見出し画像

共感性と想像力を磨くということ

毎日を生きていくために必要なスキルって何だろうと考えた時に、僕が真っ先に思いつくのは「共感性」と「想像力」で、他にもたくさんのスキルが必要ではあるけど、この二つは特に推したいと考えている。

共感性が強ければ、周囲の人たちの感情を推察し、彼ら彼女らが感じていることを自分が感じていることであるかのように、自分の身に置き換える事ができる。これはコミュニケーションを取る上では重要な事で、その人がどう感じるか?とか、その人がどう思うか?を気にしながら話をしたり、聴いたり出来るので相手からも信頼をされる可能性が高まる。

例えば自分が悲しい気持ちでいる時、誰かと一緒にいてその気持ちをまるで理解してもらえずに話をされたら、それは辛い事だと思うし、この人には自分の気持ちが分かってもらえないと感じるようになる。その経験はその後の人間関係にも少なからず影響を及ぼすかもしれない。逆に分かってもらえた時はどうだろうか?詳しく事情を説明しなくても、自分が悲しい気持ちでいる事を相手は理解してくれていて、それを前提に優しくしてもらえたら、とっても嬉しい気持ちになるのではないだろうか。共感性にはこういう効用がある。

共感性を論じる時に少し注意しなければいけないのが、共感と同感の混同だ。これは言葉の使い方とその意味を正しく認識すれば回避する事が出来るので少し解説したい。

まず「同感」というのは、同じ状況下において、同じ体験をし、同じ感じ方をすることを言う。たとえば、誰かと一緒にる時に雨が降ってずぶ濡れになり、寒い思いをしたとする。その時に一緒にいる誰かが身体の芯まで冷え切った状態で「寒くて死にそう」と呟いた時、自分も「寒くて死にそう」と感じて「本当にそうだね、寒くて死にそう」と同意する。これが「同感」するという事である。このケースの場合、仮に自分がそこまで寒く無い場合には「同感」できない事になるので、「そこまで寒くない」と答えるしかない。これをストレートに伝えるとひょっとしたら相手に嫌な思いをさせる可能性が高い。

逆に自分が空調が効いた快適な環境下にいる時に、誰かが雨でずぶ濡れになった感想をSNSとかに書き込んだとする。それを見たタイミングでずぶ濡れになった人の状況を「想像」し、その感情に寄り添い「本当に大変だったね、それはきっと寒かったと思う」と感じるのが「共感」するという行為だ。ここで求めらえるのが「雨に濡れて寒い思いをする」という事がどういう事かを思い浮かべる事ができる「想像力」である。

こうした「想像力」が働ければ前述の同感しかねるパターンでも、相手の状況を類推し、口から出たコメントに対して相手を慮ったコメントをする事ができる。共感性に必要なのはとにかくイメージする力=想像力なのだ。

前置きが長くなったけど、人間は十人十色だし感じ方もモノの見方も考え方も表現の仕方もみんな違う。同じ状況下においても完璧に「同感」するというのは難しいケースのほうがほとんどだ。これだけ見ると世界は分かり合えない事のほうが多そうで、なんだか生きづらいと感じるかもしれない。それを繋いでいるのが「共感性」であり「想像力」だと僕は思っている。

ただし想像力を育むのは本当に難しい。自分の理解を超えたモノは当たり前の様にたくさんあるし、その全てを想像できるかと言われるとなかなか困ってしまう。でも想像するコトをやめてしまったら、相手を理解し自分を理解してもらうという人間的なプロセスから自分を遠ざけるコトになってしまう様な気がする。だからこそ「想像する力」を磨き続ける必要がある。

共感性と想像力を養うために何をすればいいのだろうか?これは人によって、それぞれのやり方があると思うけれど、僕は以下の3点を気にかけている。

物語をたくさん読むこと(小説、漫画、ドラマでも映画でもなんでもいい)
人の感情を知ること(周囲の人の喜怒哀楽に興味を持つこと)
感情の前後に何が起きていたのかを理解すること(コンテキスト理解)
他人とコミュニケーションを取ること

そんなに難しい事ではないけれど、意識して何回もくり返す事が大事だと思う。正解はないけれど、色々なパターンを知る事でコミュニケーションに還元されてくると思う。ただ一点注意しなければいけないのは、誰かに共感し過ぎると自分自身の意思や感情、視点がぼやけてくる危険性があることだ。これを回避するためには自分の立ち位置や思想、哲学といった「拠り所」をしっかり設定しておく必要がある。これはまた別の機会に記そうと思う。

今日はこのへんで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?