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ドラマ 『だが、情熱はある』。------「説得力のあるサクセスストーリー」

 毎週、「あちこちオードリー」は楽しみにしていて、録画して妻と一緒に見て、笑いながらも、感心する。そのサイクルは、今も続いていて、夏の配信のイベントには、Tシャツも購入して、視聴している。

 若林正恭の著作は、ほぼ読んでいる。

 土曜日の深夜のラジオは、時々、聞いて、ほぼトークだけで今も続けていることに、敬意も感じている。(話している側は、そんな思いを持ってほしくはないだろうけれど)。

 気持ち悪い、で売り出していて、途中から、それよりも才能の方が前に出だして、考えたら、南海キャンディーズの漫才は、「ぺこぱ」以前に、実は「誰も傷つかないスタイル」をしていたことに気がつくと、その凄さは、改めてわかってくる。

 山里亮太の著者は、誰にでもありそうで実は稀なことを、ここまで正確に書ける技術と、書こうとした覚悟もあるので、書き手としても優れているのは、伝わってくる。

 幸せになりながら、朝の帯番組まで担当し始めたから、本当に大御所になっていくのだろうという予感もある。

 本当に熱心なファンから見たら、ぬるいのは分かっているけれど、特に若林正恭と山里亮太の「たりないふたり」も、本来ならば組まない、違う団体の「期待の若手」という意味でもすごいことだった。

 おそらくは、時間が経つほど「あの二人が組んでいたなんて」などと、伝説のように高く評価されるのだろう、くらいのことは思っていて、だから、今回のドラマ化も、楽しみにしていたし、この二人が中心になる物語ができることは、どこかで当然のようにも思っていた。

「だが、情熱はある」

 番組のオープング曲がかかる前に、日テレの水卜麻美アナが、このドラマのナレーションをしている。(言葉の内容が、多少、違っていたら、すみません)


これは、二人の物語。何者かになりたくて、でも何者になればいいかわからない。
だが、こっからと、もがき続ける本当の物語。
だけど、断っておくが友情物語もなく、サクセスストーリーでもない。
そして、ほとんどの人に置いて、全く参考にならない。
だが、情熱はある。

 微妙に屈折している紹介でもあるし、それは、この物語のモデルでもある二人であるオードリー・若林正恭と、南海キャンディーズ・山里亮太とフィットしているとは思う。

 それでも、ドラマが進んでいくたびに、これは、現在は二人ともいわゆる「売れっ子」になっている、という歴史を動かせないから、結局はサクセスストーリーになっていくのでは、という気配は強くなってきた。

 だけど、もちろん、そんなにストレートな話ではないのは、実際が曲がりくねっていたから、と思うようになってくる。



(※ここから先、ドラマの内容に触れます。特に第8話、第9話は、やや詳細に描写しているので、未見の方で、情報に触れたくない方は、ご注意ください)。






動かない日々

 ドラマ作りで大事なこととして、「ダウンポイント」いう要素があると聞いた記憶がある。

 それは、主人公が、何かをはじめ、いろいろあって、うまく行き始める。だけど、最後のクライマックスに向けて、一度、困難にあたって下がる時がある。これを「ダウンポイント」と呼び、ドラマには欠かせない要素だと聞いたことがある。

(もしかしたら、記憶違いの可能性もあるので、その際は、申し訳ないです)。


「だが、情熱はある」は、山里亮太と、若林正恭の二人がモデルで、それを、ジャニーズのアイドルでもある二人が演じているのだけど、それは、本人に忠実に近づこうとして、本当にすごいと思えるのだけど、特に、若林の方の話がなかなか動き出さない。だから、「ダウンポイント」自体が、近づかない。

 2000年に、春日俊彰とコンビを結成し、当初は「ナイスミドル」で活動を開始するが、ドラマ上でも、ずっと迷走をしているように見える。

 ものまねのショーパブの前座として、舞台上で、学生時代に取り組んでいたアメリカンフットボールの防具をつけて当たりあったり、クレープ屋の裏で細々とネタを披露したり、それでも、時間はあるようで、キャッチボールをしたり、ずっと応援してくれている女性と公園でデートをしたり、そのうちに春日のアパートの自室で「限定10名」のトークも始めるが、本当に未来の見えない日々が続く。それは周囲から見たら「自称芸人」の生活にしか見えなかったはずだ。

 これだけ、「動かない毎日」がドラマになっているのは珍しいと思った。

 そして、それを演じる高橋海人は、普段はキラキラしたアイドルなのに、見事に、暗くて沈んだ瞳で、若林本人かと思うような、ちょっとだるそうなしゃべり方を続けている。もちろん、モノマネとして似ているというのではなく、その暗さや、うっ屈のようなものを、演じる高橋が自分のものとしているように思えてくる。

