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炎上させる権利

ネットの民は炎上に疲れ始めている。はてなブックマークを見ていると、今年に入ってからも、『竹山がすべらない話でマエケンの話をする』『キンコン西野が絵本を無料公開』『韓国に特化したフェイクニュースサイトで嘘のニュースを報じた』などたくさんの炎上案件があってそれについて思ったことや解説した記事がまた人気になる。そしてこの記事もそれについてだ。

わたしたちの生活のほとんどは取るに足らないことだ。毎日朝に起きて会社や学校に行って帰ってきて寝る、そこに刺激はない、ただ真綿できりきりと締め付けられるようなただ緩慢に死に向かっているような焦燥感があるだけだ。だからこそわたしたちはなにがしかの表現をして「ぼくはここにいるよ」と主張したい欲求に駆られる。それは動画であったり写真であったり絵であったり音楽であったり手法は様々だ。

そのなかでもっとも簡単なことは文章だ。文章は得意不得意があろうとも誰でも書けるし、ごく短い文章でも強い語気を使えば簡単に誰かの感情を揺さぶることができる。その最たる例が「日本死ね」だ。たった四文字の連なりはネットから生まれ瞬く間に現実世界へと浸透していった。彼女だってまさか国会まで届くとは思っていなかっただろう。

表現手段を持たない人間にとってもっとも簡単なことは世相を斬ることだ。日常のニュースは悲惨なことで満ちていてなにがしかの感情を揺さぶる。そして感情を揺さぶられたその勢いで、スマホで140文字~1000字超の文章をこさえる。表現欲求を昇華し誰かに観測されたとき、ひとは満足感と安堵感を覚える。

そして表現をするための素材は粗があった方がより良い。それはつまらない映画を見せられたときの怒りに似ている。「俺の方がもっとよく撮れる」「こんなストーリーはありえない。なぜなら~」完璧な作品は文字通り《文句の付け所がない》が粗悪な作品にはいくらでも文句を思いつく。それは文章を書くときでも一緒だ。完璧な論理的な批判よりもエモーショナルな批判の方が、書くネタを思いつく。

わたしたちは「社会をより良いものにしたい」とは必ずしも思っていない。内なる表現衝動を突き動かす藁人形を求めているだけなのだ。

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