家族の願いと呪い
今日は家族について書いてみようと思う。
私は長らく【家族】というテーマに向き合ってきた。というか、向き合わざるを得なかった。
暗黒の中学時代
私はほとんど中学に行っていない。中学1年の時、原因不明の体調不良により不登校になった。頭が割れるように痛くて、身体が鉛のように重く、通学どころではなくなってしまったのだ。
当時、学校に行けずベッドで横になっている時「人生終わった」と心底思った。
良い学校を出て、良い仕事をして、良い人と結婚するのが【良いこと】と思い込んでいたので、私の人生「序盤からアウトじゃねーか!生きる価値なし!」と、自分を責め続けた。
当時、あまりにも体調が悪かったので大学病院に入院をして隅々まで検査をしてもらった。
検査結果は異常なし。精神的なものであろうとのことで、最後は心療内科にたどり着いた。そこで継続的に親子でカウンセリングを受けるよう言われた。
母は「具合が悪いのは娘だけなのに、何故、私もカウンセリング受けるんですか?」「まさか精神病ではないですよね?」など主治医に聞いていた気がするが、受けることを決めてくれた。
当時はまだ「心」に焦点をあてた関わりが一般的ではなく、心療内科にかかるということは非常にイメージの悪いものであった。母も私も、すごく落ち込んだように記憶している。
しかし、どんな薬を飲んでも、休息をとっても全く良くならない私の体調に、私たち親子は疲弊しきっていた。藁にもすがる想いでカウンセリングを受け始めたように思う。
その中で、初めて、自分の家族がどうやら【変わっている?】らしいということに気がついた。
カウンセラーという第三者から家族のことを聞かれるまで、私は自分は幸せな家族の中で育ってきて、自分は幸せなのだと思い込んでいた。
しかし、体調不良になり診療内科にたどり着いた頃の私といえば、目の前のカウンセラーには全く心を開かず、本音を言わず、表情を変えず、人間不信の塊のような14歳になっており、どこからどう見ても、幸せそうには見えなかったと思う。
当時の私は、体調不良になったことは全て自分の責任であり、頑張ってなんとか社会復帰をしなければという想いでいっぱいだった。
定期的に訪れるカウンセリングの日が嫌いだった。
大学病院の明るい正面玄関を入り、奥の方の暗くなっているエスカレーターに乗り、暗い暗い通路を抜けて心療内科の待合にいく度に、不安な気持ちになった。
コールタールの海をさまよっているような、出口のない絶望感に襲われた。
無機質なカウンセリングルーム。沈黙だけで60分が過ぎる回が幾度となく続き、こんなカウンセリングに意味なんて1mmもないとも思っていた。
でも、ある日、ついにカウンセラーに胸の内を言えた。
「このカウンセリングに意味がないと感じているから、やめたい」
そこで、カウンセラーからは、この言葉をそっくりそのままオウム返しされるわけだが、それまで生きてきたコミュニケーションの中で、オウム返しをされたことがなかったので、これはけっこうなインパクトであった。
この場では、何を発言しても否定されたり。怒られたり、非難されないのか。と。オウム返しの傾聴に違和感はあったものの、その日を境に、少しずつ少しずつ、私はカウンセラーに話をするようになった。
誰にも言ったことがないようなことを話せるようになっていった。
何を話しても、オウム返しされるので、イラッとすることもあったが、誰かに話を伝える場があることで救われていった。
学校には行けるほど、すぐには体調は回復してくれなかったが、約2年間継続的に話していく中で、私の中の何かが解きほぐれていった。それまで漠然と感じていた「体調不良で迷惑ばかりかけて、私は生まれてこない方がよかったんだろうな」という想いも薄れていった。
私だけの問題ではない
カウンセリングにより、私は意識が変わった。
私の不調は、自分だけではなく家族の問題なのだという視点を少しずつ獲得していき、自分を必要以上に責めることが少なくなっていった。
私が悪い、家族が悪い、とかいう話ではなく、お互いに相互に関係しあっている中で、その歪みが私の身体を通して表出しているだけなのだと、感じられるようになった。
とはいえ、その事に気づいたのは私だけであり、母は親子カウンセリングを受けていたにも拘らず「悪いのはお父さんだ!」と、私とは違う気づきを得ていた。(その結果、父は単身赴任をすることになる)
人の気づきや捉え方は、個々のものがある。だから、それはそれで良いとも感じていたが、家族の中の特定の誰かを悪者にすることに痛みを感じた。
時に、私が悪者になり、弟が悪者になり、父が悪者になり、母が悪者になった。そして、もっと大きな繋がりで見ると、親戚たちから、私たち家族は悪者(変わり者)とみられていたこともあった。(もちろん、そうでない時もあるし、それはお互いさまだったりするのだが)
「家族の見えない繋がりによる負の連鎖」を感じ10代の私は絶望した。
そのうちに、弟も体調不良になり不登校になっていった。さらに、従兄弟たちも原因不明の体調不良で学生生活を穏やかに送ることが難しくなっていった。
そこで、私は、確信した。
私は、この現象のことを、しばしば【家族の呪い】と表現する。
私の家族は驚くほど、同じパターンを繰り返して生き、そして苦しんでいたから。
例えば、パートナー選びや結婚については、家族、親戚含めて、驚くほど似たような相手を選んでいる。そして、似たようなロール(役割)を握り、無意識に意思決定をしている。
傾向としては、多くの人がなんからの依存性を抱えていた。アルコール、ギャンブル、買い物、セックス、薬物、ゲーム、などなど。
依存性の当事者、もしくはそれを支える側という役割の中に、誰もが無自覚にハマっていた。
依存性ではあるものの、社会性を維持しているので対外的には幸せな家族に見えていたと思う。これを高機能依存症ということを大人になってから知った。
