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日本側への離婚報告が完了

インド国内の離婚手続きは、以前のnoteでも書いた通り、完了している。

国際結婚なので、手続きとしては、どちらかの国で手続き→完了後にもう一一方の国に報告をする、が一般的だと思われる。

私の場合は、5月にインドの裁判所で離婚が決定、その後、8月の一時帰国時に、日本で一度(離婚の報告の)手続きを試みているのだが、残りの日本滞在期間が短すぎた為、インドに戻ってからの手続きをお勧めされた。

日本のどの市町村でも手続きはできるそうだが、本籍地以外で手続きをする場合は、本籍地の確認やインドへの確認があるためかなり煩雑になり、当然時間もかかる。

離婚した夫婦のどちらかの国(私の場合インド)に戻る予定がある場合は、その国にある日本大使館で手続きが可能で、大使館が窓口となってその国での確認、そして日本の各市町村への確認と連絡をするのだそうだ。



9月初めにインドに戻ってから、もちろんそのことは頭にあって行こうと思ったものの、日本に戻る可能性もあり、その時期も決まらないまま、時間が過ぎてしまった。

正直に言うと、どうしてもこの最後の手続きをする事が怖かったのだ。

(何が?)と言われたら、よく分からない、本当は。

離婚するとビザのステータスも当然変わる(OCIカードの返却)。
幸運な事にその返却時期は私が決めてよいと許可をもらっているのだが、それを可能な限り先延ばしにしたかったのかもしれないし、

元夫に「離婚は悪いことだ」と、何度も言われてきたので、この手続きを完了させることが悪い事の様に思えてしまったのかもしれないし、

それに加えて、子供たちへの悪い影響がある様に思えて(友人に「もう影響はあるんだから、それは一生背負っていくしかないよ!」と諭された。)、

どうしても先に進めずにいた。

それでも、もうこれ以上引き延ばせない。
意を決して、日本大使館に連絡した。

その週の月曜日に(やらなきゃ。でも、夜じゃなくて、朝にやろう)と思っていたら、火曜日には熱が上がってしまい、その後、しばらく寝込んでいた為、結局、金曜日になってやっとメールを送信した。

そのメールだって、下書きを前日の夜に書いて、朝になって「えいやっ!」と送ったのだった。



大使館からの返信はすぐにあり、来館の為の空き時間と、事前確認の為に書類を先に送って欲しい事が書かれていた。

ここが、自分にとっては乗り越えるべき壁だった。

私が恐れている質問は
「なんでこんなに遅かったんですか?」と、
「親権はどうするんですか?」だった。

手続きが遅くなった理由は用意してあるのだが、実情はただ逃げていただけなので、それを指摘されてしまうと痛い。そうやって、最後の手続きを先延ばしにしていたから、元夫に付け入るすきを与えてしまうのだと、自覚はしているのに、中々改善できないでいる。(カナダのビザの件

親権については、娘が元夫と二人で暮らしているので、もう決まった様なものである。ただ、娘に面と向かってちゃんと話ができていない事と、日本の戸籍上どのようになるのかが(以前、区役所で確認はしたが)気になっていた。

なお、婚姻前の姓に戻したい場合は、期限があるようだが(確か報告後3カ月以内)、私は特にそこまで気にしていないし、むしろ手続きの方が面倒なので戻すつもりは無かった。自分の名前(First Name)が自分の名前だと思っている。



ずっと頭にあるのに、パソコンを開く事も中々できず、意を決してパソコンを開いたら今度はメールを開く前にあれこれ言い訳して別な事をする。しかし、そうやって逃げているから自分が苦しくなる。

「逃げている自分は素敵じゃない、自分が好きな自分になるんだ(大げさ)」と、自分に言い聞かせて、やらなければならないことに手を付けることにした。

そんなことを何度も何度も頭の中で考えて、ものすごいドキドキしながら書類を送ってみた。

必要書類は以下の通り:
①離婚届用紙(大使館にて記入)
②戸籍謄本原本(発行日3か月以内のもの)
③離婚証明書原本(その国の公的機関が発行したもの)
④③の同和訳(自分で訳す)
⑤元配偶者の旅券(表面裏面両方)
⑥⑤の同和訳(自分で訳す)
⑦自身の旅券原本とOCIカード(国によって異なる)



