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本が読める幸せ。

もともと文章にしたり口に出して表現することが好きではない。

何より下手だから。

その代弁として、頭の中で考えている表現したいことや同意するフレーズを探すように本を読んでいる。

しかし、自分だけがしっくりくるフレーズを見つけて思わず昇天だけしているのは実にもったいないことだと考えるようになった。

今自分が本を買って読んでいることがどれだけ幸せなことか、ふと噛みしめる。

もともと本は好きだったが、そんなに読む習慣はなかった。

学生時代はそこまで本屋さんに行くこともなかった(買うお金もないし、ブックオフで無料で立ち読みすることに罪悪感を覚える純正少年だった)し、図書館を利用したのも大学のゼミ論文作成のデスクを陣取るためであった。

高校時代は、教室に行けばロッカーの片隅に先生に見つからないように揃えられた漫画本コーナー。アーケードゲーム全盛時代であり、教科書を熟読する集中力もなく、フランシスコ・ザビエルや芥川龍之介の肖像は落書きの相手だった。

それが社会人になり、今は週末に何かしらの古書イベントがあるごとに関東のどこかに出没して古本を探して回っている。

学生時代の自分からはにわかには信じ難い。

毎回3冊まで、多いときには5冊ほど買う時もある。

古くても、世に知られていないがとても良い本が存在するんだという事実に遭遇したのが一番の収穫だ。

優れた作家の文章を通して、物事の捉え方・考え方の視野を広げられる最も近い手段が本である。

大型書店の新刊のトレンド本を追うのもいいけど、その時代を生きた人々の言葉選びや市井に触れられるのが何より新鮮だ。

今日も読んだ本で見つけた。

「誼を結ぶ」という言葉がある。

誼(よしみ):親しく思う気持ち

親しくすることを「誼を結ぶ」と表現する。

ほんの一昔前は「昔の誼」や「かつての同僚の誼」など、同郷や同窓の人々とのつながりを指すときに使っていたが、ふと気が付けば聞かなくなった言葉だ。

ともに楽しみ、時に憂い、大人になってからも連絡を取り続けている仲であれば、「誼」という言葉を自然に話せるようになれればいいよなあ。

とまあ、今日もたまたま見つけた古本の1ページに教えられた。

本にはこういう偶然の学びもある。同時に表現することの訓練として大いに役立っていることも学んだ。

十数年前の自分に言い聞かせたい。

「隠れてこそこそ頭文字Dを読破するより、図書館で三島全集とかを堂々と読んだほうが遥かに有意義だ」と。


この後も寝る前に米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実 」の続きを読むことにする。

今宵もページをめくる手が止まりません。

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