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G01-江侍聞伝録と近江の歴史と光秀

とにかく、気になって仕方がなかった、光秀の出自について書いてある一番古い文書(今の所)『江侍聞伝録 (ごうじもんでんろく)』。
やっと手に入れたました。釈文と原文。

・釈文( 古文書の文字を現代の文字にしたもの)
「滋賀県地方史研究紀要 第2号~第3号」 滋賀県地方史研究家連絡会編 滋賀県立図書館 石川正知  1973~1974年
これは、出版され 図書館にありました。

・原文(滋賀県立図書館)の写真。
こちらは、ずっと非公開でしたが、2020年12月に公開。やった!
滋賀県立図書館 淡海デジタル歴史街道 
特集 2020年12月 「麒麟」の夢舞台―ふたたび
江侍聞伝録 上下 

お正月なので、申請できず、トップの画像はぼかしています(笑)
プラグインをDLしないと見えません。ブラウザーがchromeでもMicrosoftEdegでもうまくいかず、firefoxを入れてトライしました。

1.明智光秀最古の出自の部分

滋賀県立図書館での所JAPANの撮影の時、『江侍聞伝録』がチラッとと写っていたのですが、写真撮影は不可だったそうで、「なぜ、そんなに、厳重なんだろう」と、気になっていました。番組から、DVDを頂いたので必死に見たりしていましたが、さすが大河ドラマ「麒麟がくる」!
重い扉をあけてくれました!! 多謝!

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これが、所JAPANで写った『江侍聞伝録』の明智光秀が近江佐目出身と書いてある部分です。朱色で添削してあります。
「犬上」
佐目は犬上郡と現在の東近江の二ヶ所にあります。
「繖(きぬがさ)にも 明智丸と言う館あり」
繖は、六角氏の城があった観音寺山、もしくはその山麓です。
佐目にある山城、もしくは「十兵衛屋敷跡」を明智丸と書かれているネットの記事がありますが、今の所、佐目に明智丸と言われた伝承は見つかっていません。「明智丸」と書いた根拠が気になっていました。

それまで一般の人が『江侍聞伝録』の内容を知るには、滋賀県立図書館司書だった石川氏の釈文を読むしかありませんでした。
添削の部分に ※ 上覧に内容が書いてあります。
赤い点線の所をご覧下さい。

佐目の部分

読めなかった所は、空白になっていて、知りえたのは
「明智氏 ※  ニモ明智丸ト云館有」という文です。
これでは「(佐目) にも明智丸」という館があったと解釈されても仕方がないかもしれません。「にも」とあるので、「佐目にも繖にも」ととれなくもないですが、「佐目に明智丸」は確定できないように思います。

繖のどこにあったのか・・・。
現在、安土の大日堂あたりに、光秀の館があったと伝わっているそうですが、室町幕府と深いつながりのあった六角氏と、美濃から逃れたとはいえ、室町幕府の奉公衆だったらしい明智家の関係から、場所が繖山(観音寺山)や、南麓であれば信長に仕える前という事になりますので、妄想が爆裂してしまいます。

原文を見るのって、大切ですね。簡単には、読めないけど(笑)

この小さな光秀と佐目の部分だけでも、色々なヒントがあるように、全文に目を通してみると、近江の歴史を紐解くヒントがちりばめられているのではないかと思います。

又、この『江侍聞伝録』が際どい扱いを受けてきた理由もわかりました。この文書には、長年「偽書」と言われてきた『江源武鑑』に影響された部分が書いてあり、それが実しやかに広がってはいけないという配慮があったのかもしれません。

佐目の光秀出身説については、
1672年 『江侍聞伝録』
・1684年~1688年 『淡海温故録』としてを整理加筆し井伊公に献上
1724年 『近江志新開略記』
近江の地誌としては、定評のある
・1734年 『近江輿地志略』
に引き継がれています。『近江輿地志略』の作者は『近江志新開略記』の内容(たぶん、一部)を否定していますが、佐目の部分は載せているので、荒唐無稽とは思わなかったという事がわかります。

一部に間違いがあり、偽書だというレッテルが貼られると、正しい歴史もバサッと「ウソ」として取り上げられない事があり、江侍聞伝録』がどういう文書なのかを理解しないと、光秀佐目出身説もウソだと言いだす人が現れるのが世の常です。もとより、一次史料ではありませんが、現代でわかる範囲で、次の時代に送らないとと思い調べはじめたのですが、なんとも、えらい世界に足を踏み込んでしまい、私なんぞが手を出してはいけない事もわかりました(笑)

1973年 「滋賀県地方史研究紀要 第2号~第3号」の「江侍聞伝録」の釈文(毛筆を活字に)の石川氏のまえがきに、

1. 史料としては信頼できるものとは言い難い
2. この頃は偽書として有名な「江源武鑑」が書かれている
3. 木村重要という人はどんな人物か今のところわからない
4. 幸いあとで朱を入れた人がいて比較的 続み易くなっている

と、気なる点があり、このあたりも含めて、次回以降お伝えしたいと思います。

次回 G02- -江侍聞伝録と近江の歴史と光秀 
『江侍聞伝録』の研究
1.江侍聞伝録の「まえがき」にあたる部分
2.『江侍聞伝録』の著者の思い
3.武田信玄に仕えた近江石寺陰陽師「判ノ兵庫」
4. 光秀が近江・美濃を離れ、越前に向かった理由
5. 光秀と武田信玄と多賀坊人
6.六角氏の氏神 沙沙貴神社 神官家 木村氏
7.『江侍聞伝録』が封印された訳け 
8. 六角氏のもめごとに、細川藤孝 出陣!

ついでに、
一年前には、観光パンフレットにも載っていなかった「明智光秀近江出身説」おかげ様で、滋賀県のシュールな動画CMにも 登場するほどにして頂きました。感慨深い。滋賀県教育委員会の井上氏が 
「新説をみつけたおじさん」として、登場します。


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