返し、走って空き地を出た。

「裕也」

すぐに追ってきた義広に右手をつかまれた。

「なんだよ?」

「あれ、マジじゃないよな?」

「マジだよ。ずっと一緒にやってきた義広には悪いと思う。でも・・・卵を見てると辛くなるから・・・」

「オレさ・・・」

義広がぼそりと言った。

「裕也がすっごく悲しいのはわかる。でも、でもな、天使のおっさんの言うとおりだと思うんだ」

「なにが?」

「おまえが夢を見つけるのをあきらめたら、死んだ親父さんが喜ば・・・」

「わかったようなことを言うなよっ!」

義広は一瞬ひるんだけれど、すぐにぼくの目をしっかりにらみつけて言った。

「ああ言うね。おまえ、絶対まちがってるって。なぁ思い出せよ、じいさんや片桐の言葉をさ」

総合公園で片桐に会ってから、そしてじいさんちでスイカを食べてからまだ一週間もたっていない。
でも、もう何年も前のことのように思える。

「ぼくが言ったことが父さんを苦しめたんだ。もしかして・・・あんなこと言わなかったら、父さん、死ななかったかも・・・。海南に入るって言ってさ、喜ばせればよかったんだ・・・」

「何言ってるんだ。そんなの関係ないって」

「夢なんてもうどうでもいいっ!」

 ぼくは義広から逃げるようにして家に入った。


  十九  これからどうする?

愛媛のじいちゃんが戻ってくるまで三日間、ぼくは一歩も外に出なかった。この間、義広からしつこいぐらいメールやラインがきたけれど返信しなかった。

母さんは相続、生命保険等のさまざまな書類の残務処理に追われている。でも、ぼくは何もやることがない。

髭剃りのシェーバー、茶わん、靴。服、家の中のいたるところに父さんの残骸がある。こんなものを見ていると、トイレから、洗面所から、いろんなところから、また父さんがひょいと顔を出すんじゃないかと思えてくる。

すごくつらい。それなのに腹は減るし、ちゃんとクソも出る。風呂に入り、歯も磨く。人ひとりこの世からいなくなっても変わりない日常は繰り返される。

父さんの存在ってなんだったんだ?父親、夫、一社会人、よき友人・・・、これがなんだったんだ?

父さんの初七日は、ぼくとかあさんと愛媛のじいちゃんの三人でひっそりと行われた。
じいちゃん、なんだかひとまわり小さくなったみたいだ。

お経が終わり、坊さんが帰った後も、じいちゃんは真新しい仏壇の前から動こうとしなかった。
ぼくも母さんも、何も言わずにじいちゃんの小さな後姿を見つめていた。やがて仏壇に向かって深々と頭を下げてから、じいちゃんはぼくらの方に向き直った。そして唐突に聞いてきたんだ。

「あのなぁ弘子さん、ぶっちゃけた話、これから先、どうやって食って?」

母さんは手に持った数珠に視線を落としている。母さんの頬はこの一週間ほどで驚くほどこけてしまった。

「当面の間は、生命保険でなんとかなるんですけど・・・」

けど、その先は苦しいんだな。家のローンだってまだ残ってる。母さんはパートだから、もらえる給料だって少ない。ぼくだってこの先、家の経済状況がますます厳しくなっていくことがわかる。

「だったら愛媛に帰ってこんか?」

「愛媛に・・ですか?」

「ああ、あそこでわしと一緒にミカンを作らんか?ここんとこ農薬をつかわんわしのミカンがいいって注文が増えてきてな、わしも歳だし、一人でやるのもしんどくなったしで、あんたに手伝ってもらえると助かるんだ・・・、まぁ裕也のこともあるから無理強いはしんけど、ちょっと考えてくれるとうれしいんだが・・・」

