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楽しさの積み重ね

学校教育の中で、和楽器を体験させる為に大量生産された三味線を中学校の授業の中で触ったことがあります。
それはとても粗末なもので、棹なんかはプラスチックみたいなものであって、メンテナンスなどもわからないのだから、棹が糸の張力に耐えられずしなやかにしなっていました。
皮も合成のもので、三味線とは思えない音を出していて、これを用いて和楽器の魅力を伝えてくれというのはなかなか難しかったです。

日本人だから日本文化をというのは間違っていないのですけど、誰かに伝えるということは、事前に勉強しておくことというのがとても大事だと考えてます。だからこそなんですけど、思い込みというのが僕からしたらとても怖いなと思うんです。

伝統のとか、何百年続けているというのは、表現としては悪くないのだけれど、そこに縛られている感はどうしてもあります。
〜なければならない
というのは子どもにとってはとても嫌なものなんですね。これ、大人になると何故か忘れてしまって、自分の子どもに強要してたりする事無いですか?僕はありますよ(^^;

伝えるのは楽しい事。
何百年も続いているのは、それが昔の大衆に支持されていたからこそ、続いているんですよね。
うなぎ屋のタレとかも。あ、うなぎが食べたくなりました。
そう、美味しさも伝統だったりします。だからこそ、長く続く寿司屋もあるわけで、そこで簡略化されると、ぺろぺろする人達が現れるのです。

美味しいも、楽しいも、結局はこれが続けていけたら良いなぁということであって、それを高尚に謳われたりするのは、その当時の人達の本意ではなかったんじゃないかと思うのです。

伝統は楽しいを継続させた結果です。

そんなこんなで、山影54歳になりました。
楽しさ追求して20年。
これからも頑張ります。

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