病院の看護師をしていたら境界性人格障害(ボーダー)と診断された私。

初めまして。

介護の現場に入って15年以上になります。

病院の看護師から介護の現場に入り、デイサービスや施設のケアマネ、施設の立ち上げなど様々な仕事をしてきました。

実際に経験したことなどあれこれ記録していこうと思います。

※名前は仮名です。フィクションです。


病院での勤務時代

専門学校を卒業した後に、学校の系列の病院へ就職。

「実習の時の先輩看護師のようになりたい!」と思ったのは最初の1か月くらいでした。

プリセプターとの出会い

看護の現場では、先輩看護師が新卒の看護師の教育をする(面倒を見る的な)プリセプター制度があります。

私は20年位前に新卒として病院へ入職しました。最初の配属先は外科病棟。

「どんな先輩が教えてくれるのかなあ、優しい人だといいなあ」と新しい環境への期待を胸に配属先へ。

私には3年上の小林先輩がプリセプターとしてついてくれました。

入職してから分かった病棟独自の人間関係

新卒として働き始めたばかりは、病棟の人間関係なんて分かりません。

そして何より怒られないように日々の業務についていくのが精いっぱい。

同時配属された同期が先輩にいろいろと言われているのを見ては、「チームが別で良かった」と思っていました。

私が配属された病棟では、AチームとBチームの2つがありました。

チームは真ん中にあるナースステーションを区切りにして、左右で部屋を分けていました。

Aチーム:独身お局が比較的多い。他の先輩看護師も厳しい。
←同期が配属

Bチーム:比較的若いが、既婚の先輩も多い。でもお局クラスもいる。
←私が配属

10年OVERのお局佐藤さんが最も権力を持っている。

何なら師長より強いお局さん。

ただし、経験値も高く、看護師としてのレベルはかなり高いと推測される。

そのCさんを中心に病棟が出来上がっている。ちなみにCさんを取り巻く人たちもみんな独身お局クラスである。

分かりやすく言うと、ジャイアンとスネ夫の関係。スネ夫が病棟の看護師の半分を占める。

私のプリセプターは半年で退職した

私のプリセプターの小林先輩は、私が入職してから半年で退職しました。

表向きの理由は実家に帰るから。裏向き(噂ですが)は人間関係に耐えられなくなったから。

Aチームのプリセプターはお局佐藤さんの直属の手下。だから守られている状態。

私のプリセプターはお局佐藤さんに表向きは合わせているが、スネ夫みたいに世渡り上手ではなさそうな雰囲気。

同じチームにスネ夫がいっぱいいるから多分大変だったと思う。

入職~1年目

とにかく仕事を覚えるために必死だった。

その中で一番覚えているのは、入職して1週間目くらいに看取りの患者さんがいたこと。

亡くなったのは夕方の退勤時間だった。小林さんから「帰っていいよ」と言われていた私はその言葉を受けて帰ろうとしていた時だった。

先輩看護師の沢田さんから「エンゼルケア入りなよ」と言われた私は、「どうしよう、早く帰りたいのに」という気持ちを前面に出してしまった。

これがのちのトラブルのもとになることも知らずに…。

翌日出勤すると、小林さんの元気がない。他の先輩看護師から「何か沢田さんと佐藤さんから言われたみたいだけど、あんた何かした?」的なことを聞かれたような記憶がある。

私は正直に昨日の出来事を話をした。「そりゃあんたが悪いんじゃないの」と言われ、「定時に帰っていけないのかよ」と思ったよね。

私もその後、沢田さんから「新人のくせに先輩の言うことを聞かないなんてなってない」とお叱りを受けた。

理不尽さに3年働いたら退職しようと決めた。

ちなみに当時3年で学生時代の奨学金がチャラになるシステムでした。

正直1年目の思い出はこれが一番だったかもしれない。

他にインパクトがあったのは、お腹に包丁が刺さっていた人(自分で刺した)、通り魔的なやつで全身刺された人です。

2年目

2年目には後輩が2人配属され、その他に自分と歳が近い金子ちゃんが入職したこと。

ただし、同じチームの後輩の村山ちゃんはすごくできる子で、人間的にも愛されるキャラだったので必然的に私は微妙な立場になった…。

村山ちゃんと金子ちゃんはそんな私とも仲良くしてくれ、一緒にディズニーへ旅行したり飲みに行ったりすごく楽しく過ごすことができた。

今はどうしているか分からないけど、私が退職するまでずっと優しくしてくれたことは本当にありがたかった。

2年目の思い出は、その村山ちゃんが深夜で私が準夜の時に、急に呼吸抑制が来た患者さんがいて、4人部屋からステーション隣の部屋にベッドを走って移動させ、初めてのコードブルーをしたこと。

その時に佐藤さんも一緒だったんだけど、その時はてきぱきと対応をしてくれた。

落ち着いた時に「動き良かったよ」と言ってくれたことはただただ嬉しかった。

その後も「新しい子の方ができるよね」とかいろいろ先輩に言われたけど、「くそばばあ」としか思わなかったかな。

今だったらSNSで愚痴ったり相談できたりするけど、その頃はインターネットも有線の時代。

今のように気軽に相談できない環境だったから、我慢することが多かった。

後は先輩が言ったことは当たり前、その通りに動くのが当たり前。

今だったらその頃の私に「もっと先輩に弱みを見せたら良かったんじゃないかな」と言えるけど。

3年目

そんなこんなでいろいろあったけど、3年目の冬に異動の話が出た。

働いていた病院では、外科→内科(循環器とか呼吸器とか)は出世するとかできる人しか異動にならないんだよと言われていた。

まあそんなことはなかったんだけど…。この3年目の異動が私の人生を大きく変えた。