マガジンのカバー画像

明智光秀 近江出身説

17
明智光秀が 近江 多賀 佐目の出身であるという事を前提に 今まで研究されてこなかった地域の伝書、多賀大社、本願寺番方 法蔵寺佐目道場、六角氏との関係など、マニアックに検証したいと… もっと読む
運営しているクリエイター

#淡海温故録

G02-江侍聞伝録と近江の歴史と光秀

前回 『江侍聞伝録』の研究1973年(昭和48年) 滋賀県立図書館司書 石川正知氏が、『滋賀県地方史研究紀要』第一号(上)・第二号(下)で『江侍聞伝録』全文を活字化されています。50年近く前です。 その後、 1976年(昭和51年)、つまり3年後に『近江史料シリーズ [54]』 滋賀県地方史研究家連絡会編 に 同じ石川氏が『淡海温故録について』と題し書かれている中で、『江侍聞伝録』についても解説されています。 まず、1973年『滋賀県地方史研究紀要』のには『江侍聞伝録』の

G01-江侍聞伝録と近江の歴史と光秀

とにかく、気になって仕方がなかった、光秀の出自について書いてある一番古い文書(今の所)『江侍聞伝録 (ごうじもんでんろく)』。 やっと手に入れたました。釈文と原文。 ・釈文( 古文書の文字を現代の文字にしたもの) 「滋賀県地方史研究紀要 第2号~第3号」 滋賀県地方史研究家連絡会編 滋賀県立図書館 石川正知 1973~1974年 これは、出版され 図書館にありました。 ・原文(滋賀県立図書館)の写真。 こちらは、ずっと非公開でしたが、2020年12月に公開。やった! 滋

10.明智と六角と、忍者・多賀坊人誕生

前回 09.明智神社と、光秀近江出身説  では、光秀が生まれる前の佐目のポジションについてお話しました。 今回は、光秀の一生を理解する上で必要なバックボーンについてお話します。最初にお断りしておきますと、もちろん 「光秀が、近江の多賀の佐目」で育っていた という強引な視点と、光秀、近江守護六角氏、本願寺、地元土豪をエコ贔屓するのは言うまでもありません(笑) 1.近江守護 佐々木六角氏とは ドラマでは、どうしても信長・秀吉など天下とった、つまり近江を手に入れた人が主人公に

09.明智神社と、光秀近江出身説

なかなかnoteに書き込む余裕がなく、久しぶりになってしまいました。 〇公式 明智光秀近江出身説 佐目十兵衛会のwebサイト開設 〇所JAPANにて全国放送で 磯田先生に「黒歴史」と!  その他、イベント・メディア・活動報告 〇地元の伝承に特化したマニアックな冊子 発売  #『明智十兵衛光秀 謎多きルーツの迫る 多賀出身説!』 http://same-jubei.com/ HPから ご依頼頂けます。 明智光秀近江出身説 佐目十兵衛会の 各サイトは以下です。  ◆公式 ホ

05.更に古い、光秀「犬上衆旧き好しみある故」

04.明智光秀公の一番古い出自の文献 にて 『淡海温故録』は、貞享年間(1684-88) 『江侍伝聞録』は、寛文12年(1672) と、今のところは出自の一番古い伝承とお伝えしました。 因みに、 いわゆる作り話でありながら、後々色々な伝承に登場する『明智軍記』は、江戸時代中期の元禄初から15年(1688年~1702年)で、 質が高いと言われている『近江輿地志略』は、1734年成立なのだそうです。 この『近江輿地志略』の佐目村の所にも、『淡海温故録』に書かれていた事を、ズバ

04.明智光秀公の一番古い出自の文献

『淡海温故録』は、貞享年間(1684-88)に 江州白頭翁により書かれ、彦根井伊公へ献上された文献です。1582年が本能寺の変なので約100年後という事になりますが、明智光秀の代表的な伝記 高柳光寿『明智光秀』(1958)が 出自について採用した『綿考輯録(細川家記)』は、更に90年以上後の安永7年(1778)編さんされた文献なのだそうです。 『淡海温故録』の内容の特徴としては、郡別村別の記載形式で 地誌の体裁を取りながら、それぞれの地域における中世の土豪・地頭の家系、特に