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自由律 #07

カメラ売り場で覗き見られている

冷たい手で腫れた目を冷やす

100年経てば私も君もいない

資格の本がたくさん捨てられている

大盛りにして一人自爆


最近は一日一食生活をしている。

お金がないと言うのもあるし、時間がないと言うのもあるし、食欲がないと言うのもある。ないことに溢れている。ないと言うことばかりがある生活だ。

社会に当たり前に受け入れられている朝昼晩と三食取る習慣。日本で広まり始めたのは江戸時代後半といわれており、それまでは力仕事をする人などを除き二食が一般的だったらしい。それが菜種油などを使った明かりの普及や娯楽の広がりなどで一日の活動時間が延び、次第に三食取るようになった。明治期以降は人々が時計に合わせて生活するようになり、三食が定着した。

実家にいた時は三食用意してもらっていたので三食食べていた。しかし、一人暮らしを始め、お腹が空いたらご飯を食べる、と言うように食欲に素直に生活してみると、僕は一食で十分のようだった、

とはいえ、エネルギーを補給しないと体は持たない。だから、その一食でたくさん食べる。大盛りを食べる。胃の容量が大きくはないため、毎回苦しくなりながら食べる。

注文時には余裕だろうと高を括って大盛りにして、食べている最中に後悔する。やっと食べ終えた時に次からは地に足をつけて並盛りにしようと誓うのだが、次の食事の時にはその誓いは忘れられている。人自爆するループを繰り返している。


日本で三食を取る習慣が定着した経緯を無駄に詳しく説明した。というのも、本日「菜種油」という単語を生活の中で三回も目にするシンクロニシティが発生し、折角なのでこのことを忘れないよう「菜種油」が登場するエピソードに託けた文章にしようというところを出発点に書き始めた次第なのである。


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