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【カンノ音文】ノーナリーブスと「邦ロック」に括られるということ③

①と②は下記リンクから。

アジカンは自身の主催フェス『NANO-MUGEN FES.』において洋楽アーティストを多く出演させたり、TOKYO FM『SCHOOL OF LOCK!』内の番組「アジカンLOCKS!」で多くの洋楽を紹介したのは、「洋楽離れが言われている昨今、若いリスナーに洋楽を聴くことを定着させたい」という想いがあったと思うのですが、「邦ロック」を担ったアジカンがそれをやってもあんまり意味がないようにも思えるのです。だって日本語の婉曲表現の面白さを若いリスナーに定着させた張本人だから。「今さら洋楽のことを言われてもな~」と中学生のころの僕は思っていました。

ノーナはそれと真逆だったと思うのです。洋楽の影響全開の楽曲で、日本語をどう英語っぽい響きで歌うかを重要視していて、言葉の響きを重視した故に言葉の意味が軽くなってしまう。つまり、歌詞を読みたいと思うリスナーが多かったのが邦ロックだったと思うんです。「聴く」ではなく「読む」。もちろん、その音像は聴きつつですが、「何を言っているのか?」が重要視されていた2000年代邦ロック全盛時代においてノーナのような明るく楽しいパーティー感溢れる方向のバンドというのは当時の音楽業界においては不利だったように思えるのです。たとえば2009年リリースのアルバム『GO』収録の「Hey, Everybody!」って曲のサビは「Hey, Everybody! 今ここに ありをりはべりいまそかり」ですからね。響きの楽しさのみ。歌ってる意味を読み取りたいと思う陰キャ邦ロック大好きキッズは、そりゃ乗れないよなと思うのです。

そもそも僕のノーナとの出会いは2007年のスペシャのマニアックなクイズ番組で、各局が猛烈にプッシュしていたわけではない。そして2000年代からのフェスブームにおいて、NONA REEVESという名前を見かけたことがほとんどない。それゆえに「〇〇と仲が良い」みたいなバンド同士の横のつながりが見えづらい。そしてこのころのノーナはレーベルを転々としており、なんとなくの不遇さも見受けられます。僕が出会ってからの2000年代のノーナの個人的に一番のホットポイントは西寺さんが出演した『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』での企画「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説」です。これも2007年ころだったか。ライムスターが好きだった僕は当然タマフルも聞いていて、たまたまこの特集を聞いて大爆笑して、同級生の友達たちにこの話を言い聞かせた記憶があります。で、ノーナのホットポイントが「音楽」ではなく「おもしろ政治語り」だったんですよね。これが個人的に決定的で「バンド界隈とは違う人なんだろうな」という印象になりました。

のちに調べてみると、2000年代にLOFT PLUS ONEのトークイベントに出演したり、シティボーイズや小林賢太郎の舞台へ楽曲提供したりと、お笑いや文化人方向へ足を伸ばすこともあってか「音楽だけではない人」という印象はあったみたいですね。もちろんこのような音楽シーン以外への動きというのはYouTubeをはじめ今となっては当たり前なのですが、2000年代の音楽シーンにおいて、西寺さんや宇多丸さんみたいな人って珍しかったと思います。で、高校生当時の僕もそれを物珍しく面白がって見ていたうちの一人でした。

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