〖短編小説〗生きてるだけで



「生きてるだけでえらいよ!」

これが、高校時代のクラスメイトであった、とある女の口癖だった。

別に特別親しかったわけではない。では、なぜ彼女の口癖なんてものを知っているのか。それは、単に声が大きかったからだ。

いつだって彼女は明朗に笑いながら、少し悲しいことがあっただけで「死にたい」などと零す友人に、その言葉を口にしていた。

「生きてるだけでえらい、ねぇ...」

なぜ今頃、高校生の時を思い返したのだろうと疑問に思う。

無意識に頭に刻み込まれた言葉に、たった今背こうとしているからだろうか。

高所特有の強い風に吹かれて、いつの間にか人生で1番伸びたような有様になってしまった前髪がたなびく。視界に斜線が入ったようで、何となく笑えた。

近くの交差点から、信号が青になったことを伝える音楽が聞こえてきた。チカチカチカ。

それの終わりを合図にしようと決めた。ちょうど、タイミングに困っていたところだったのだ。

最後に思い出すことはいっぱいあるはずなのに、僕の頭に浮かんでいるのは、人間のマークが赤に変わる瞬間が最期なんてシャレがきいてて悪くない。なんて、そんなくだらないことばかり。

命綱代わりに掴んだフェンスにこびり付いた錆が、掌に移っている。昔から鉄臭い匂いは苦手で、顔を顰めて拭おうとしたけれど、そういえば一分後の僕はもっと強い匂いに包まれているはずだと気づいて、そのままにすることに決めた。

チカチカチカ。

チカチカ。

チカ。

「ハンカチ、使う?」

世界から音が消えた気がした。眼下を見れば、人が行き止まりに立ち尽くし、車が滑るように視界の外へと消えていく。

「持ってるよ」

「そう。高校の時から綺麗好きだったもんね」

「...話したこと、あったっけ?」

「一人でいる子ってね、案外教室の真ん中からよく見えるんだー」

僕が教室の隅から、君の大きい声を受け取っていたみたいに、逆もまた然りだったのだろう。

「それに、昔から得意なの。1人になれる場所を見つけるのも、寂しそうな人を見つけるのも。こんな街中でもね」

「教室と大差ない?」

「よく考えてみて?箱が小さいから気づかないだけで、あれってとんでもない人口密度だよ」

「小さな社会だから」

「そう。だから今日も君を見つけられたんだと思う」

「ねぇ」

「んー?」

「言って欲しい言葉があるんだけど」

フェンスを乗り越え、そちら側へ。それが何だか、言葉を受け取るために必要なことな気がしていた。

君はそれを見ると、ニコリと微笑んだ。

「今日もえらいね」

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