「今ごろは、摘果作業の季節ですよね」

「そうだ。手が青くそうなる」

「子どもの頃、よく手伝わされました」

母さんは、今でもその匂いが残っているかのように自分の手をじっと見つめている。

「おじいさんが言われたこと、裕也のこともありますから、少し時間をいただけますか?」

「ああ、ああ、返事はいつでもいいから頭のすみっこにでもいれといてくれ」

「ありがとうございます」

母さんは、深々と頭を下げた。

「さてと。わしの方は話もできたし利久の供養もできて用事はすんだ。弘子さん、こっちでなんか手伝うことがあったら何でも言ってくれ」

母さんは少し戸惑っていた。でも小さな声で言った。

「まだいろいろ手続したり、もらったりする書類があって・・・」

「だったら手分けしてできるから、わしも一緒に行ってやる」

このあとすぐに母さんとじいちゃんは出かけていった。
ぼくは母さんとじいちゃんの話に口出ししないで、じっと聞いていた。

母さん、母さんも田舎に帰りたいんだ・・・。

だったら愛媛に帰ろうって今度こそ言うべきだ。もう卵はない、修行する必要もなくなった。だから、この場所に留まる必要なんてない。
あっちにだって高校はある。もう何の足かせもないはずなのに、ぼくの中でなにかが引っかかっていた。

何が?チキショウ、考えるな!ぼくの夢が、父さんを苦しめたことを忘れるな。ただ目の前のことをこなして毎日を淡々とすごしていけばいいんだ。
夢なんて必要ない。

こう自分に言い聞かせているのに、頭の隅から、ほんとうか?それでいいのか?父さん,ほんとうは夢見つけたかったんじゃないのか?その夢を実現したかったんじゃないのか?それなのにおまえまで夢をどこかに追いやるのか?なんて声が湧き上がってくる。

クソッ、クソッ、クソッ!こんなの消えろっ!

ゲームをする気にもなれない。コミックだって読みたくない。何もする気が起きない。居間のソファに寝ころんで、ぼんやりとつまらないワイドショーを見ていたらピンポーンとインターホンが鳴った。
モニターを見ると、菊田のじいさんが立っている。きっと義広に父さんが死んだことを聞いたんだ。

何も言わずに修行を止めてしまったことは悪いと思う。ひと言謝るべきかもしれない。けど、今はじいさんに会いたくなかった。

居留守を決め込んでソファに寝ころんだぼくの耳元にピンポーンピンポーンと鳴り続けるインターホンの音が襲ってくる。

あーうるさい、じいさん、扉が開くまで押し続ける気か?
ちょっとだけ会って、さっさと帰ってもらうしかない。

しぶしぶ玄関を開けると、じいさんは「よっ」とでもいうように片手を上げた。

「焼香させてくれ」

こんなこと言われたら断れない。部屋にあがったじいさんは、仏壇の前に座ると線香をたてて手を合わせた。ぼくはガラスのコップに麦茶を入れて、じいさんの前に置いた。

「亡くなられたのは急だったんだな?」

ぼくはうなずいた。

「まだ若いのになぁ・・。目元がよく似てる」

父さんの写真とぼくの顔を交互に見ながらじいさんは言った。
そんなこと言うなよ。

「卵、返したんだってな?」

そこまで聞いているのか?ぼくは次にくる説教を覚悟しながらうなずいた。

「そうか・・・、まっ、おまえがそう決めたのならそれでいい。じゃあ、わしはこれで失礼する」

えっ、それだけ?ちょ、ちょっと待ってよ。

「あ、あの・・・」

「なんだ?」

じいさんがふり返る。
「えっと、その・・・」

「だから、なんだ?」

「どうして何も言わないんだ?」

じいさんの眉間に深い縦皺がよった。

「何をだ?」

「だから天使のおっさんに卵を返してもらえとか、修行に来いとか、どうして言わないんだ?」

「言って欲しいのか?」

言って欲しい?まさか、冗談だろ?そう言おうとしたのになぜか気が動転して、足元に落ちていたテレビのリモコンを踏んでしまった。
その途端ブワッとボリュームがあがり、けたたましい笑い声が部屋いっぱいに響いた。

