感謝の気持ちを伝えるとき
人間ドックとか健康診断に関するYouTubeを観ようとしていたら、海外在住の方の「産休クッキーが問題になる日本って一体…」というような動画のタイトルが目に入った。以前『産休クッキー』に関する記事をいくつかどこかのニュースサイトで見かけたときにぼんやり考えたこともあったので、その動画は見ずに日本以外の国のことを妄想してみる…
どこかはわからないけれど、もし私が食中毒や生活習慣病から将来設計なども自己責任の国で働いていたとして、職場関係者が日本でいま話題になっている産休クッキーのようなものを渡してきたとしたらとても軽い気持ちで受け取るだろう。
カラフル過ぎるお砂糖だらけとか味より見た目重視のものだったら全部食べるかどうかはわからないが、お祝いしなければいけない圧力も今後の関係も負担に感じずに「わたし、出産と育児のために休むよ〜」とお菓子を渡され、「ありがとう〜」とか「おめでとう〜」の言葉を交わすぐらい。職場の人数が多ければわざわざ全員に手渡さないかもしれないし、忙しい職場だったらメッセージを見て自分で取るスタイルもあり得るかも。
お祝いは職場全体からのプレゼントに自分も加わるかもしれないし、個人的に贈り物をしたければするかもしれないし、関わりたくなければしない。現代の内祝いのように形式的なお返しをする文化がなければお祝いする側も気楽でよい。
強制されない贈り物は気持ちのいいものだと思う。私が今まで職場で経験した贈り物は、形式を重視した義務的なものが多かったと感じている。
休暇に入る人だけのために職場が存在しているわけではないので、個人的に感謝できる思い出が無ければ形式的な言葉を述べるだけで終わるだろうし、いろいろプライベートに介入してまで頼み事をしてきそうなタイプだと感じて既に負担なら今後距離をとる指標になるかもしれない。
日本だと、まずお祝いは職場から用意されたり職場関係者をなるべく多く巻き込んで贈り物をする風潮が多くあるように思う。それで内祝いのようなお返しが来たり、贈り物に対してまたちいさな贈り物が来てそれを「受け取りました。お気遣いなんたらかんたら」とメッセージのやりとりをしたり、代表で誰かが手配する場合にも複数が関わるとやりとりで忙しくなることが多い気がする。先人の知恵により、団結することで平等を目指してきた利点は認めつつ、個人の自由の領域には気楽に足を踏み入れられない雰囲気を私は感じていた。
本来の内祝いの意味を知り、押しつけや強制にならないような配慮があれば必要な人だけ歓んで受け取る素晴らしさもたしかに存在する気がする。せめて自分のプライベートでは、見返りを重視しない上で配慮も欠かさない気持ちのいい贈り物を増やしていきたい。
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