 ただ、繰り返しになるが、これだけ、動かない、先が見えない日々を、これほど長く描写したドラマは珍しいのではないだろうか。

本人の出演

 一方、山里亮太は、コンビを解消したり、新しく組んだり、社員に不当な扱いを受けたりと大変な思いもしているが、周囲が芸人であり、立つ舞台があるという環境の中で、芸人としての努力や工夫を、ものすごくしていて、南海キャンデーズを結成して1年後の2004年にはM-1の準優勝という成果を出している。山里を演じている森本慎太郎も普段はアイドルなのだが、ドラマが進むほど、漫才の技術だけでなく、性格的にも、なんでもひがむ山里本人に見えてくる。

 南海キャンディーズがM-1で準優勝した翌年、2005年に、若林と春日は、コンビ名を「オードリー」に変えた時だった。考えたら、山里と若林の二人は、その売れていくスピードにかなりの差があるのだった。

 これだけ未来が見えなくて、何の希望もなさそうな若林の環境が動き始めたのは、コンビ名をかえた2005年のことのようにドラマでは描かれている。すでに第8話になっていた。

 ラジオでトークをする時間を若手芸人に与える、といった番組のオーディションに若林はやってきて、話をする。そのトークも、本当に、そんなふうであったのだろう、と思えるほどの、演じる高橋の再現度の高い話し方だった。

 だからこそ、その時に、立ち会った放送作家が、面白い、と言ってくれることも、より説得力が増したのだと思う。情けないと思ったことを、本気で話すのは、面白いんだよ。そんなことを言った放送作家が、やけに印象に残るのに見かけない俳優だと思ったら、その時(今から18年前)に立ち会った放送作家(本人・藤井青銅氏)だと知った。

 プロが、適切な評価をしてくれることが、どれだけの支えになるのか。

 その転機ともなる時に、その本人を起用して、そのセリフを語ってもらうことは、下手をすれば悪趣味やただの話題作りか、悪い意味での「お笑い」になってしまうのだけど、今回の本人起用は、この言葉は、この人のものでしかない。と思える静かで強い説得力があったから、成功だと思う。

 ドラマにドキュメンタリー的な要素が入って、これだけ自然で効果的なのは、とても難しいことではないか、と第8話を見終わって、思った。

ダウンポイント

 若林にとっての本格的な「ダウンポイント」は、ドラマの第9話にやってくる。

 全部で12話だから、終盤に、やっと、動き始めた、ということでもある。

 ここまで粘るのは、なんだか、すごい。

 相方の春日俊彰(演じる戸塚純貴が、春日そのものに見える)がツッコミをしていたが、プロの放送作家に、「どうして彼がツッコミなの?彼は、ポンコツなのに」と言われるほど、ツッコミのタイミングがずれている。
 だけど、若林は、そのズレを生かして、のちに「ズレ漫才」と言われるスタイルに気がつき、取り組み始めたのが2006年の頃のことのようだ。

 今のスタイルと同様に、春日にピンクのベストを着せ、テクノカットにする。

 「ずれ漫才」を発明したという思いがあるから、自信もあって、先輩の芸人に「いい不幸せ」と言えるほどになり、何より、若林の瞳に光が灯り始める。

 だが、2006年のM-1、オードリーは、2回戦で敗退。

  人がいったん希望を持って、そこで挫折し、落胆するからこそ、深く落ち込むシーンが、ここから続くが、これは、とても見事な「ダウンポイント」の描写になっている。

 最初は、相方である、こうしたときも、普段通りの春日との会話。

 高橋が演じる若林が、まるで独り言のように話し始める。

俺はさ、やべえの思いついたと思った。ドキドキして吐き気するくらい。これで売れると思った漫才が2回戦で敗退だよ。ノリで出てる素人と同じレベル、って言われているようなもんだよ」。

 春日がこたえる。

「わたしは、どうすれば、いいですか」。

 若林は、聞こえなかったのように続ける。

「とにかく、俺は何をやってもすべり続けて。これでやっと抜け出せる。見る人が見ればわかってくれる、って思ったら、全然、ダメだった。ほんと、どうしたらいいかわかんない」と部屋を出る。

 最後に、若林は「へこみもしない。へこんだふりもしないのが、春日だよ」と、そこに放り投げるように、諦めたように言葉を残して、外へいく。

深い挫折

 そして、ここまでずっと支えてくれていた若い女性に、駄菓子屋の店先のようなベンチで、座りながら、話す。

 岡本太郎の本の、デタラメはなかなかできない、といった言葉を、彼女が声に出して読んでから、若林の言葉が始まり、会話も始まる。

「いいデタラメができたと思ったんだよ。新しいんじゃないか、って。でも、ただのデタラメだったんだろうな」。

「大丈夫です。まだ、わかんないです。私は、面白いと思いました」。

「それじゃ、ダメなんだって。ライブでも、オーディションでも、何しても全部ダメで。
 何やっても、認められない、無視されて。これでいけるって思っても、無視されて。全然、だめ。
 うーん。だから、俺は……」

 しばらく沈黙のあとに、若林は、やっと口を開く。

「面白くないんだよ」。

 そこにすぐに彼女が言葉を返す。

「面白いです」。

「甘えてんだよね、俺。あなたに。あなたから、面白いって言ってもらえて、ずっとこれまで気持ち救われてきたけど。でも、俺は、あなたの前で、俺はダメだって話しかしないじゃん。いつも弱音吐いて。大丈夫です、って言わせて」。