「夢を諦めるな、今は辛いかもしれないけれどガンバレって言ってほしいのか?」 

じいさんがぼくに向かって一歩足を踏み出し、ぼくは一歩後ろにさがる。

「おまえは何も悪くないって言って欲しいのか?」

じいさんが一歩踏み出し、ぼくはまた一歩さがった。背中が壁にぶつかる。

「何を怖がってる?」

後ろにさがることができなくなったぼくは、その場にずるずるっとへたりこんだ。

頭の中がまっ白になっていた。

「何を怖がっている?」

じいさんが、また聞いた。

ぼくは何を怖がっているんだ?ぼくは・・・。

「父さんが・・・、父さんが死んでもういないのに、当たり前みたいに毎日が過ぎていくし、今は悲しんでいるぼくだって、そのうち父さんのことを隅においやりそうで・・・」

じいさんがテレビを消したのか、部屋の中に響くのはぼくの声だけになった。

「死んだ者への記憶は、誰だって時間とともに薄れていくもんだ」

「忘れたらダメなんだ!ぼくが父さんを苦しめたから、愛媛に行こうって言えなかったから・・ぼくは・・ぼくは父さんのためにも・・・」

それ以上言葉が出なかった。ずずーっと鼻を啜る。

「それでいい」

「よくないんだっ!」 

顔をうずめて涙を隠していたぼくの上に、突然怒りをふくんだ母さんの声が降ってきた。

「裕也!」

母さん?いつ帰ってきたんだ?

顔を上げると、母さんはどこにそんな力があったんだ?と驚くほどの強さでぼくの腕をぐいっと引っ張り上げ、ぼくの頬をパシッと叩いた。

「いいかがんにしなさいっ。父さんになんで自分のためって言えないんだって言ったのはだれ?だれかのためなんて間違ってるって。ぼくはぼくのために夢を見つけるって言ったのはだれ?
さっきから聞いていたら、あなた、自分が言ったことと正反対のことを言ってるのよ」

「でも・・でもぼくのせいで父さんは・・・」

「何バカなことを言ってるの?父さんはね、裕也に言われたぐらいで死が早まるようなヤワな人じゃなかった。
無理して、疲れがたまって、でも医者に行こうとしなかったから・・・」

母さんが、ぼくをぐっとにらみつけた。

「あのひと、裕也に言われた時は少し落ち込んだみたいだけど・・・、でもね、いい?父さんはね、あの日、死んでしまったあの日、パートに出かけようとした母さんに愛媛に帰ろう、帰ってミカン作ろうって。オレはやっぱりミカンを作るのが好きだって・・・言ったのよ」

母さんの目から涙があふれ出た。

父さん、父さんのバカヤロー。何で死んだんだよ?ミカン作らないとダメだろ・・・。じいちゃん、手伝って欲しいって言ってるんだぞ。

バスケの試合の時はいつもに見に来て、ぼくがシュートを決めた時のめちゃうれしそうな顔したよな。
うまそうにビールを飲んでいた顔、いっしょにジョッキングをしていた時ラストはぼくに負けないように全力疾走していたときの顔、父さんのいろんな顔が浮かんできた。もうこんな顔は見られないんだ。悔しい、悔しい、悔しい。

母さんの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。そしてぼくも母さんの胸に顔を押しつけ、小さな子供みたいにワンワン泣いた。

ぼくと母さん、そしてその横で愛媛のじいちゃんも大泣きしたあと、ぼくらはこれからのことを話し合った。
といっても父さんは愛媛に帰りたがっていたことと、母さん自身もそう思っていることからして答えはもう決まったのも同然だ。
けれども母さんは、ぼくの高校のことを気にして決断を渋っていた。じいちゃんちから通える高校は一校だけ。でもってそこは小規模校だからバスケ部があるかどうかわからないってことがネックみたいだ。

「ほんと大丈夫だって。もしバスケ部がなかったら同好会を作るしさ、それに・・・」

それに卵は天使のおっさんに返してしまったし、ここに残ろうが、愛媛に行こうが、ぼくがまだ何もわからないこと、つかんでいないことに変わりはない。だったら、今は愛媛に行くべきなんだ。

「それに、何?」

「あ、あのさ、それにほら離れていても義広とラインで情報交換できるから」

「そうだけど・・・」

 まだ不安そうな母さんが最終的に愛媛に行こうと決めたのは、なぜかまだその場にいた菊田のじいさんのひと言だった。

じいさんは、ぼくと母さん、それに愛媛のじいちゃんから生年月日を聞き、その数字を紙に書き出してから今度は持っていた小さな布袋から出した本を開き、数字を照らし合わせていた。しばらくすると、じいさんはパタンと本を閉じて言った。

「うん、西方に吉ありと出た。あんたたちは愛媛に行くべだ」

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