すると、メールしたその日の晩には日本大使館から電話がかかってきた。

一体、何を言われるものかと恐る恐る電話に出てみると、「あ、もしもし、こちら日本大使館ですが、3Kさんですか?はい。あ、どうもどうも、お世話になっております~。」と、ずいぶん丁寧な(そして気軽な)物腰だった。

私はちょと拍子抜けした。

親権について裁判所の書類に記載がないが実情はどうなっているのか?、を聞かれたので、

裁判所は離婚のみを認めており、親権についての記載はない事、
当事者同士(私と元夫)で話し合いが必要であった事、
娘は元夫と一緒に暮らしているので、親権は元夫に持たせる予定である事を伝えた。

日本大使館によると、離婚を証明する書類に親権の記載がないと、届けを出す際にも記載ができないのだそうだ。

「裁判所から親権についての証明書ってもらえそうですか?」と聞かれたので、離婚の手続きだけで3年もかかっている事を伝えると、「ああ~。。。」と返って来た。

それ以上は言わなくても分かってもらえたようである(笑)

戸籍は日本人に固有の制度なので、元夫に娘の親権を渡すと戸籍が分かれてしまい面倒である。あまり明確に親権の話もできていない為、記載しなくて済むのであれば、その方が私にとっては都合は良い。

(注:外国人は登録されるが、戸籍とは別物であると聞いている。元夫はインド国籍だが、娘は日本国籍なので、親権を持たせるとややこしい。)

また、戸籍謄本の期限がメール送信したその日で期限切れ(発行日より3カ月以内)だったのだが、こちらは確認の結果「原本をお持ちであれば、受付可能だとの事でしたので、そのままでよいです」と受け付けてくれた。

ああ~、ありがたい・・・・

その後、住所や日付や名前の記載方法について指摘があり修正した後(細かい、笑)、来館できる状態になったので、ちょうど仕事が休みの11月23日に手続きをしに行って来た。



希望の時間を指定をしていなかったので、15時の予約となった。
結果的に後悔したのだが、何事も役所の手続きは(よく知らない場合は)午前中が良いと学んだ。

大使館に行くのは久しぶりであった。数年前に、子供たちのパスポートを更新して以来だろうか。

入館して呼び出しボタンを押すと、すぐに係の人が出てきてくれた。
予約しており、書類の提出に来た事を伝える、すぐに中の部屋に通してもらい、用意した書類のコピーを取るために中に入って行った。

その間に離婚届けを記入する様に言われ、記入の見本と共に渡された。

実際に記載しようとすると、色々な不明点が出てきた。

戸籍を戻す、新しく作るってなんだ?
私の場合、親権についての記載は必要か?

その上、久しぶりの手書きの書類記入に緊張して、手が震える。
ただでさえ、きれいに書けないのに、手の震えにより、さらに汚くなる。

ああ・・・ペン字を習って置けばよかった。。

その上、日本の書類の記入は妙なルールがある。

ハイフンは使わない。(XX番地、XX号、などと記入する)
アルファベットも使わない。(エー、ビー、シー、などカタカナで記入)
住所は、国、州(県)、市・・・の順番で書く。(海外の住所をこの書式で書くと、一瞬迷う)

しばらくして、コピーを取って戻ってきた係の方に、いくつか質問をすると、「聞いてきます。」と書類を持って、再び中に入って行った。

離婚の証明書として裁判所のDecreeの翻訳も提出するのだが、それらにも訂正が必要だと言う。

私が離婚届けを記入している間に、再度、原本と比較して鉛筆で手直しが入っていたので、それをなぞる。例えば、
ジョ→ジャの誤り(名前の表記が戸籍通りではなく、二重線で訂正)
(XXによると)、(XXX法、第XX条、(1)に基づき・・・)など、翻訳が漏れていた細かい点を、記入する。
表現のゆらぎを統一する。(例:ヒンズー教、ヒンドゥー教、など)

