見出し画像

THE DAY

起き抜けに淹れられた、モカマタリの香りと、ラジオから流れる台風情報が渾然一体となり勝次の部屋を包んだ。八月の朝は、夏至の頃とまではいかないにしろ5時前には、その明るさを取り戻すのが普通だった。

太平洋の南海上、遥か沖合で発生した台風15号は、すでに950ヘクトパスカルを上回る勢いでその勢力を強めている。このままの勢いで日本に上陸したらいったいどこまで大型化することだろう?

ガレージの奥に、大切にしまわれていた10feetオーバーのビッグガンが遂に日の目を見る時がやってきた。ステーションワゴンのルーフに備え付けられたアロハ型のボードキャリーに括りつけたサーフボードは、言わずと知れたピンテールのシングルフィンだった。

大型台風が間近に迫っていることが信じ難いような、静かな朝をここ豊橋の街も迎えようとしていた。海までの距離は一番近いポイントまで役40分、外浜全体がクローズしていたとして、台風の時だけその威力を発揮する伊良湖岬先端ポイントまでなら、ゆうに一時間を超す道のりだ。

すれ違う車もまばらな国道42号線を,勝次はひたすら海への道を急いだ。不気味なほどまでの静寂、そう嵐の前の静けさがかえって勝次の心を逆なでした。八月にしては珍しい雲一つない青空、風は国道沿いに植えられた防風林の揺らめきからすると、僅かなオフショアの風がたなびいている。

車が赤羽根町に差し掛かる手前に一ヶ所だけ国道から海の様子が見て取れる場所があるが、そこは普段その場所はただ海を確認するだけの場所であり、通りすがりに海の状況まで見て取ることは叶わない場所だった。

そんな勝次の思いとは裏腹に今日の太平洋ロングビーチは、今まで見たこともない様相を呈していた、沖から次々と打ち寄せる大波のラインアップがくっきりと見て取れたからだ。横一線に連なる巨大なセットの波は、途切れることなく次々と打ち寄せていた。波乗りを始めて20年、豊橋に移り住んで15年毎朝通った伊良湖の海でこんな光景に出くわした記憶はただの一度も思い浮かばなかった。さらに驚くことに微かだが海岸線から2キロ近く離れたこの国道からも、大波が砕ける時に起きる断末魔の悲鳴のような轟音が耳に届いた。

果たしてこんな状況で、外洋でのサーフィンが可能なのか?ローカルの仲間は海に集まるのだろうか?期待と不安が勝次の頭の中でせめぎ合う。一言でいうと勝次の今の精神状態はそんな感じであった。

国道をそれ、波がでかい時に訪れる第一チェックポイントの坂道を下ると一気に外浜の様相が眼前に広がった。海岸線に沿って申し訳程度に広がる駐車帯には他府県ナンバーのワンボックスが一台止まっていただけであった。ウイークデーの今朝、多くの車が取り囲むとまでの期待は寄せていなかったが。まさか知り合いの車はおろか、サーファーの車が一台しか止まっていないとは思いもよらなかったというのが正直なところだった。

大潮回りの今日、干潮は朝7時と絶好の波乗り日和であることに間違いはなかった。海は砕け散った波が辺り一面を追おうという、白一色の様相を呈していた。先に駐車していた関西ナンバーの運転手とその連れは、口をあんぐりと明け、呆然と海の様子を見つめていた。その様子から察するに端から、この海に入ろうなどという気持ちは持ち合わせていないことが見て取れた。さしずめ傍観者を決め込む、そんなところなのだろう。

しかし昨日今日始めたばかりのビギナーの手に負えるような生易しい波でない事は確かだし、無理して入ったところで海難事故が発生しかねないのは火を見るよりも明らかだと言えた。

勝次はしばらくの間海の状況を、瞬きするのも忘れたかのように凝視し続けた。30分ほどたった頃からだろうか?波の状態がかなり落ち着きだし、グラッシーな、ジャイアントスウェルが、遥かアウトサイドでヒットしだした。

そして何分かに一度、セット間隔があき、海が一変してフラットな状態に変化することを勝次はつきとめた。このチャンスを利用出来れば何とか沖にゲティングアウトすることが可能だ。カレントははっきり見て取れるし後は運次第。仮に大波に捕まったとしても、もう一回最初からチャレンジすればいいだけの話だ、

