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スポーツの記憶⑥人の視線が本当に痛いと知った時。

 1980年代から90年代。
 日本の男子プロゴルフの大会には、今よりもたくさんの観客が来ていた。

プロゴルファー

 青木功。尾崎将司。中嶋常幸。倉本昌弘。

 一般の人まで、広く名前と顔を覚えられているようなスタープレーヤーだけでも、これだけいて、もちろん他にも、個性も違うプロゴルファーたちが、それぞれピークを迎えていて、優勝を争うような時代だったと思う。

 大会では、最終日の最終ホールに近づくと、そのゴルフ場のギャラリーが全部集まってくるように、人が密集していた。

 ホールにロープがはられ、ギャラリーは、その外でプレーを見るしかないから、平坦ではない、あまり広くない場所に人がたくさん集まっている。

 元々は、観客のための場所ではないから、なるべくロープぎりぎりにいないと、プレーが見られないことも多いから、そこにいる人たちは、ちょっと殺気立っていたのかもしれない。

 その人混みの中で、メモをとりながら、プレーを見ていた。

ゴルフ記者

 私は、その頃はスポーツ新聞のゴルフ記者だったから、毎週のように、日本のあちこちに出張に行っていた。昼間は、ゴルフ場にいた。ずっと芝の上で取材をして、話す相手は、同業者の記者の人たちや、大会関係者。そして、プロゴルファー。

 仕事が終わってからは、他社の記者の方たちと、夜の街に行く。その繰り返しだった。

 だから、日本のどこに行っても、印象が似てきてしまっていた。

 昼間の取材は、だいたいは、今日のテーマにしようと思ったプレーヤーを中心にプレーを見て、9ホールくらいは歩く。それから、ゴルフ場のクラブハウス内の一部に設置されたプレスルームに戻って、モニターを見ながら、時間が過ぎる。

 そして、プレスルームには、全選手のスコアが集められて、それによって、その日の100人を超える選手たちの動向が全部わかる。

 そのスコアの状況によって、プレーを終えて、クラブハウスに戻ってくる選手に取材に行く。記者によって視点や狙いが違うから、一人だけ取材に行く場合もある。

 スポーツは好きだったけれど、ゴルフの経験も興味もほぼないまま、担当記者になったのだけど、プロゴルファーの凄さについては、いやでも思い知らされていた。やはり、プロスポーツプレーヤー独特の「圧」もあったし、不思議な視点を持つ言葉を話す人も少なくなかった。

 だから、とても面白さもあったのだけど、それでも、そんな毎週を繰り返していると、ゴルフに対して、それほど新鮮な目で見られなくなってくる。

 毎週日曜日には、優勝争いをしているようなプレーヤーたちのいる組について、半分の9ホールは歩いて、あとはプレスルームで、他のプレーヤーたちの取材にも備える。

 それは、ゴルフ好きから見たら、うらやましい生活でもあるはずだけど、プレーそのものを見る集中力が落ちる、というか、優勝争いという数字の上下に対して、もしくは、プレー後のコメントの方に、気持ちがいくようなこともあった。

ロープの内側

 どの試合かはっきりとは覚えていないが、人気も実力もあるプレーヤーたちが優勝争いを続けていた大会があった。

 そのゴルフ場は、人が来やすい場所だったせいもあって、特に多くのギャラリーが来ていた。天気にも恵まれていたと思う。

 本当だったら、18ホールずっとついて回りたいくらいの盛り上がりがあったのだけど、取材する記者としては、他のプレーヤーのコメントも必要だから、半分の9ホールまでついていくと、多くのゴルフ場では、ちょうどスタート地点に戻るような構造になっているから、そこで離脱して、プレスルームに戻る予定を立てていた。

 その日は、とてもギャラリーが多かった。

 いつもだったら、ギャラリーに混じってロープの外側にいても、十分にプレーを見ることが出来たのだけど、その日は、それだと、人にさえぎられて、プレーが見えなかった。そんな時は、私も、プレスの腕章をつけているので、ロープの中に入ることができる。

 他のベテランの記者も同様の行動をしていたから、まだ入社2年目の私も、その動きを、迷いなく選択できた。

 ラフだから長めの芝を踏んで、ロープの中に入り、ギャラリーの邪魔にならないように、腰を落として歩き、止まる時はヒザをついて、プレーを見守る。

 自分の前方の空間は開かれ、さらに向こうにはプロゴルファーたちがプレーをしている。
 少し気持ちがよかった。

 最もベテランの記者の方の話では、昔は、もっと近くで、ゴルファーと一緒に歩きながら、プレーの合間に、そのプレーのことを取材できた時代があったという。その頃は、もっと現場そのものでの原稿が書けたはずで、それは、やっぱりうらやましいエピソードだった。

視線の「痛さ」

 私にとっては、ロープの中で、取材をすること自体が珍しかったけれど、そんな場所で移動しているだけでも、話に聞いた昔のことを思ったりするから、場所が少し違うだけで感覚が変わることもわかる。

 さらに、時間が進む。

 ある地点で、ひざをつくように低い体勢で、プレーを見ていた。
 プレーヤーの高い集中力が、何十メートル離れていても、伝わってくるような時だった。

 後頭部に微妙な痛みのような、圧力のようなものを感じた。

 さわっても、何もない。

 振り返ると、そこには、何百人ものギャラリーの視線があった。私のいた位置が、今、プレーしている場所と、ギャラリーを結ぶ地点だった。だから、プレーに注がれている、熱のこもった何百の視線の通り道だった。

 もちろん、直接、さえぎるようなことをしないように、低い姿勢でいるのだけど、それでも、その視線の「流れ弾」を食らっているような場所で、それだけで、視線がちょっと痛かったのだと思う。

 それは、気のせいかもしれないけれど、でも、振り返った時の、たくさんの視線は、やっぱり、ちょっと怖かった。それは、物理的な「圧力」がありそうだった。

 他のスポーツと比べて、プレーの瞬間には「お静かに」という札が上がるのがゴルフという競技だったから、名前を呼んで応援する、という手段もない。だから、応援といっても、ただ、熱く見つめるしかない。

 その大量の視線を受ける側にとってみれば、それが、自分への応援かどうかも、分からないことはないだろうか。

 その時、優勝争い中のゴルフのプレーだけでも、普段とは違う緊張感があるはずなのに、こういう「痛さ」を感じるような視線の中で戦っているプレーヤーたちは、改めてすごいと思えた。


 近くで取材をしてきたはずなのに、分からないことばかりかもしれないし、これからも分からないままのことは多いのだろう、と反射的に思った。



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