誰かの説明書:僕は、義務教育だから助かった。

底辺×高さ÷2で、三角形の面積が求められる。なぜなら、それが教科書に書いてあるからだ。
自分は、教科書に書いてあることを、なぜ皆正しいと思って進めることが出来るのかという事に疑問を持っていた。
誰が書いてるのかも分からない教科書を読んで、綺麗に並べられた席に座って、1時間過ごして。これはいったい何をしているのだろうと思っていた
「いや、答え出るからいんじゃない?」という声を聞くと「なんで先生が出した答えと、一緒だと、正解になるのか、意味が分からなかった。
だから、つくづく馬鹿なんだな自分は、ずっと思っていた。それは、今もだが。だけど、その疑問を誰かにぶつけたことなんてない。
なんでかというと、そーいう人間はめんどくさい存在であるという事を、しっていたからだろう。授業の終わりにさしかかっても、手を挙げる人は、
「なんで手上げんだよ」という目で見られる。だから、知っているけど、知らないフリをするのが、この世の中なの正しい動き方なのだろうと理解した。
だけど僕は、そーいうめんどぐさられそうな人間とだけ付き合っていた。僕はそーいう人間が、うらやましかったからだ。彼ら・彼女らは、それをなにも気にしていないような顔だったから。
また、彼ら・彼女らは僕に近づいてきてくれた。僕は、正しい事をしている人たちなのだろうと、直感的に感じていた。だから、拒む理由がなかった。また、彼ら・彼女らは、時々寂しそうな顔をしていた。
だから、自分が対応すれば、この人は1人じゃなくなるなと思った。だから、出来る限りそーいう人達、外れた人と一緒にいた。
よくよく考えると、自分から話しかけたことなんて、ほとんどなかった。だけど、友達はいた。だから、自分は人見知りとは、少し違うような気がする。
なんとなく、必要な人が自分を使えばよくて、必要じゃない人は、そもそも関わらなくていいと思っていたという感じに近い。
だから、極論声をかけてくれた人が、友達なのだと思う。逆に、自発的に求めようと思ったことはない。だから、何もしてないけど、一人になった事はない。
まぁ、静かなくせに、そこそこ色んなことが出来たというのもあるだろう。学生マジックかな。
僕は、いつも外野の席から見ているようだった。クラスには、階層というものが存在していたが、いつもその階層にそもそもいないような感覚があった。
だから、人というものが良く見えた。属した瞬間、まわりが見えないくなる事を知っていた。固まっている人は、自分たちの事をよく見えていないようだった。
自分たちが、個性的な顔を持っていると思っているようだった。だけど、僕には、同じような顔にしか見えなかった。だから、属さない事が大切な事なんだろうという事が分かっていた。
そーいう動きをしていたからか、当然いじめにあった。それは、とてもこたえた。なぜなら、まわりにいた人も、僕を助けた人が誰もいなかったからだろう。
人間って、そんなもんなのだなと思った。けど、誰にも僕はそのことを相談しなかった。心配させたくないと、思っていたからだろう。子供のくせに、大人のふりをしていたのだろう。
だから、そのころから自分は嘘をつくようになった。習い事もさぼるようになった。部活も途中で辞めた。それで、親によく怒られたけど、これは仕方がない事だろうと。
精神を少しでも休ませるための、自分なりの身を守る方法だった。また、イジメられることに慣れていたというのもあった。
また、学生はイジメられる期間が決まっている。だから、それまで耐えれば問題ないと思った。義務教育に時間が決まっている事だけが、この国に感謝出来る事だろう。そーじゃなかったら、とっくの昔に首をつっている所だ。何で生きているのだろうと考えると、それはたまたまだと思う。もう一回同じ人生を歩むとしたら、ここまで生きられる自信はない。
逆に、この偶然が自分にとっての希望なのだと、自殺したというニュースを見るたびに感じる。生きる理由は、もうそれくらいしか見当たらない。勝手な使命感だろう。
当たり前のことに対して、疑問に思って、答えが出なくて、死にたいなと思って、悩んで、それっぽい答えを作って、留まる。
その繰り返しが、自分にとって生きているという事なのだ。悩むしかない。悩んでいる間だけは、生きてられるのだから。



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