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#52 アスカの幸せを喜んでこそのファンでしょうが!

 「シンエヴァ」にて、庵野監督の中でのエヴァが終わった。公開初日に見てきたが、素晴らしい作品だと思ったし、改めてエヴァに出会えて、終わりの瞬間に立ち会えて良かったなと思う。

 しかし、どんな作品にだって批判は出てくるものであって、シンエヴァも例外ではない。シンエヴァは、これまでのシリーズと比べてわかりやすい内容となっていた。特に、後半のヴィレの面々がシンジ君を見送るシーンや、シンジ君とゲンドウの親子のやりとり、終盤のエヴァとパイロットたちの解放などは、難解故にエヴァというこれまでの捉え方から離れた、印象的なシーンだった。
 これらに関しては、「プロフェッショナル仕事の流儀〜庵野監督SP〜」にて、庵野監督自らが「わからないが面白い時代ではない。」と発言しており、現代に合う構成にしたことが窺える。

 もう一つの批判で、アスカについての意見が多く見受けられる。シンエヴァは、エヴァがどう終わるのかという期待と同じくらい、シンジ君は誰ENDになるのかで、公開前から盛り上がっていた。ご覧になられた方は既におわかりだろうが、ラストシーンはシンジ君と真希波・マリ・イラストリアスが駆けだしていく所で終わり、綾波でもアスカでもないことに憤慨されている難民が産み出された。
 このことについて、ファンとして気持ちがわからんでもないが、「お前、好きな女の幸せを祈ってこそ男だろ!」と大きな声で言ってやりたい。女性が言っている場合は「ぐぅ」と言ってやりたい。

 シンエヴァにて、アスカは中学の同級生であり、第3村で暮らす相田ケンスケのもとにシンジといたわけだが、その際の呼び方が「ケンケン」となっており、アスカ達がヴィレに戻る直前には、ケンケンがアスカの姿をビデオに収めながら「今日は撮らせてくれ」と言い、アスカが照れるというシーンがあった。
 この時点でLAS派の脳はブチ砕かれて飛散していた。更に、例の「あの頃はシンジのこと好きだったんだと思う。でも、私が先に大人になっちゃった。」発言が出た時は、映画館で半数の客の首がもげ落ちる音が響いた。

 これを受け、SNS上でLAS以外認めない勢が大暴れしていたが、そんな奴はファンとは言えない。そもそも、あの発言の真意の答え合わせは出来ないが、単に性行為を済ませた報告だとは考えられない。もちろん、実際にそのようなことがあった可能性はあるが、作品全体を通して見ると、アスカがシンジのことを子供扱いしており、そんな中でのシンジによるアスカとの答え合わせが完了した上での発言であったため、表面でしか受け止めない単純な内容ではなかったことは確かだ。

 それに、そもそもアスカとケンケンが恋仲にあったとして、それがどうしたってんだ。
 これまでアスカがどんな目に遭ってきたと思ってんだ!
 惣流時代はたった一人の味方だった母親が精神崩壊し、エヴァに乗ることが自分の唯一の存在価値だと言って戦い続けていたんだぞ。加持さんには見向きもされず、使徒の攻撃によってトラウマをほじくり返され、同級生のオカズにされ、やっとのことで母親がずっっとそばにいてくれていたことに気づいた直後、エヴァシリーズに陵辱され、式波になってからは幸せになって欲しいというファンの思いを背負った新劇場版では爆発し、使徒に汚染された挙げ句瀕死に追い込まれ、14年待ち続けてやっとシンジ君を回収した矢先にフォースインパクトが起こりかけたんだぞ!

 そんな地獄のような25年間を過ごしてきたアスカが、少しばかり幸せを実感できているのかもしれない。なら、それで良いじゃないの!アスカの幸せを願い続けてきたんだろ?アスカの笑顔を見たかったんだろ?アスカの幸せが、我々の幸せなんだろ?

 アスカに限らず、登場キャラの面々が救われたのなら、それで良いじゃないか。やっと笑えたんだよ、みんなが。だったら、俺らも笑って見守ろうよ。それでこそファンってもんじゃあないか。

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