近江出身説

明智光秀のWikipediaの記述が変わった!

何かと、日々お世話になっている『ウィキペディア(Wikipedia)』
もちろん、明智光秀公が佐目出身という古文書を見た時に検索しました。
今となっては、すっかり忘れてしまいましたが、佐目に関係する記事はほんの少し、脚注程度に載っている感じでした。でも、抹殺されずに書かれていて、とても安堵した事を覚えています。

昨夜、ふと気になる事があってGoogleで検索しました。と、言っても「明智光秀 + 

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05.更に古い、光秀「犬上衆旧き好しみある故」

04.明智光秀公の一番古い出自の文献 にて
『淡海温故録』は、貞享年間(1684-88)
『江侍伝聞録』は、寛文12年(1672)
と、今のところは出自の一番古い伝承とお伝えしました。

因みに、
いわゆる作り話でありながら、後々色々な伝承に登場する『明智軍記』は、江戸時代中期の元禄初から15年(1688年~1702年)で、
質が高いと言われている『近江輿地志略』は、1734年成立なのだそうです。

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04.明智光秀公の一番古い出自の文献

『淡海温故録』は、貞享年間(1684-88)に 江州白頭翁により書かれ、彦根井伊公へ献上された文献です。1582年が本能寺の変なので約100年後という事になりますが、明智光秀の代表的な伝記 高柳光寿『明智光秀』(1958)が 出自について採用した『綿考輯録(細川家記)』は、更に90年以上後の安永7年(1778)編さんされた文献なのだそうです。

『淡海温故録』の内容の特徴としては、郡別村別の記載形

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03.光秀と十兵衛は、どんな関係?

2019年10月、滋賀県と多賀町の教育委員会文化財課の方々が「十兵衛屋敷跡」を見に来て下さり、私はというと、そこからバタバタと講座に引っ張り出され、地域(多賀町佐目)の皆さんは手弁当で「とりあえず、看板はいるわなぁ」と、張りきり出し、看板が出来たのが3月。Googleさんから許可も頂いて、つい先日マップに掲載して頂いたところです。

看板の後ろ、下あたりの緑の網は、鹿と猿よけ。山間部なので獣害がひ

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