勝次はともすれば、弱気になりがちな自分の心を奮い立たせ、新調したばかりの蛍光色のラッシュガードに身を包み勢い良く海へと飛び込んでいった。

潮の香りがいつになく鼻についた。それは、ただ勝次の精神的な問題だけではなく、外洋からの黒潮のうねりが、外からの侵入を憚る意志を持って発する匂いの様にも感じられた。

勝次はどん深になった、ショアブレイクを抜け、足がつく少し沖合の地点で波のセット感覚を読み、波が途切れる瞬間を,じっと待った。はっきり言って今日のサイズの波は、ハワイや、ポルトガルのナザレ、カリフォルニアのマーベリックスなどで用いられるような、トゥーインサーフィン(ジェットスキーの力を借りてテイクオフ)でもおかしくないようなサイズの波であった。

千歳一隅のチャンスはまもなく訪れた。巨大セットの最後の一本をやり過ごした後、勝次の目論見通り海がまるで凪の時のような、静かな様子に変化を見せた。このチャンスを逃したらまた当分沖へ出るチャンスはやってこない。意を決した勝次はあらん力を振り絞って沖へのパドルを開始した。どアウトのファーストブレイクポイントまであと僅かというところで今までお目にかからなかったようなお化けセットが、襲来した。命がけで沖へと向かった勝次は間一髪、見事に決まったドルフィンスルーでセットの一番大波をやり過ごすことに成功した。

その日の波は伊良湖では珍しいレギュラーのマシンウェーブが到来していた。もともとがレギュラースタンスの勝次には願ってもない波だった。独りで沖に取り残された勝次にはその波は陸で見たサイズの倍近くに感じられた。そしてそのリップの水量は何トンにも感じられる分厚さを呈していた。波が砕ける時に起きる轟音は、海中でもしっかり確認できるほどの大きさだったし、波をやり過ごした時に起きるバックウォッシュは、きれいな七色の虹を引き連れて、勝次の体全体に大粒のシャワーをもたらしたのだった。岸に目を向けると浜のワンボックスが豆粒ほどの大きさしかなく、今いるポイントは沖合遥か200メートルはあろうかという位置だった。

アウトに出て30分ほどの時が経過した時、水平線の彼方にはっきりと見て取れる筋の塊が現れた。それは、同時に本日最高の波に違いなかった。勝次は自分のポイントを更に沖へとパドリングで進み、三角波の割れるピークへと移動した、ついにその時はきた、一本目のセットはやり過ごしたのだがそれでも優にハワイアンサイズで20フィートは越そうかという代物だった。波の表で換算すれば7メートル近い大波だ。

ついに勝次はそのセットの中でも一段とデカイ3本目の波に照準をあわせ、岸に向かって踵を返すと、波のパワーに飲み込まれないように、全身全霊を振り絞ってパドルを開始した。

ドンピシャのタイミングで波のピークをとらえた勝次のボードは、滑落する時間を肌で感じられるほどの長さのドロップインに成功したかと思うと、大きな弧を描いた理想的なボトムターンのすぐ後、完璧なバレルを作り出した大波に自分の体をのみ込ませていった。巨大チューブの中は、正にクリスタルの世界だった。そしてなぜかその一瞬勝次は周りの雑音から一切隔絶されたのだった。まるで夢の世界であった。日本でこんな波にお目にかかれるとは、そしてそれがホームグランドの伊良湖の波だとは、勝次は、今までの波乗り人生で最高の一本に巡り合うことが叶ったのだった。

実際に時間にすれば数秒の事だったに違いないのだが、チューブに潰されることなく幾つかのセクションを乗り継いだ勝次は、その後もサイコーのパフォーマンスを披露して浜までワンウェーブでたどり着いた。

興奮冷めやらぬ気持ちで浜に上がった勝次の事を、知らぬまに集まった仲間のローカルサーファーが、やんやの喝采と共に出迎えてくれた。

少し照れながら勝次が空を見上げると、朝イチと同じ様な紺碧の空が辺り一面を覆っていた。

--------------------------------------------------------------------------------------

夏の到来を間近に控えて、昔趣味としていたサーフィンに思いを馳せ書いてみました。専門用語が今と昔では違うかもしれないし、渥美半島でだけ通用した表現も含まれている可能性があります。ご容赦ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?