歳差運動4-②

体育主任としてさっそく運動会というビックプロジェクトに着手しなければならない。小学校で運動会と言えば、スポーツ界でのオリンピックに匹敵する最重要行事である。

それは子どもや保護者ばかりでなく、地域住民をも巻き込む地域一体型の祭りのようなイベントだからである。

だが近年は、運動会の開催を告げる花火が休日の安眠を妨げる不快音として学校に苦情が寄せられる事態になってきた。子どものはしゃぐ声がうるさいからと保育所建設反対とか、やかましくて眠れないからと除夜の鐘反対など正々堂々と苦情を言ってのける人が増えて、何とも世知辛い世の中になったと嘆かわしさを覚えるとともにやり場のない怒りに震える。

従って、良くも悪くも地域住民に注目させている運動会は学校の組織力、運営能力が問われるバロメーターになる。否が応でも体育主任の双肩にかかる負担は、国と県からいただいている給料対価をはるかに超えていると言っても過言ではない。だが当然俺一人で運動会は進めるものではない。学校の職員が一体となって取り組まなければならない。その協力体制を構築させるのが何あろう体育主任の役目である。体重が増えすぎた教員や外に出るのが嫌いな教員ややる気のない教員や歳を取り過ぎた教員をまとめ上げることは体育主任の手腕に依るところが大きい。

俺は若いうちから体育主任を何度もやってきた。若いうちは体力があり、例えば他の職員から要求があればそれに対して一人で対応してきた。だがそのうちに何で俺一人が仕事を背負い込む必要があるのだと懐疑心を持つようになった。またそうした一極集中型の弊害を肌で感じるようにもなった。みんなで協力分担して進めることに意味や価値があるという当たり前のことを体育主任の業務を通して学んだ。絶えずリーダーシップを発揮し、職員の個性や適性を活かして適材適所に活用する方策を体育主任の仕事を通して身につけた。

特に俺は、この前の職員会議で職員間の分断を招くようなトラブルを起こしている負い目を感じている。だから、運動会が無事終了するまではその罪の執行猶予期間だと自覚している。たとえバーンアウトしようともこの運動会に命をかけなければならない。

死なば諸共、これだけは避けなければならない。


続く~