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クリーニングを頼むとき、自分の中の「ケチ」が発動してしまう。

 最近は、ジャケットなどでも家で洗える商品が増えて、なるべく、そういうものを選ぶようにしているのは、やはり、わざわざクリーニングに出したくないからだけど、同じように考えている人が多いから、そういう商品が多くなってきていると思うと、ちょっと心強い。


冠婚葬祭

 先日、久しぶりに法事的なことがあって、妻と一緒に出かけた。

 儀式には、参加するだけで独特の緊張感もあるし、気温が高くてもワイシャツだけではなくて上着も着ることになり、そうなると、そのときは気がつかなくても、やっぱり汗をかいているから、着用した礼服のような黒い服は、家で洗うわけにはいかないので、しばらく風通しのいい場所に妻が下げてくれていた。

 私のスーツよりも、妻の礼服のワンピースの方が、きちんとしていて、それだけに、とても家で洗える感じはしなかった。

 時々、それでも家でいつものように洗濯したら、というイメージをすることはあるのだけど、その結果は、想像するだけで2度と冠婚葬祭に着られないほどダメージを受けた姿になっているのだけど、でも、それは思い込みではないかという疑念も少しだけある。

 それでも、思い切って、洗濯機に入れる勇気と覚悟は持てないままだった。

外出

 本当は、たぶん、こうした洋服も、着用した次の日くらいに速やかにクリーニング屋に出したほうがいいのではないか、というような気持ちはある。

 だけど、なんとなく外出することについての言い訳のようなことを言って、外へ行かないまま少し日が過ぎて、ぐずぐずとしていたら、クリーニング屋に行かないまま、いつの間にか一週間くらいが経っていた。

 もういい加減、クリーニング屋に出したほうがいいし、妻の方が、おそらくは焦りが出てきているのだろうから、買い物に行くときに、その服一式を、大きな袋に妻がまとめてくれて、そして、それを持って、外へ出る。

 ここのところ、毎日、暑い日が続いていた。

クリーニング

 それほど大きくない町でも、何軒かのクリーニング店はある。

   最近、古くからあったクリーニング屋が閉店してしまった。その代わりというわけでもないのだろうけど、引き取りが24時間可能のような、最新のシステムを導入したクリーニング店が、少し前に開店し、その最初のセール期間中だけ、そこのクリーニング屋を利用した。

   それっきり行ってなかったのだけど、その店と、あとはそこそこ開店してから長くなったクリーニング屋の両方のカードがあるから、どちらにするのかを改めて妻と相談をして、こうした冠婚葬祭の服を出したのは、そこそこの方のお店で、そのときも支障がなかったので、守りの姿勢だとは思ったけれど、そちらに行くことに決めていた。

   いつも通る道で、いつもあるクリーニング屋だけど、妙に行きづらい。

   それでも、こうして利用するしかない時は、気持ち的には息を止めるような感じで、店に入り、持っていった服をカウンターの上に出す。私の黒い上下は、礼服という形ではなく、あくまでも背広として買ったので、それがどこまで有効か、適切なのかわからないけれど、なんとなく値段に響くような気がして、これはスーツですけど、と言うようにしている。

  妻のワンピースと、ジャケットは、明らかに礼服にしか見えないつくりだから、ただ、お願いしますと言うしかなくて、そして、店のスタッフの方が、「今、汗染みをとる加工が、◯%引きですが、いかがいたしますか?」などと言われ、すでに思ったよりも緊張しているせいか、その数字の部分さえ、きっちりと聞き取れていないけれど、でも、少しだけ考えて、お願いをした。

 そうすると、スタッフは、妻のワンピースを確認していて、ここに汗染みがあります、と言ってくれた。

「ケチ」の発動

 何しろ、自分の中では洋服を洗うことにお金を使うのに抵抗感が元々あるから、明らかに「ケチ」が発動しているのがわかった。

 だけど、ここで「ケチ」の意に沿って、そうしたサービスを断って少しでも安くして、そのことで、その服に、極端な場合はカビが生えたら、逆に大損になるのでは、といったことを、短い時間で考えて、お願いをしたので、実際に汗染みがあったりするのを言ってくれるのは、「ケチ」の気持ちの盛り上がりを、少しおさえてくれて、ちょっと楽になったように思った。

 それでも、支払った金額は、2人分で5000円を超えた。

 とてもぜいたくなことをしてしまったような気がして、再び「ケチ」が発動しそうになったけれど、自分の中で、この金額も含めて冠婚葬祭に出席する、ということだから、と言い聞かせる。

 これを惜しんで、自分で洗ったり、もしくは、汗染みをとる作業をしてもらわなかった場合、(自分たちにとっては)かなりの金額で購入した、他に替えがないフォーマルな服が損害を受けるかもしれない。そう思わないと、なんだか、とても虚しい気持ちになる。

「お金がある」ということ

 こんな気持ちになるのは、まだ「ケチ」が収まっていない証拠なのだろうけれど、時々、クリーニング屋の前に大きめのクルマを止めて、ワイシャツからスーツからネクタイから、どれだけの服があるのだろうという量を、一気にカウンターに出している人を見たことがある。

 全く知らない人であっても、いくらかかるのだろう、という怖い気持ちにもなるのだけど、ちらっと見ただけの、そういう人には、一切、そうしたためらいや恐れがなく、こういう人がお金持ちというのだと思ったりする。

 そこに「ケチ」の気配はない。

 だけど、私自身は、いまも、クリーニングをお願いするときに「ケチ」が発動してしまうから、もしも、自分にお金があったとしても、そんなふうに豪快に利用できないと感じるのは、金銭的だけではなく、他にも理由がありそうだ。

 例えば、自分の髪の毛はずっと何十年も自分でカットしていて、そのハサミもかなりの年月使っているし、近所にトレーニングジムができてチラシを配ったりしている時も、地道に筋トレを10年以上続けているから、自分のウチでやれるのにもったいない、と思ってしまうし、どこか体回りのことにお金をかけることに、人よりも強い抵抗感を、いつの間にか育んでしまった可能性もある。

 クリーニング屋で、自分の「ケチ」が発動するのを感じて、そんなことを思ったが、それでも、また冠婚葬祭に出席して、クリーニング屋を利用するときは、同じようなことを感じる予感は、かなりはっきりとある。

 ちょっと悲しく、少し恥ずかしい。



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