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「駅名」という固有名詞の不思議さ

 「やほ」というのは駅の名前です。
 神奈川県川崎駅から東京都立川駅をつなぐ、南北に通っている南武線という路線の中の駅です。

Q:「平地にあるのに、山の上にあるような駅はどこ?」
 えーと。
A:「やほ駅(やっほー)(谷保駅)」。

 私事ですが、首都圏に生まれ、小学校2年までを過ごし、そのあとは、中部地方に転校し、小学校6年の2学期まで、そこで暮らしました。

 昔は、小学生の学年ごとの雑誌というものが存在して、そういう雑誌の付録に「クイズ本」みたいなものがよくついていました。その中の、1行しかないような「クイズ」をよく読んでいて、駅名に関するクイズ(ダジャレみたいなものですが)もありました。中部地方にいる時の小学校2年から6年くらいの間に、そうしたものに興味が強かったように記憶しています。

Q:「何時についても、9時の駅は?」
A:「くじ駅(久地駅)」。

Q:「その駅の名前を聞いてはいけない駅は?」
A:「きくな!(菊名駅)」。

 記憶も遠くなり、あいまいになっていますし、クイズのクオリティとしては、どうなんだろう?とも思いますが、確かに、そんな小さいクイズがありました。そして、自分の中では、そういう駅の名前は「クイズ駅名」となっていました。

 久地駅は、谷保駅と同様に南武線の駅で、菊名駅は、2つの路線が通っています。東京の渋谷駅と横浜駅をつなぐ東横線と、横浜の東神奈川駅と東京の八王子駅をつなぐ横浜線です。


「クイズ駅名」

 小学校2年までは、首都圏に住んでいましたし、こうした駅に降りたり、通り過ぎたりしたこともあり得たのですが、中部地方に住んでいる頃は、まったく憶えていませんでした。また、自分自身が、賢さに欠けていたこともあり、自分が昔住んでいたところとの、そうした「クイズ駅名」の駅との位置関係も、よく分かっていませんでした。

 中部地方から首都圏までは何百キロか離れていて、小学生が4年もその土地に住むと、そこにかなりなじんでしまうので、首都圏は、気持ち的には、遠くなっていました。

 そんな中で、クイズになってしまうような駅名があることが、なんだか、うらやましく思っていました。その近くに住んでいたり、通り過ぎたりする人は、時々でも、「この駅には、何時についても『くじ』だよね」とか、「ここの駅名を聞かれたら『きくな!』と言いたい」とか、思ったりしないんだろうか、などと、勝手な妄想をふくらませていました。

 だから、子供の頃の自分にとっては、微妙なあこがれの地でした。

しぼむ憧れ

 首都圏に戻ってきて、中学も高校も大学も、それからあともずっと首都圏に住んでいます。

 南武線に乗って、初めて「久地駅」や「谷保駅」を通った時は、ちょっとだけ、「あ、ここがあの駅か」と心の中で小さく思ったりしたこともありましたが、当然ですが、特に何かがあるわけでもなく、そういうクイズが刻まれた石碑みたいなものもなく、だから、微妙なあこがれも、小さくしぼみました。それは、何かを期待するほうがおかしいのですが、小さいとはいえ、あこがれが育った時間があった、ということかもしれません。自分がそれだけ愚かだったような気もします。

 菊名駅は、大学時代は、毎日のように通っていました。車内のアナウンスで「次は、きくなー、きくなに止まります」みたいな言葉を聞いていましたが、すでにその頃は、何度か来ていた駅ですし、一番最初に来た時は、「これが、あの、きくな!か」と、他の人とは共有しにくい思いがあり、同時にそこで小さく憧れがしぼむような感触もあったような気がしますが、日常的に利用していると、そうした気持ちになることは2度となかったように思います。

 きくな、という駅名を聞いても、あ、急行に乗り換えないと、とか、横浜線に乗り換えるんだった、みたいな実用的な思考しか刺激されなくなり、当たり前だけど、「この駅の名前をきくな!」といったクイズがあったことも、それを通して小さく憧れていた記憶も、薄れる一方だったように思います。


