厳島の神 考察①
厳島神社は御存じでしょうか?
広島県廿日市市の宮島にある世界遺産、厳島神社です。
海中にある鳥居が有名ですが、古くは「伊都岐島神社」とも記されました。
その鳥居に飾られた扁額ですが、神社側は「伊都岐島神社」、
反対側には「厳島神社」と書かれています。
古くは、宮島自体が神域とされ、上陸することすらも禁忌とされてきた
神聖な島なのです。
またその後、人々が住み着いてからも、
・島にはお墓がなく、亡くなった後は島を渡ったところのお墓に入る
・昔は血の禁忌から、女性の生理時は島を離れた
など、厳島の神を恐れていたことが伺えます。
厳島神社の御祭神は
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
・田心姫命(たごりひめのみこと)
・湍津姫命(たぎつひめのみこと)
とされていますが、3柱の女神とされたのは、戦国時代の頃。
では創建はいつかというと、推古天皇御即位の年(593年)と
神社側が公表しているので、ここに大きなギャップが生じています。
それまでは「伊都岐島大神」とされていることから、
この伊都岐島大神を含めて、宮島(厳島)を考察してみたいと思います。
■厳島神の歴史
起源は「弥山」の秀麗な山容に神霊を感じて、島自体に神が宿る
と考えられており、
これに畏敬を感じた周辺の住民が、海上を隔てて遥拝したのが
始まりとなっています。
その為に、原初の厳島神への祭礼は、島に神殿や祠もなく、
島の周辺で素朴な形で行われていた、と一般的に言われています。
■考察①
私が現地で感じたのが、海から弥山を眺めても、その姿にあまり畏敬の念を
感じなかった。
そこまで秀麗な山容ではないのです。
しかし、そこには間違いなく、かつて原初の信仰が存在していました。
結論から言いますと、私の意見では、本土から船に乗せて流した
「死体」や「死すべき罪人」が流れ着いたのが、ここ厳島であり、
そこはまさに「黄泉の国」であったと認識されていたのではないだろうか。
死の国、黄泉の島、罪人が生きたまま流れ着き死すべき場所、
死体となった罪人や忌むべき死体が流れ着いた島、それが厳島で
あったと思うのです。
そうするといくつかの疑問が氷解します。
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