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柿の枝を切った。思ったより消耗した。だけど、すっきりした。

 それほど広くない庭なのに、柿の木がある。
 もう50年以上前に植えたらしい。


柿の四季

 幹はゴツゴツしていて、そこに時間の蓄積のようなものも感じるし、春には新しい葉っぱを生やし、その緑色は鮮やかで、毎年、想像していた色よりもきれいに感じる。

 その後には、白い控えめな花が咲き、気がついたら、緑色の小さい実ができて、それがかなりいくつも落ちて、屋根に音を立てて、そのうちに柿の実は色づいて大きくなって、だいだい色になる。

 おいしそうに見えるけれど、渋柿で、それはずっと変わらない。

 その頃になると、高枝切りバサミを使って、枝や実をとって、妻は皮をむいて、ひもを使って、干してくれる。しばらく経つと干し柿になって、ちゃんと甘くなる。それは、いつものことだけど少し不思議な気持ちになる。

 それから、柿の葉は紅葉し、だけど、紅葉という言葉にはおさまらないほど、一枚の葉っぱが赤や黄色や、微妙な色になって、それも一枚一枚違っている。朝になると、玄関の外にある妻のお父さんが作ってくれた机の上に、何枚も柿の葉の落ち葉が並んでいる。それは、妻が庭の中で、自分の気に入った色合いの落ち葉を拾って、そこにある。

 柿の実は全部とれないから、枝の上にいくつも残って、それを見るたびに、もう少しとれたのかも、と思いながら見上げていると、だんだん鳥が集まるようになり、渋いはずなのに、もしかしたら時間が経つと少し甘くなっているかもしれない、などと思うくらい、どんどんついばまれ、ひとつもなくなる。

 同時に、葉っぱも、どんどん落ちていって、バラバラと音がして、それは思ったよりも一直線に地面に到達するのだけど、それも気がついたら、どんどんなくなっていって、葉っぱは一枚もなくなって、完全に枯れ木になる。

 それが、毎年繰り返され、この家で19年間介護をしていたときも、その介護が突然終わって、そのあとコロナ禍になった時期も、ほとんど家にいる時間が長くなったとき、気がついたら、柿の木の変化で、知らないうちに随分と気持ちが支えられていたような気がする。

伸びた柿の枝

 年が明けた頃には、全く葉っぱもなくて、洗濯をするたびに見上げると、枝だけがはっきりと見える。

 そうすると、去年もかなり枝を切ったはずなのに、また高く伸びていて、このままだと電線にかかったり、お隣の家の庭にまで届いたり、高くなりすぎて柿の実も取れなくなったり、いろいろな弊害が出てくるのは分かっているので、今のうちに柿の枝を切っておかないと、という焦りのような思いがしばらく気持ちの中で回っていて、でも、雪が降ったりして、その機会がなかなかなくて、というのは、たぶん、言い訳で、おそらく、かなりおっくうだった。

 それは、柿の枝を切るだけなのに、脚立をはしご状にして、柿の幹に立てかけて、そこに登って、ノコギリを使って、ただ、下から見上げると、それほど高く見えなくても、これまで何度もその作業をしたのだけど、その高さは2階の窓くらいにはなるから、登ると思ったよりも高く感じて、やっぱりちょっと怖いことを思い出して、だから、気が進まなかったのだと思う。

準備

 それでも、このまま時間が経つと、柿の葉っぱが伸び始め、重さは増し、そのために枝を切る作業の時に、視界がさえぎられ、枝を切ることが、より困難になってしまうから、もう早くしないと、と思って、妻にも、その話をした。

 そして、昼食を食べてから、妻が道具のことはかなり準備もしてくれた。丈夫な手袋。しまっておいたノコギリ。どこにあったか忘れていた目を守るためのサングラスのようなメガネ。

 ありがたい。

 あとは、家の裏から脚立を持ってくればいいから、そこへ歩いて、持ってきて、それから、はしご状にして、柿の木に立てかけさせてもらった。

 ちょっとガタガタするから、その場所を調整して、安定するポイントを探す。

 そうなってから、妻に気をつけてね、と言われ、下のところを支えてもらって、上にあがっていく。

 視界が変わる。

柿の枝を切る

 ノコギリを持って、はしご状の脚立のほぼ一番上にいき、片足は柿の太い枝にのせて、さらに腕を上に伸ばす。

 庭から見上げていたときに、何十センチもあるような太い枝から、さらに伸びている枝を見て、あのあたりを切ろうと想像していた場所があって、その時は届かないから、さらに元の太い枝を切る必要があるかも、と思っていた。

 その切ろうと思っていたポイントが、はしごを上ってくると、少し見上げる場所にあり、足元がちょっと不安だけど、なんとか届きそうだった。

 よかった。

 手を伸ばし、枝を切り始める。

 細めの枝はすぐに切り落とせた。

 一度、実家の松の枝を切り落としたとき「先代」のノコギリは途中から折れてしまい、そのあとに、購入した今のノコギリは、切れ味がまだいいままで、作業がスムーズだとやっぱり気持ちがいい。