 それでも、時々、自分の生活圏内から遠いところの駅名で、心の中で、勝手にクイズを組み立てて、こういう駅を利用している人に対して、微妙なうらやましさが起きるような癖は、長く自分にありました。

 これも、地元の人には申し訳ないのですが、以前、出張などで大阪に行く時、新大阪で降りて、そこから電車に乗り、次の駅で乗り換える時、その名前が不思議に感じ、ここは「クイズ駅名」になるのではないか、と思うことがありました。

 Q:「方角などの名称が、ほぼ全部乗せの駅は?」
 A:「西中島南方」

外出自粛期間のあとで

 こうした「クイズ駅名」といった名前は、自分が勝手に作った言葉で、それも、自分自身でさえも忘れていました。

 今年に入り、コロナ禍の中で、少し前と比べたら、外出の機会が減りました。
 
 というよりも、感染拡大予防のために、自分自身で、外出しないようにしていましたし、途中で外出自粛という時期までありました。今までも、これからも、なるべく外出を控える時間は、まだ長く続きそうですが、そのため、電車に乗ることに対して、ちょっとだけ新鮮さが蘇ったように思います。

 そして、本当に久しぶりに南武線に乗り、久地駅や、谷保駅を通って、とても昔の、駅名だけで、ちょっとわくわくした気持ちが、自分の心の中の遠くに、再び見えたような気がしました。


「遺跡駅名」 遊園地編

 その施設が近くにあり、その施設名が駅名になった駅は、かなり多いような印象があります。
 
 自分の生活圏の近くで、申し訳ないのですが、そのことで、思い出すのが、「多摩川駅」と、「二子玉川駅」です。

 多摩川駅は、東急東横線と、多摩川線が通っています。多摩川線は、蒲田駅と多摩川駅をつないでいます。元は目蒲線の一部で、蒲田から目黒までつながっていましたが、今は、目黒線は日吉駅から、目黒駅をつないでいて、目蒲線は、2つに分かれたようなイメージです。ただ、それを知っている人も、当然ですが、どんどん少なくなっていきます。

 多摩川駅の名称は、何度か改称されているようです。以前は、多摩川園でした。それは多摩川園遊園地が、この駅のそばにあったからで、1979年に多摩川園遊園地がなくなってからも駅名だけは残り続けました。

 そういう、元はあった施設がなくなっても、駅名だけが残り続けるのを、勝手に「遺跡駅名」と名付けたいくらいです。周囲の状況の変化と、不動のままでいる駅という存在とのズレが、生じさせる現象だとも思うのですが、それも、2000年に多摩川駅になりました。それは、最初にこの駅が出来た時の名称に戻ったということでもあったようです。

 二子玉川駅も、名前が何度か変わっています。
 この駅も二つの路線が通っています。渋谷駅から、神奈川県の中央林間駅を結ぶ田園都市線と、二子玉川から大井町駅を結ぶ大井町線です。

 この駅のそばにも、以前は二子玉川園という遊園地があり、それにちなんで、二子玉川園という駅名でした。1985年に遊園地は閉園になったのですが、駅名は変わらず、しばらく「遺跡駅名」だったのですが、2000年に現在の二子玉川駅に改称され、「遺跡駅名」ではなくなりましたが、この駅名も昔の名前に戻る、ということのようでした。

 鉄道会社と住宅街の結びつきは強いですが、全国の歴史を調べ直せば、鉄道会社との縁が深い、地域の遊園地が、想像以上に数多くあったのではないか、と思いました。

「遺跡駅名」 学校編

 駅名の元になっていた学校名そのものが、世の中からなくなっても、そのまま今も駅名だとすれば、「遺跡駅名」の純度でいえば、かなり高いといえますが、そういう存在として、都立家政駅があることを、恥ずかしながら、今回初めて知りました。