二重線で訂正した部分については、右手親指で拇印を押す。

一通り記入し、訂正もできたようなので、書類を揃えて、係の人は再度中に入って行った。(その間に、何度か確認のやり取りがあった。)



15時の予約で、書類を確認して提出して終わり、と思っていたので、せいぜい30分で済むと思っていたが、この時点で既に16時半になっていた。

その間に、トイレを借りて、部屋の中にある張り紙を見たり、座って黙って待っていたが、段々飽きてきて、スマホを見始める。17時になってもだれも来ないので、呼び鈴を押して聞いてみると、「今確認中なので、もう少し待ってください。17時半までには終わると思いますから。」と言われ、しぶしぶ席に戻る。

後30分で帰れると期待し、本を読んで待っていたが、早めに出てきて、歩き回って待っていた事と、それまでの緊張の糸が切れてしまったのか、気が付いたら寝てしまっていた。

17時半になると、学校のチャイムの様な音が鳴った。
しかし、誰もやってこない。大使館から家までは結構あるし、暗い時に一人で出歩くのが実は怖いのだが、ここで中途半端に家に戻っても手続きが終わるわけではない。遅くなっても手続きを済ませてしまうしかない。

駐車場が空いているかどうか微妙であったので、最寄りの大きな駅に車は置いてきたのだが、こんなに遅くなるなら、ここまで車でこればよかったと後悔した。そして予約時間も。

18時近くになって、やっと係の人がやって来て、「ごめんなさいもう少し訂正があります。」と言い出す。なんと、離婚証明書のDecreeを一字一句まで確認していたようで、再び同じ様な訂正作業をする。

確認の為に事前に提出していたのに、これは事前に指摘してはもらえなかったのか??

と、思ったが後の祭り。もう言われるままに提出するしかない。

ちなみに、上記の私の質問に対する答えとしては、

戸籍を戻す、新しく作るってなんだ?
→私の場合は、結婚時に苗字を元夫と同じにするため、私を筆頭者として新しい戸籍を作成している。そのため、特に記入は不要。

私の場合、親権についての記載は必要か?
→冒頭にも記載した通り、離婚の証明書に親権についての記載が無い為、記入ができない。(よって、娘だけ別の戸籍になる事はない。)

ちなみに、裁判で離婚が決定した場合の、報告期限は10日以内であった。

幸いにも何も言われなかったが、仮にこれを知っていたとしても、裁判所の判決が出てから、証明書を受け取るまでに1カ月以上かかっているので、そもそも無理な期限である。大使館側も日本以外はムリだと分かっているのかもしれない。


遅くなってしまい、入って来たゲートが閉まってしまった為、領事が自ら正面玄関まで送ってくれた。

係の女性の方もインドに15年もいらっしゃるそうで、玄関まで送ってくれた領事も「予想通りにいかないのがインドですよね」と言っていて、何か印象的であった。

家に着いたのは夜の9時近くで、久しぶりの外出、緊張の為、へとへとだった。


今回報告した離婚の戸籍への反映には1,2ヶ月程かかるそうだ。

特に文句を言われたり、受付できないなどという事はなかった。書類の記入に時間はかかったが、私が怖がっていた様な事は何もなかった。

たったこれだけの事になぜそんなに怯えていたのかが分からないが、とにかくこれで離婚手続きは無事に完了した。

インド側の離婚の決着がついてから、「日本側の手続きも含めて今年中に」と思っていたが、それもやっと終わった。引き続きインドに残るつもりでいるので、残りはビザの手続きだけだ。

先日、息子にはちゃんと電話で離婚した事を報告したし、元夫には離婚を取り下げるつもりは無いと伝えているので、人生の第2章(子供時代が第1章)が終わりつつあると思う。

さあ、人生の第3章を始めよう。



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