「それじゃ、ダメなんですか。面白いから、大丈夫って思ってるから、大丈夫って」

「やめてよ。俺は、面白くないんだよ」。

 そのあと、その岡本太郎の本だけが残されて、若林一人だけが、そのベンチに座っていた。

 とても痛々しい会話だった。


 だけど、とても分かるような気がする。

 個人的なことに過ぎないが、介護を始めて、仕事も辞めて、10年以上、ただ介護をして、介護者にこそ心理的な支援が必要ではないか。と思い、介護をしながら勉強をして資格をとって、それから10年、社会に必要と思ってやってきたことが、最近、その蓄積さえ、無視されているような気持ちになることがあった。

 何も変わっていなくて、自分がやってきたことなんて、何もかも無駄だったと思えることがあったから、ドラマの中の若林と、同じようなことを、妻に言った記憶がある。

 これは社会に必要ではないか、と思って、10年続けてきたことが、意味がなかったのでは、と思うと、本当に死にたいくらいの気持ちにはなる。それでも、妻がいてくれることで、なんとか生きていける。


 ドラマの話に戻れば、若林は、その後、実家に帰ると、祖母が、残しておいてくれたエクレアを、自室へ持ってきてくれる。「明日食べようと思っていた私のぶん、あげる。まさくんは大丈夫よ、面白いから」と言われたのに、その後、一人になって、うつむいて、ただ動きが止まったあと、急に、エクレアを窓に叩きつけて、でも、下に落ちて、バラバラになったのを、拾って食べる。

 この時の気持ちを表す、すごい場面だった。

予想外の言葉

 このままだと、その後のオードリーを知っていたとしても、もう芸人を辞めてもおかしくないと思いながら、見ていた。何かがないと、今はないはずだった。

 そんな状況でも、オードリーは、歴史ある大会のオーディションを受ける。

 その主催者は、コント赤信号のリーダー・渡辺正行。彼は、M-1審査員でもあって、若手の芸人にとっては、鋭い指摘をするので、怖いと思われていた、という。

 このドラマでは、前回の放送作家と同様に、本人が出演している。

 次の出番を、舞台袖で待っていて、若林は「ボロクソ言われて、帰るぞ」と春日に伝えて、舞台に出ていく。この時点では、おそらくやめるつもりだったように見える。

 漫才を披露する。終わる。

 ちょっと沈黙する渡辺正行

「うん、いいね。…面白いよ、いや、これは漫才としてはM-1を狙える漫才」。

「ちょっと言ってる意味が」と若林。それは、予想もしない言葉だったからだろう。

「もうね、漫才のスタイルは出来上がっているから、もっと練り込んでいけば、もっといい漫才になる。真剣に頑張ってみたら」。

 ものすごく嬉しいだろうと思う。会場を出て、春日を先に帰らせる。春日は、あのネタ、面白かったですね、といいながら去っていく。その後、若林は、その場に立って、嬉しさも混じった様々な感情が込み上げるように、泣いている。

 渡辺正行本人が、おそらくは、その時に言ったような言葉を、語っていることで、やっぱり説得力が増していたし、これで、若林は漫才をやめないと、見ている方も思ったし、適切な評価がどれだけ人を助けるか、と改めて考えた。


 とても、個人的だけど、10年やってきたことが、全く無視されてきたようで、何もかも嫌になった時期があったのだけど、さらに最近、人の縁と好意によって、自分のしていることが、思いがけない見られ方をしていることを知って、それで、全部を辞めたい、といったことや、何も変わらないのなら、生きていても仕方がないのではないか。くらいに思っていたのが、明らかに少し気持ちが底支えされているように感じる。

 本当に思っている人の言葉は、やっぱり力があるのだと思う。

敗者復活

 この「だが、情熱はある」の第9話は、どうしてもオードリー中心になってしまうけれど、ここからは、明らかに「サクセスストーリー」になっていく。

 2008年、M-1。準決勝から決勝に進めず、オードリーも南海キャンディーズも、2組とも敗者復活戦に挑む。

 南海キャンディーズが漫才をしたあと、すれ違うように、舞台にオードリーが出ていく。

 若林は、ずっと無視されてきた若林、と自分に言い聞かせるようにしてから、舞台に出ていく。

 素直に、とても気持ちが揺さぶられる場面で、さらに、その後の漫才も、本当にオードリーだった。

 そして、敗者復活を勝ち上がり、タクシーでテレビ局に出発する時、その会場に、支えてくれた女性が来ていたことをタクシーの窓から、若林は目撃する。

 
 これから先があるとはいっても、これだけ長い間、動かない日々の後、希望をつかんだと思ってから、挫折し、再び動き始めて成果を出すという、よくできた話は、やはり、サクセスストーリーといっていいのだと思った。


 これから、「売れっ子」になって以降のことも、きちんと描かれたとしたら、それも、新しさを感じるドラマになると思う。



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