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「ストリングスを使うバンドなんて邦ロックじゃない!」~邦ロックとしてのレミオロメン考察~②

①は下記リンクから。

話を戻します。たしかに邦ロック好きにとって「ストリングスの有無」というのは非常に重要で、これが存在した途端に邦ロックではなくなり、J-POPになってしまう感覚。邦ロック好きに付きまとう「ストリングスアレルギー」問題。「このバンド、壮大な感じを出して売れようとしているな…?」という懐疑の目を瞬時に向けてしまう。今振り返ると「ストリングスがあるか、ないか」というあまりにもざっくりとした区分けに翻弄されていた青春期の自分が恥ずかしくなりますが、当時の自分からすると非常に深刻な問題だったんですよね。現にストリングスが前面に出始めた①で語ったアルバム『ether(エーテル)』から私はレミオロメンを聴かなくなりました。


しかも①でレミオロメンにまつわるポストを引用したYellow氏曰く、「コバタケストリングスってもう味の素とは味覇みたいなもん」。つまり、小林武史の施すストリングスアレンジというのはほぼ全員の日本国民が好きな味。絶対に覚えている味。マクドナルドとかカレーみたいなものですよね。なるほど、J-POPとは「誰もが覚えている音」が入ることなのかもしれません。この「コバタケストリングス」考察に関してはサザン‐ミスチル‐マイラバ‐レミオロメン‐バックナンバーなどを通して誰か書いてほしいですね。おねしゃす。というわけで、以下の言葉が頭に浮かびました。

「ストリングスを使うバンドなんて邦ロックじゃない!」


J-POPに対する悪口か、邦ロックに対する皮肉かわからない言葉が爆誕したところで、私の思う「邦ロックとしてのレミオロメン」4選を簡単に紹介して締めたいと思います。


レミオロメン「フェスタ」

完全無欠の夏フェス映え曲。藤巻亮太の手法としてたまに見られる、サビのメロディを微妙に外してくるところのクセがめちゃくちゃうまいよなと思います。

レミオロメン「春景色」

2ndアルバム『ether(エーテル)』収録曲ですが、私の出会い方としてはシングル『モラトリアム』のカップリング曲として。個人的に「もしもレミオロメンがNUMBER GIRL『鉄風 鋭くなって』っぽい曲を作ったら」楽曲。イントロのベース、ハイハットの刻み方、スネアのリバーブ感、ギターのコーラスのかかり具合…。かなり色濃く影響を受けてると思うんですよね。で、「鉄風」は冬を想像させますが、「春景色」はタイトル通り春を想像させます。このひねくれ度合いはレミオロメンらしくないところも含め、かなり好きな楽曲です。


レミオロメン 3rdシングル『3月9日』(カップリング「日曜日」)

最後は一気に2曲。レミオロメンの「粉雪」に並ぶ代表曲で、卒業式の定番ソングになった「3月9日」ですが、リリース時はオリコン週間ランキング最高11位なのでビッグヒットではなかったんですね。大ヒットする「粉雪」が主題歌に使われたドラマ『1リットルの涙』の挿入歌として使用され、そこからじわじわ伸びていった印象。様々なアーティストがカバーしたり、卒業式の合唱の定番曲になったりと、J-POPの枠を超えて日本国民のスタンダードナンバーになった楽曲も、もともとは3ピースバンドの構成で作られた邦ロック楽曲。今思うとコバタケストリングスが存在してもよさそうな気がしますが、そういった派手な演出もない。展開も「Aメロ→Bメロ→サビ(×2)→Cメロ→落ちサビ→ラララ大団円」という、ありふれたものと言えるかもしれないのに、国民的楽曲となっている。いや、だからこそ国民的楽曲になれるのかもしれないですね(フジファブリック「若者のすべて」も同じように)。そしてカップリングの「日曜日」が、すごく”カップリング然”とした邦ロック楽曲なんですよね。「勢いで作りました!」と言わんばかりの。そして歌詞は藤巻亮太お得意の「日本語の叙情性」が爆発。マキシシングル『3月9日』を2曲通しで聞くと「短い間だったかもしれないけど、このバンドも邦ロックの人たちだったんだな」と私は思いを馳せるのです。

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