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「哲学Bar」とはなんだったのか

2024年3月10日、10年以上にわたって続けてきた「哲学Bar」という企画が最終回を迎えた。本記事はこの不思議な試みの記録である。


哲学Barの概要

哲学Barは毎回テーマを決めて、集まった人たちで飲みながら自由に話し合うというシンプルなイベントだ。私は普段「哲学カフェ」というイベントを各地で開催しているが、それのBar版というのが一番わかりやすい説明かと思う。

会場は京都の三条にあったBar VOGA Foyerで、2013年10月(当時お店は四条木屋町にあり、その後移転)から概ね月1回開催してきた。お店は舞台芸術集団VOGAの近藤和見さんが長年続けられてきたが、和見さんの創作活動の拠点が関東に移動することになったため、2024年3月に惜しまれつつも閉店している。この間、哲学Barはお店の定期イベントとして10年以上継続することになる。

哲学Barの様子。山本はカウンターの中に立つ

哲学カフェへの違和感

哲学Barは2013年に始まった。当時の私は会社勤めをしながら哲学カフェを始めて2年ぐらいが経っていたが、一方でこのイベントに違和感を覚えていた時期でもあった。少し回り道になるが、この違和感についても書いておきたい。

哲学カフェはフランスのカフェで偶然始まったとされているが、草の根の議論が生まれた場所がカフェだったことは決して偶然ではないように思われる。かつて西洋のカフェは、文学や新聞の感想、政治談議などを見ず知らずの人々が自由に、身分の差を超えて議論することができた場だったからだ。そこでは様々なクラブやサークル、政治的な結社などが生まれ、市民社会や民主主義の発展を促したとされている。いまでも欧米のカフェは家でも仕事でもない第三の場所(サードプレイス)として機能しており、人々との交流を求めてお店に来る人も多いという。彼らにとって、カフェは人と話をしに行く場なのだ。

一方で日本の喫茶店やカフェはどうだろうか。明治時代日本に喫茶店ができた当初は社交の場としての性質も強かったようだが、時代とともにその役割は変化してきた。アメリカの人類学者メリー・ホワイトは以下のように指摘している。

欧米、特にアメリカのカフェについて書かれた文献では、ますます個別化して、孤立した都市の体験にはないつながりが持てる交流の場として、この三番目の場所の社会的な側面を重視している。しかし日本では、カフェの社会的な用途は、以前も今もはっきりしている一方で、カフェの体験で最も共通することは変化してきている。つまり、[中略]カフェは一人になるための場所でもある。

『コーヒーと日本人の文化誌: 世界最高のコーヒーが生まれる場所』

ホワイト曰く、日本では都市生活は非常に高密度で張り詰めており、社会的な緊張感からの解放をもたらしてくれる場所としてカフェが機能しているという。日本に住む人ならこの指摘は感覚的に理解できるのではないだろうか。客同士の交流を促しているお店ももちろんあるが、たいがいのカフェでは隣に座っている人に気軽に話しかけることは憚られる雰囲気であり、一人の時間や、親密な間柄同士での時間を楽しんでいる人が圧倒的に多いからだ。

哲学カフェを始めた当時、自分には欧米のカフェ文化への憧れのようなものがあったのかもしれない。哲学カフェで見ず知らずの人と議論をすることは楽しかったが、「今から会が始まりますよ」という人工的につくられた区切りへの違和感は拭えず、もっと自然に会話や議論が生まれる場をつくれないかと考えていた。そこで目をつけたのがBarの存在だった。日本だったらお酒を飲みながら話すBarの方が、カフェよりも見知らぬ人との交流が生まれやすいのではないかと単純に思ったわけである。

そんなことを考えていた折に、知人の紹介でBar VOGAに訪問する機会があった。普段からアーティストや役者の方が集まっており、文化的な話題が多いこの場所であれば自分の望むような場が作れるのではないか。そう考えてマスターの和見さんに企画を提案したことが哲学Barの始まりだった。

試したこと、起こったこと

哲学Barを開催するにあたって、哲学カフェとは異なる形式をいくつか採用していた。試したことや、思うようにいかずに途中でやめてしまったことも含めて、記録のために記載しておくことにする。

