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【不思議な実話】私の夢供養・序

強いデジャヴと夢のはじまり


私は長年奇妙な夢を見てきた。それの兆しは23歳の時に始まり、そこから現在に至るまで二十数年間、不定期に、さまざまな断片的な場面を夢に見た。そしてその断片化された夢は他の夢と繋がった、一連の長い物語になっているのだった。

そんな夢を見るようになる頃、私は漫画家を目指して編集者とやり取りをしていた。しかし描けない。絵も上手くないし、なによりストーリーが書けない。ストーリーがダメでも、面白いキャラクターが描ければそこそこ読めるものに出来るだろうが、そもそも私には『人間』が描けなかった。

「自分は漫画家になる才能はないらしい・・・」そんな自分への失望と、将来への大きな不安に苛まれていたとき、漫画仲間の友人たちに誘われて気分転換の旅行に出掛けた。

友人たちは歴史好きで、彼らに導かれるまま、私はいくつかの日本の史跡を歩くことになった。私は歴史にはもとより興味はなかったが、家で真っ白な原稿用紙を見ているくらいなら、どこでもいいから出かけたかった。

「ここはかつて戦場だったところだよ。今でも夕暮れ時になると、甲冑姿の血塗れの武将たちが歩いてる」霊感の強い友人が楽しげに言う。『甲冑姿の武士なんて、ずいぶん薄気味悪いものが見えるんだなぁ…』ため息がでた。

私は武士の甲冑が嫌いだ。そんなものを見ると生臭い血の匂いがして気持ちが悪いし、なにより恐ろしい。子供の頃の私はテレビを観ていても、戦のシーンの多い大河ドラマは怖くて見れなかった。親ももっぱら水戸黄門や銭形平次のような時代劇しか見ない人間だったので、そのせいもあって私は歴史の知識はほとんどなかった。

友人たちが有名な武将たちの話をしているのを、ぼんやり後ろで聴きながら、話題について行けず、ただ「ふーーん・・・」と言うだけの私。高校の時の日本史の授業は楽しかったのだから、もう少し勉強しておけばよかったかもしれない。

二十歳の時、母が勝手に私のことを占い師に相談したことがあった。漫画ばかり描いている娘の将来を心配した母が、評判の良い占い師に鑑定を依頼したらしい。その時占い師は「娘さんに日本の歴史を勉強するように伝えてください。西洋の歴史も少し必要です。そしてそれを漫画に描いてください」と言ったそうだ。

(アホらしい。)

そもそも占いなんて全く信じない私は母からその言葉を聞いて鼻で笑ったのだった。『歴史なんて小難しいもの、なんで書かなきゃならんのよ。興味ねえわ』そう思った。

歴史好きの友人たちは、そんな私とは違って「私、将来歴史漫画を描こうと思ってるんだよねぇ」などと楽しそうに史跡を歩いている。「なんで歴史が好きなの?」と聞いてみたら、「私の前世、武士だったのよ!」とのこと。「自分の前世のことを調べて、物語にして、漫画に描く。世の中、たくさんの漫画家がいるけど、その中には自分の前世を描いてる人って、結構多いんだと思うよ〜」

友人たちはそんな奇妙な思い込みを自信ありげに語る。

羨ましいことだ。私にはそういう思い込みがない。思い込めるものがないから、書きたい物語もありはしない。「将来、こんな漫画を描こう!」などと、目をキラキラさせて話せるものが何もないのだ。

『やっぱり、気分転換の旅行に来たって、できないネームが急にできるわけじゃなし・・・・』暗澹たる思いで、友人たちと美しい海岸を歩いて、やがてとある神社の参道にさしかかった時だった。「え゛っ・・・・」変な声が出た。

道端に立てられた看板に書いてある、その神社の由緒書きに、知っている男の名前があったからだ。

「え゛・・・・?」手が震える。知ってる。その男の名は、日本史の授業で習った名前だが、そうじゃない。“知ってる”んだ。

(知ってる…)

私、この男に『会ったこと』がある。ものすごく嫌なやつだった。 

急に思い出した。

なんで忘れてたんだろう・・・・

「あんの 野郎・・・・!」怒りでわなわな震える。ずっと遠い昔、俺はこいつに会ったことがある。俺はその当時、男だった!

(ああ、思い出した。そうだ、俺はかつてこの地に来たことがある!)

突然、降りてきた感覚に震えが止まらない。友人たちも私の異変に目を丸くして私を見やる。

(なんだこれは・・・?これはもしかしてデジャヴというやつか?)

それがすべてのきっかけだった。そこから私の長い長い、二十数年間に及ぶ、不思議な夢との格闘が始まったのだった。

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