 西武鉄道新宿線の駅です。西武新宿駅と、埼玉県川越市の本川越駅を結ぶ路線の中にあります。

 ここには、以前、東京都立中野高等家政女学校があったことでつけられた駅名ということのようですが、その家政女学校は、現在、東京都立鷺宮高等学校になったので、都立家政、という駅名は、存在しない学校の名前をそのまま後世に伝える、という意味でも「遺跡駅名」と言ってもいいのでは、と勝手ながら思いました。

「遺跡駅名」の最高峰

 おそらく全国をくまなく調べれば、もっとすごい「遺跡駅名」がありそうですが、どうしても自分の生活圏にあって、個人的に知っているところが頭に浮かんでしまい、そして、個人的には、少なくとも学校に関係した「遺跡駅名」の最高峰と勝手に思っているのが、「都立大学」と「学芸大学」コンビです。

 東急東横線沿線で、しかも、この2つの駅は、隣接している上に、どちらも、駅の名称になっている大学は、現在は、その駅近辺には、ありません。

 学芸大学駅が最寄駅だった学芸大学は、1964年に東京都小金井市に移転になったので、もう50年以上、「遺跡駅名」といってもいいのですが、東京学芸大学付属高等学校は、今も最寄駅のままです。それも、名門高校ということもあり、ここを「遺跡駅名」と呼ぶのは失礼で反発を招きそうですが、一応は、大学はないということで、「遺跡駅名」といってもいいのではないか、と思いますが、どうでしょうか。


 それよりも隣の都立大学駅は、かなり珍しい状況の「遺跡駅名」なので、勝手ながら、個人的な縁(リンクあり)もあり、最高峰だと思っています。

 この駅を最寄駅とする東京都立大学があったのは、1991年までで、その後、多摩ニュータウンへ移転したので、学校がなくなったのに、駅名は変わらないという「遺跡駅名」になりました。
 さらには、東京都立大学は2005年に首都大学東京に改名されたため、その時から、都立家政駅と同様に、今は世の中に存在しない学校名を駅名にしているという純度の高い「遺跡駅名」となりました。

 ただ、さらに、2020年の4月から、首都大学東京は、再び東京都立大学に改称したため、「遺跡駅名」としては変わりがないものの、存在しない学校名での「遺跡駅名」ではなくなる、という変化をしています。

 そういう不思議な変化をしているという意味でも、「遺跡駅名」として、「学芸大学」と並んでいるということも含めて、「遺跡駅名」として最高峰ではないか、と思っています。

 受験シーズンになると、東横線の学芸大学駅では、「ここに学芸大学はありません」といった注意喚起をしている、ということを聞いたことがありますが、一時期は、そうしたことと無縁だった都立大学駅も、もしかしたら、来年の受験シーズンから、そうした作業が必要になるかもしれません。

日常的ということ

 駅は利用する場所であって、日常的に存在するものなので、たとえば、今までのごちゃごちゃした話をしても、そんなに強く反応してくれる人はいません。そして、私の知らない遠いところで、もっとすごい「クイズ駅名」「遺跡駅名」が存在するのだと思います。

 だけど、鉄道マニアでなければ、全国の駅名を知っている事は少なく、もし知っていたとしても、「クイズ駅名」とか「遺跡駅名」とか、違う視点で見ないと、そういう駅名があるかどうかは、分かりません。

 それに、実際にその駅を使っている人が多い、自分と生活圏の近い人間に、こういう話をしても、当たり前に日常的にある、駅という施設名に対して、「それで?」という反応が一番健全な気もします。

 だから、この話も、もしかしたら、「谷保駅」や、「都立大学駅」から、遠い場所の人のほうが、興味を持ってくれるかもしれない、という希望を持って、こうして書くことにしました。

 鉄道や駅に関しての知識はかなり少ない方なので、もし駅名や駅などに関して、もっとすごいことや、不思議なことがある、といったことをご存知の方がいらしゃったら、教えていただければ、幸いです。


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