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今、世界で起こっていることと、米原万里さんを偲ぶ。

お恥ずかしい話だが、今回の危機が起こって初めて思い浮かんだ疑問がある。

「ロシアは今でも社会主義なのか?」

もちろん答えはNOである。
けれどもそのくらい自分がロシアについて無知である事に気がついた。

ロシアについて


1991年にソ連邦が崩壊した時に、69年続いた世界初の社会主義は終焉を迎えた。
それではロシアが民主主義なのか?といえば、民主主義とは言い難い現実がある。

ロシアによるウクライナ侵略は、どんな理由があろうとも武力を持って他国に侵略するという行為は許されるものではない。

しかし日々、私達が耳にする情報というものは西側諸国からのものである。
その情報をあまりにも当たり前に受け取りながら、逆にロシア側の事情や、もっと遡ってロシアという大国の歴史や、EUやNATOの絡んだ西側諸国との関係性といった社会的な背景を、欧州に住んでいながら私自身ほとんど理解していなかった。

そんな折、オランダ在住のニケさんの記事を読み、色々な気付きがあった。


「勝てば官軍負ければ賊軍」というが、ベルリンの壁崩壊からソ連邦解体で、社会主義が敗れ民主主義が世界の主流となった。
冷戦における東側陣営のボスだったロシアは西側諸国において賊軍であり続けている。

アメリカは民主主義の御旗を掲げ、アフガニスタンそしてイラクに軍事侵攻し以後、中東社会に多大な負の連鎖を引き起こしている。

(※イラク侵攻時にどういう思惑があったかは置いておいても、ロシアは軍事侵攻反対の立場を取った。)

アメリカが掲げる民主主義が、中東諸国でどういう事態を引き起こしたかを目の当たりにしたロシアにとって、NATOの東方拡大がどれほどの脅威であるか。
それは、西側諸国に属する我々には理解し辛いものがあるだろう。
そういった社会情勢の中で、ロシアが旧ソ連邦の一部であったウクライナに、西側との緩衝国であって欲しいと願い、NATO入りに激しい拒否感を抱いていることは理解できる。

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NATOは2008年の首脳会議で、ジョージアとウクライナの将来的な加盟を認めている。
同年にアメリカ大統領選挙で、オバマが当選し2009年にオバマ・バイデン政権が誕生している。
当時の副大統領であったバイデン氏が現アメリカ大統領であることも今回のロシアの行動に影響を与えている様に思うのは深読みのしすぎだろうか...。

そもそもEUは拡大し過ぎたことが、EUの問題になっていて、地理的にも歴史的にもロシアとの関係が深すぎるウクライナの加盟を真剣に検討してたのか...かなり怪しく感じる。


ロシアの歴史を知るにつけて、ウクライナと何とかお互いのメリットを出し合い妥協しながら、平和への道を模索する外交戦略が機能しなかったことが残念でならない。
それがなぜ機能しなかったかを、アメリカ人でヨーロッパで活動する政治作家 /ジャーナリストのダイアナ・ジョンストンの記事に詳しく書かれている。

長くなるのでここでは要約はしないが、記事の訳者である乗松氏は、

「(前略) 米国/NATOが冷戦後、ロシアに対して長きにわたり行ってきた軍事的威嚇、敵視、その強大な軍事同盟の東方拡大、2014年米国が仕掛けたウクライナ政権転覆以来、米国をバックとしたネオナチ勢力が行ってきた犯罪行為・虐殺に対して何の声も上げてこなかった人たちが、今回、突如、対ロシア/プーチン大統領に対する一方的な敵視・糾弾だけの「平和」運動を行ったり声明を出すことには、私は決して賛同できません。」

と述べている。

乗松聡子(日本語訳)

『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』エディターとして、人権・社会正義・歴史認識・戦争責任・米軍基地・核問題等について、日英両文で研究・執筆・教育活動を行う。

カナダ西海岸に通算23年在住。
「ピース・フィロソフィーセンター」代表。


米原万里さんについて

ロシア語同時通訳者として、ゴルバチョフやエリツィン大統領の通訳を務めた。
ロシア語会議通訳、翻訳、エッセイ、小説などで大きな業績を残し“異能の人”と言われた不世出の女性である。
(1950年4月29日-2006年5月25日 享年56歳)

