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仕事を教えてもらっている時はいいのですが、説明を受けた後

「じゃ、やってみて!」

と言われると、途端に心拍数が急上昇します。



セミナーの講師コンテンツを作成してスクールの先生に提出した時もそうです。

「これって、どんなふうに説明するのか軽くやってみて」

と言われて、一気にテンパっちゃったことがあります。


「今からこれ覚えてね」

△×※〇□×♢

「はい、言ってみて!」

ムリ~!

ってなります。


どうやら僕は、脳力を試される…ってことが極端に嫌いなようです。



「松田さん、〇〇できる?」

とか

「〇〇って知ってる?」

「〇〇って分かる?」


こういう質問、めっちゃ嫌い!


特に女性から聞かれるのは、さらにイヤ!



なんで俺を試そうとすんの?


ってなります。

相手はそんなつもりぜんぜんないのに。




これね、


どんだけイキってんねん!オレ


って話なんですよ。



僕はなにカッコつけようとしてるんでしょう。

なにできる人間と思われようとしてるんでしょう。



なにより傷つく言葉は、

「そんなこともできないの?」

「そんなことも知らないの?」

「男としてダサくない?」

「情けないわね」



できないと情けない

知らないとダサい

弱いと思われたくない


評価されたい!



だって

こんなに歳とってるんだもの

人生経験豊富なんじゃないの?


だってセミナーの講師なんでしょ?

そんなことも知らないでよくやってられるわね。


まだできないの?

何回聞いたら覚えるわけ?

学生でも簡単にできちゃうわよ。



そんな声が聞こえてくるんです。



その声って、誰の声ですか?



そう、



自分の内なる言葉なんですよね。




そこで考えたんです。

一番自分が楽になる方法は?って。



そして編み出した結論!


できない奴と思われてもいいじゃん!

これでは、苦痛からは脱出できないんです。


「思われてもいい」という発想では、「思われてもいいが、できれば思われたくない」というニュアンスが潜んでいるんです。

わずかな可能性でもできる奴と評価されたい期待があるんです。


これがある限り呪縛からは解き放たれないんです。



もう振り切っちゃわないと!


出来ないヤツって思わせよう!


ダメ男くんと思わせよう!



できない奴と思わせるように努力をしよう!




この努力ならまあまあ簡単です。

できる奴と思わせる努力より数百倍ラクじゃないですか。

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