時間設定

自分が昼間に開催している哲学カフェは大体2時間の枠をとっていたが、哲学Barでは90分と短めに設定していた。途中で休憩も挟むので結構短く感じる人も多かったのではないかと思う。その代わり「終了してからも残って話しましょう」というアナウンスを毎回していた。自分の哲学カフェでは終了後はスパッと解散することが多かったので(他の場所では終了後懇親会を設けているところもあるが)、この辺りは結構大きな違いだったと思う。結果、残った参加者と感想をシェアしたり、他愛ない会話をして楽しむことができた。また、通常営業の時間になってから来たお客さんとも哲学Barの内容について話したり、ときには議論が続くようなこともあった。

注意事項

哲学Barはお酒が入ることもあり、あまり細かい注意事項は設定せず「飲みすぎない・(一人で)喋りすぎない・ケンカしない」というシンプルなお願いをするのみだった。「お酒を飲んで議論したら場が荒れないのか」という質問をよく受けたが、想像されるようなトラブル(乱闘とか)になるようなことは幸いにしてほとんどなかった。もっとも、これはBar VOGAの落ち着いた雰囲気によるところが大きいと思われ、賑やかな居酒屋とかで開催したらどうなっていたかはわからない。場の持つ力は大きい。

余談だが別に飲酒を推奨していたわけではないので、お酒を頼まない参加者の方も毎回一定の割合でおられた。

会のはじめ方

上に書いた通り「イベント的な区切りを無くしたい」という思いがあったので、哲学Barを始める際も雑談から入って、いつのまにか議論が始まっているような形が理想だった。そう思って何回か試してみたのだが、自分のスキル不足でなかなかうまくいかず、結局時間が来たら簡単に説明をして開始という形に落ち着いた。自分がバーのスタッフとしてずっとカウンターの中に入っていたら、また変わっていたのかもしれない。

テーマ・内容

テーマについては「演じる」「旅」など、昼間の哲学カフェと大きく変わらないものも多かったが、「あなたの嫌いなもの」や「マンガ」「夏休み」など、割と雑談的なテーマを設定する時もあった。お酒が入っていることもあり、話される内容もテーマから脱線することがあったが、楽しく会話できているなら進行役としてある程度は許容するようにしていた。

日経MJに掲載されたことも。このときのテーマは「ブランド」

参加者/非参加者の境界

哲学Barは途中参加・途中退場OKにしていた。昼間の哲学カフェでも同じようにしているが、哲学Barは特に途中参加の人が多かったように思う。(開始時にあまり人がいないので不安になることも結構あった)

また、哲学Barの開催中も他のお客さんが利用されることがあったため、参加者と他のお客さんの境界が曖昧だったことはこの会の大きな特徴だったように思える。お客さんの中には聞き耳を立てている人や、テーマについて自分たちのグループで話し始める人(そのときは「愛」について話していた)、我慢できなくなって議論に加わる人など、さまざまな人がいた。なかには、「自分は参加者ではない」と言いながら毎回哲学Barの時間だけに来店するお客さんもいた。このようなことは自分が開催している他の哲学カフェではなかなか見られないことだったので、やはりBarという場所の持つ力が影響していたのではないかと思う。

最近では、参加者が安心して話せるようにするためにクローズドな形式で開催されるよう哲学対話も多い。そのような場はもちろん必要だが、一方でオープンな空間で議論が行われることの意義を改めて見直すことも重要ではないかと感じる。このことは自分の当面の課題になりそうである。

おわりに

「イベント感を無くして、時間の区切りを曖昧にしたい」というのが哲学barを始めた元々のきっかけだった。この狙いがどれだけ実現したのかは正直わからない。しかし、哲学Barでしか体験できないような、さまざまな出来事が確かにあった。自分にとっても本当に思い入れのある試みだったと思う。

オリジナルカクテル「スカーレット・オオハラ」

さらばVOGA Foyer。人生の素晴らしき一部よ。
そして11年余りを駆け抜けた近藤和見さんに、改めて心からの感謝を。

哲学Barにご参加いただいたすべての皆様、本当にありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。

特別だった第3日曜日の夜に

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