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「全米女子オープン」解説・岡本綾子が現役だった1986年のこと。

 2021年の4月に松山英樹がマスターズに勝った。
 日本の男子ゴルフプレーヤーがメジャーを勝つ日が来るのは、どこか夢のようだった。

2021年 全米女子オープン 日本人選手優勝

 6月になり、全く覚えていなくて、注意もしていなくて、それは失礼なことだと思うけれど、突然、ニュースで、今度は全米女子オープンで日本のプレーヤー笹生優花が優勝したと知った。しかも、最後は日本のプレーヤー同士プレーオフだったと聞いて、大げさだけど、現実のこととは思えなかった。

 地上波のテレビ中継もなかったから、マスターズのように解説者が涙した、といった劇的な出来事があったかどうかはわからなかったが、それでも、岡本綾子がこの全米女子オープンの中継を解説していたと知り、その役割は、この人以外には考えられないと思った。

 日本人同士によるプレーオフの途中には、テレビ解説で「なんか、US女子オープンじゃないみたい、夢を見ているみたいですね」と話していた。

1986年 アメリカ

 とても個人的で、しかも昔の話だけど、今から35年前の1986年、私はアメリカ大陸にいて、プロゴルフの取材をしていた。スポーツ新聞社に入社2年目で、6月から7月にかけて初めての長期海外出張で、1ヶ月半。アメリカでは女子ゴルフ。7月の末にはイギリスへ行き、男子の全英オープンを取材する予定だった。

 初めての本格的な海外取材で、まだ経験も浅いものの、アメリカでは岡本綾子がアメリカ常駐で戦っていたので、岡本中心の取材になっていた。それまで先輩記者の人たちが、信頼関係を作っていてくれたおかげもあって、こちらの能力不足はあったといえ、それほど大きいトラブルもなく、1週間ごとにアメリカ大陸のあちこちを取材して、1ヶ月くらいがたっていた。

 朝から甘いパンを食べたりすること。中華料理屋はアメリカにも広くあるものの、「ホット」を連発して、かなり辛くしてもらわないと、甘い料理になってしまうこと。ゴルフ場ではホットドッグを売っているが、日本人にとっては「ハダ!」と発音するような気持ちでいかないと、ダイエットコークが出てきてしまう、といった日本で教わった注文方法のこと。

 そんなあれこれにも慣れてきて、そして、すごく未熟だけど、スピードあるアメリカの英語も少しだけ分かるようになってきていた。

 私自身は、恥ずかしながら、まだゴルフのことがよく分かっていなかったのだけど、岡本綾子というプロゴルファーのスイングは、とてもスムーズで、美しいのは分かった。そして、細かいことには動じない気配もあり、どこか怖さもあったが、それでも、きちんと取材に応えてくれた。写真部のカメラマンとはもっと距離感が近いこともあり、一緒に焼肉屋に行ったり、私が持って行った髪を切る用のハサミを貸すようなことはできるようになった。

 それは、まだ未熟で、至らないところがたくさんある記者に対して、岡本氏の方が、気を使ってくれたのだろう、と思う。同時に、とても繊細な人ではないか、というような印象も時々感じていた。

 今、考えれば、そうした要素がなければ、超一流になれるわけもないのだけど、まだ色々な意味で「分かっていない」記者だった。

1986年 全米女子オープン

 それまでの試合は、日本からの取材陣は少なかった。私よりもはるかにベテランの記者の方もいて、とても親切にしてもらったが、7月の全米女子オープンになったら、記者の数は急に増えた。

 オハイオ州デイトンという場所で大会が行われ、そこはライト兄弟のゆかりのある土地だったから、飛行機がデザインされたTシャツも売っていた。(お土産として買った)。

 ゴルフの大会は、4日間ある。

 岡本綾子は、3日目を終えて、1打差の2位。絶好のポジション。 

 最終日は最終組でのスタート。
 取材陣の中では、優勝するのではないか、という話になっていた。

 最終日のプレーは進む。濃密な時間に感じていた。
 18番ホール。
 
 岡本綾子は、まだ優勝争いの中にいた。
 最後のパット。これを沈めれば、トップの二人の選手と同じスコアになり、翌日のプレーオフに進むことができる。

 そのパットは、届かなかった。
 
 試合後、3位に終わった、岡本に話を聞く。
 誰よりも悔しいはずだけど、淡々と話をしてくれたように感じていた。

 去り際に、「弱いね、わたし」とつぶやくように言った。目には涙がたまっていたと思う。

 翌年、岡本綾子は、全米女子オープンで、トップでホールアウトし、3人でのプレーオフに臨んだ。その時は敗れたが、2位となり、1986年の3位を上回った。さらに、同じ1987年には、アメリカ人以外で初めての賞金女王になった。

 私は、すでにスポーツ新聞社を辞めていて、直接、取材にも関係できなかったが、とてもすごい選手だと、改めて思った。

2021年 全米女子オープン

 それから随分と時間が経ち、岡本綾子氏は、レジェンドと言われる存在になっていた。

 私は、全く違う分野で生きていて、ゴルフのこととも縁遠いままになっている。それでも、岡本氏が、今は、ゴルフの指導の分野でも実績をあげていることを、ゴルフ好きな人から聞いたりすると、少し嬉しいし、そして、今回の日本人選手の優勝に、テレビ解説で関わっていることを知ると、やっぱり何かホッとはする。

 松山英樹のマスターズ優勝が、これまで戦ってきた日本人男子選手を救ったと思う。

 女子ゴルフの世界では、樋口久子、渋谷日向子がすでにメジャーを勝ち取っているから、その意味合いは違ってきているとは思うものの、外から見ているだけでは決して分からないはずの、心身を削るような戦いをしていて、それも、届きそうで届かなかった岡本綾子氏にとって、今回の全米女子オープンに日本の選手が勝ったことで、どんなことを思ったのだろう。

 どうやら今も、自分の思いや気持ちを、率直に出すタイプではないようなので、涙を見せたりしないかもしれないが、その思いは、もう少し知りたい気はする。

1986年 日本人選手の涙

 1986年は、岡本綾子がメジャーに届かずに涙を浮かべていた後に、イギリスに渡り、そこで、全英オープンで最終日最終組でスタートし、敗れた中嶋常幸が大粒の涙を流していた場面を取材していた。

 それから35年が経ち、2021年の同じ年に、マスターズと全米女子オープンの両方で、日本の選手が優勝し、その試合を、どちらも実際にメジャーを戦っていたレジェンドが解説をしていた。

 そんな不思議な年になった。
 それは、これだけゴルフから縁遠くなってしまった人間にとっても、やっぱり、うれしいと思えることだった。



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