米原万里さんは1959年、共産党幹部だった父親の仕事でチェコスロバキアのプラハに一家揃って渡欧。
9歳から14歳まの5年間を、現地にある旧ソビエト大使館付属学校に通い、ロシア語で教育を受けた。
1964年に帰国、再び日本語による学校教育を受けている。

東京外国語大学 外国語学部ロシア学科卒業/東京大学大学院ロシア文学修士課程修了。
プラハで少女時代を共に過ごし闘病生活も看取った、3歳下の妹 ユリさんは作家・戯曲家の井上ひさし夫人。


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1996年放送の「世界わが心の旅」で、米原さんは同じ学校で過ごした3人の同級生の消息を辿る。
ルーマニア、旧ユーゴスラビア、ギリシャ出身の友人とは、1964年の帰国以降一度も連絡を取ってこなかった。
激動の時代をそれぞれに潜り抜け、30年余りの時を経て再会する物語のドキュメントだ。

友の消息を尋ねる時や、実際に再会し抱き合いながら微かに涙を浮かべているのが、とても印象的だった。
この時、米原さんは40代半ばであり彼女にとっても人生後半にさしかかった中での東欧再訪は、万感迫るものがあったと想像する。
(実際にはこの僅か10年後に死去されている)

番組冒頭で語る米原さんの言葉が胸に響いた。

色々な国の子供達のいる学校で育ったんだけども、皆んな大海の一滴のようにね、自分の国の歴史っていうのを抱えてるんですね。

彼等の人生がそれから完全に自由であることはあり得ないのね。
本人が望もうと望まないとに関わらず、自分が生まれた土地とか育った国、それから、そこで身に付けた言葉から完全に自由になることはできないのね。
米原万里 世界わが心の旅
4つの国の同級生より



米原万里さんの随筆が好きで若い頃によく読んだ。

要人の同時通訳者として関わった米原さんが、人間臭いエリツィンの話やロシア世界の裏話を軽妙に、そして豊かな国際感覚と知識を持って綴ってゆく。そこに広がるスケール感に仰天した。
またウイットと機微に富んだ日本語の文章にも強く惹かれた。

今回のロシアによる戦争を、米原さんが生きておられたらどの様に見たのだろう、何を語られただろうか・・・と思う。

言葉っていうのは人間っていうのは非常に面白いもので、絶対に抽象的な人間ていうのはいないんですね。
必ずどこかの国に生まれて、どこかの言葉で世界を認知したり人々とコミュニケーションしていくわけですよね。
抽象的な人類の言葉なんてないの。
それぞれみんな違う所で育つのに、違う言葉で喋りながらお互い分かり合えるっていうのは、
人間ていうのは非常に類的な存在なんだな、同じしゅなんだなという感じがしますね。
米原万里 世界わが心の旅
4つの国の同級生より


物事には裏と表があって...


個人でもどの時代に、どの場所に、どのような立場として立つかで考え方も生き方も異なる。


世界は白黒ではなくグレーである

それは世界を作る人間が、グレーな存在だからなのだろう。白と黒のグラデーションのはざまに、人間の生き方や人間存在自体が有るのではないかと、いま新ためて考えている。

夕暮れのライン川に教会が浮かぶ


記事後記

戦争で最も影響を受け、傷付き苦しむのは幼い子供であり非力な者や高齢者、また傷病者という平時では庇護されるべき存在です。

いかなるイデオロギーも説明も理由も、戦争を肯定してはならないと強く思います。
同時に物事を単純化し、白黒をつけて性急にジャッジすることの危険性も私たちは十分に自覚する必要があります。

大衆民主主義が独裁者を生む

わざわざ歴史に学ばずとも、近年の国際状況を見れば、この言葉の持つ意味が解る気がします。
世界というものは、まことに清濁併せ持つものであります。
だからこそ、理想と現実と、そして正義について各々が考え、真摯に向き合い続けなければならないと思っています。

この戦争が早期に解決に向かうことを祈りたいです。

みきとも

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