この隠れ依存症との言われる高機能依存症は実は沢山いるというデータもある。そういう点では、家族を超え、社会の課題でもあるように感じる。
暗黒の中学を経て、高校からは社会復帰したものの「見えないつながり」をテーマに生きることとなる。
呪いを断ち切る
10代で、この呪いに気がついてはいたものの、その強力さを前に無力であった。しかし、この呪いは、私の代で断ち切るのだと、どこかで強固に思っていた。
とはいえ、呪いの断ち切り方が分からなかったので、とりあえず子孫さえのこさなければ大丈夫であろうと考えていた。「私の代で、全てを終わらせるためには、結婚はしてもいいかもしれないが、出産だけはしてはいけない」と思っていた。
そう決めてはいたものの、自分の代で呪いを終わらせるというのは骨が折れる世界観である。
家族というテーマをガチで向き合ってみた時、それは極めて扱い辛く、何度も何度も挫折した。そして、最終的には、私は家から距離を置くという選択に至った。
それから幾年か経ち、私は結婚した。結婚4年目の29歳で想定外の妊娠をし、出産をした。そして、産後3ヶ月、離婚した。
(このストーリーは長くなるので別の機会に)
出産と離婚を機に、私はガチで家族と向き合うことを決め、紆余曲折ありまくり、今に至る。
家族と向き合うことは無理ゲーなのではないかと、心底思っていたが、コーチングをはじめ様々な対人支援アプローチを通して、向き合うことができることを知った。
黒歴史すぎて、誰にも話せなかった家族のダークサイドについて、人に話すことが出来た。
その結果、黒歴史がほんの少しずつリソースに変わっていった。
奇跡ってあるんですね
昨今、私の中で、奇跡と言っても良いであろう現象が起こっている。
実家の家族は、これまでに感じたことのなかった安心安全な関係性になり、コミュニケーションが出来るようになった。
再婚して歩みはじめたステップファミリーも、色々あるけれど新鮮で楽しい。
家族に対して良いイメージがなかった私からすると、奇跡としか呼べない世界で、今、生きている。
これは、心底そう思う。
極めて個人的な意見として書きたいのだが、家族について一人で向き合うのは、マジでやめた方がいい。無理ゲーの中の無理ゲーだ。
第三者の力、とくに対人支援のプロフェッショナルや仲間の力を借りてくれ!!と、切に書き残したい。
とはいえ、家族のことを扱う場に、家族全員が参加する必要はない。自分一人で良い。
なぜなら、家族は見えないつながりで強固につながっているから。
自分が本来持っている自分らしさ(全体性)を取り戻すことで、少しずつ、家族も変わる。
家族のつながりに気づいていくと、この家族という生命体がどのような願いを持って存在しているのかということが、うっすら感じられるようになる。
つながっているんだよな。
どんな関係性であっても。
時間はかかるかもしれないし、必ずしもハッピーな場所には行かないかもしれないけれど、家族をテーマに持っている方は、それと向き合うタイミングがきたとき「誰かと一緒に向き合う」ということを、思い出してほしい。
家族のことで、行き詰まったときは、先人たちの知恵に触れてみてほしい。歴史上の様々な学者や研究者たちが、マニアックに探究してくれている。参考になる部分もあるし、ならないところもあるだろう。
私は、先人たちの知恵に救われた。
家族を扱う時間
ここから、告知っぽくなってしまうのだけれど、来月名古屋にて先人たちの知恵がいっぱい詰まった【家族】をテーマにした対面ワークショップをするので、ご興味のある方はぜひどうぞ🙏
前泊される方は、ゲストハウスか一棟借りのお宿を予約して、希望者を募り、私も一緒に泊まって合宿風にしてもいいかなーとも考え中。
ただ、日程がめちゃめちゃ平日なので、平日フルタイムでお仕事をされている方は【有給】案件になってしまうというのが心苦しい。(こんな日程でごめんなさい)ファシリテーターのひろさんが大人気すぎて日程押さえられず。
2022年7月3日(日)-名古屋某所で合宿(予定)
2022年7月4日(月)-対面ワークショップ
ワークショップの内容はこんな感じです。
ここから少し、当日のアプローチについて説明しよう。
ゲシュタルト療法は【気づき】に全てのリソースを振り切ったといっても過言ではない程の究極の「今-ここ」を体験する心理療法。
ファミリー・コンステレーションは、自分の問題、自分の苦しみと思っていたことを「家族のつながりや、自分という存在を構成している要素全体という観点から見直す」ことを可能にする方法。
当日は、広い部屋を使い、家族を星座のように配置しながらワークを行う予定。詳しくは申し込みページを読んでみてね。
今回、ファシリテーターとしてお呼びしているのは、ゲシュタルト×ファミリーコンステレーションの第一人者であり実践経験豊富な野妻裕美さん(ひろさん)で、私は夫と企画運営と当日サポートとして入る。(あとは、合宿やるとしたら、その幹事もやるぞ!)
このワークショップをオススメしたいのは、家族をテーマにした人全てではあるが、特にオススメしたいのは対人支援をしている方。
それは、クライアントの「テーマ」の背景には、家族が影響していることがあること、そして、支援者自身の無意識な「テーマ」がセッションに影響することがあるからだ。
家族の誰かの無意識の課題を、家族内の誰かが引き受けていたり、世代を超えて課題が連鎖していくことがある。
家族の葛藤や対立の奥には、互いを支えあう力が働いている。家族というつながりの中で、今、何が起きているのか、これまでのパターンに気づくことで、創造的な歩みの可能性が広がる。
当日、ともに探究してくれる方がいたら嬉しい!
そして、私自身はこれからも家族について探究を進めていくので、noteをフォローしてくれたら嬉しい!
読んでくださりありがとう!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?