 そのまま何本か枝を切った。

 思ったよりスムーズで、気になっていた枝を切り落とせた。

 道路の方へ伸びて、今後、トラブルになりそうな枝も切った。

 このままだと思ったよりも早く作業が終わりそうだった。

消耗する

 見上げているときに、それなりに太くて、でも、かなり長く、途中で少し折れ曲がってやや複雑な形になっていて、でも、そのまま伸びたら、隣の家にかかりそうだから、気になっていた枝はまだ残っている。

 今回、切り落とす予定の中では、最も太く10センチくらいは直径があるように見えた。

 さらには、その枝の位置は、自分がのぼっている場所からは、太い枝の向こう側で、だから、私自身がさらに体重を柿の木側に預けるようにして、微妙な不安定さが増す。その上で、腕を目一杯伸ばして、届く場所が、その枝を切り落とせる場所だった。

 これまでの枝とは違いそうで、だから、ちょっと覚悟してノコギリを枝にあて、ひく。おがくずが出る。またノコギリを動かす。さらにおがくずが出て、力を入れる。その動きを早くして、そのため、だんだん枝の中まで進んでいって、半分くらいまで来た。

 ちょっと疲れている。

 午後が進んで、太陽が西に傾き始めていて、枝を切っているその向こうに、ちょうど太陽があって、だから、妻が用意してくれたサングラスのような目を保護するメガネがありがたく、こういう時のサングラスは実用品なのだと思った。

 道路をご近所の方が通りかかって、あいさつを交わす。サングラスのせいか、年齢より若く見えたようで、最初は別人と思われる。ちょっと笑う。

 さらにノコギリを早く動かす。

 呼吸がちょっと苦しくなる。足が微妙に震えているのがわかる。

 もう少しで枝が切り落とせる。

 そう思って、力を入れて、呼吸もちょっと苦しいけれど、我慢して、さらに作業を続ける。

 もう枝は落ちると思えるほど、あと、木の皮くらいで支えているはずなのに、そして、その枝まで手を伸ばしてゆすったが、動かない。

 本当に切れるのだろうか。

 お腹の上、横隔膜があるはずあたりに、何かがせり上がってくるような苦しさになって、足も明らかに疲れているようで、このままだと危なそうだった。

 妻に声をかけて、いったん降りることにする。

 自分が思ったよりも消耗していたようだった。

休憩

 はしごになった脚立を下で両手で持って支えてくれているのだから、妻も疲れているはずなのに、心配してくれた。

 ペットボトルに入った水を持ってきてくれ、少し座って、休憩する。

 みぞおちあたりが、少し固くなって、ちょっと息苦しく、微妙に気持ちが悪い。このぐらいの作業で消耗するのはちょっと恥ずかしいけれど、妻には、顔色が悪くなっていると心配されたので、本当に体調が悪くなっていたのだと思う。

 それでも、切り落とす途中のままにしておくと、いつ枝が落ちてくるか分からなくて、危ないし、まだ切りたい枝もある。

 そのまま少し座って、水を飲んで、深呼吸を繰り返す。

 やや回復してきた。

 もう一度、はしごをのぼる。

作業の続き

 視界は高くなって、やっぱり、足元に思った以上に力が入っていたし、不安定ではあるので緊張感もあり、想像以上に消耗するのだと思ったけれど、さっき、切ったはずの場所にノコギリをあてるけれど、枝の中に入っていかない。

 あれ、と思って、少し違う場所だけど、切って行った方向とは逆からノコギリを動かす。

 もう切り落とせるのに、と思って、また動きを早くする。

 呼吸がちょっと苦しくなる。

 まだ切り落とせない。

 またはしごを降りて、休憩し、水を飲み、少し座り、だけど、あんまり長く休んでいると嫌になってしまうから、またのぼって、切り始める。

 急に枝が曲がる。

 このまま落ちると、下のいろいろなものを壊してしまいそうな場所に落下しそうだから、落ちていきそうな枝を少しつかみ、思ったよりも重く、だけど、そのことで少し方向が変えられた。

 庭の真ん中に落ちていった。

 これで作業のほとんどを終えたような気持ちになった。

後片付け

 それから、まだ意外と切るべき枝があって、一通り切って、途中で休憩も入れて、やはり落下するときに方向を調整する枝もあったけれど、なんとか無事にほぼ枝を切り終わった。

 私だけではなく、下で支えてくれた妻の黒いセーターもおがくずがたくさんついてしまった。洗濯物のほとんどは大丈夫だったけれど、私のパンツが汚れてしまったので、もう一度洗うことにした。

 あとは、庭いっぱいになった枝を、短く切って、まとめてゴミの日に出せるようにしないといけない。

 妻と二人で、庭に落ちている枝を切る。私は長く、太めの枝をノコギリで切る。一度、この作業でケガをしたことがあったので、妻に注意をされる。

 こんなに太かったり、長い枝を切ったのかと、なんだか感心もしながら、さらに作業をする。

 一応、なんとか片付いた。

 終わって、二人で手を洗ったり、うがいをした。

 作業を始めてから、2時間が経っていた。

 柿の木を見上げたら、スッキリしていた。

 これでしばらく大丈夫だと思うけれど、これだけ切ると、今年は柿の実はならないかもしれないとも思った。




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