私が憧れ続けた大人はどこにもいない

ピン留めしたnoteとあまりにも矛盾する内容だけれど、いい加減大人に期待するのを辞めたい、と思っている 
自分が20歳を超えて、自分が20年間ずっと心に抱いてきた理想の大人がこの世には存在しないことを知った 

幼稚園年少の頃、年長さんはなんでも知ってる大人に見えた
小学生の頃、児童館のお兄さんお姉さんは優しくて、大きくて、なんでもできる大人に見えた
中学生の頃、部活の先輩はとても横柄な態度で、人にこんなに堂々とした態度ができるのは、世を動かす大人だからに思えた
高校生の頃、3年生の先輩はキラキラしていて、会話の内容もなんだか大人っぽく見えて、心身ともに成熟した大人に見えた

私は気づいてしまった 憧れ続けた大人という存在は、常に私より人生を長く生きているというどう藻搔いても超えられない壁があって、手の届かない所にあるから大人なんだと 私が憧れ続けた存在はただの幻想だった 悟った10代のあの日 こんなに辛いことってあるか
一生私は、一生なることのできない大人になることを夢見て生き続けるんだと思う、そして、私が思う大人にはもう一生なれない 死ぬまで空虚を、幻想を追い続けるんだと思う 一生大人になれない私が生き続ける意味ってなんだ 成長するって、大人になるって、生きることって、なんだ

なあ、見てみろよ、これが大人?
大人になってしまった自分と向き合う度胸もないのに、自分以外の大人を別のようにカテゴライズして期待するなんてわたしは、随分と都合のいい大人だね

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