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『人魂を届けに』観劇感想

『人魂を届けに』(イキウメ)
@シアタートラム
2023.6.10. 13:00開演

(ネタバレあります)

久しぶりの新作、という感じ。『外の道』以来かな。
舞台美術が素晴らしい。珍しく一つの場所のみで演じられるのに飽きない。役者さんは言うまでもなく。篠井さんは当て書きかのような役。”母さん“の率直でありながら真意が見えきらない感じがとてもよく伝わってくる。
「発明」的な仕掛けはなく、どちらかと言うとストレートな話だった印象。いい意味でも悪い意味でも、歯切れの悪さがどこかに残る芝居だった。

舞台設定は一度入るとなかなか抜け出せない森。現世から離れた場所、生と死のあわい的なイメージ。ここに対置する存在としての“街”は、つまり現実を示すのだろう。
物語はずっとここで進行するが、しかし話は完全に現実から離れてしまうことはない。公安、ライブ会場の事件、“母さん”の過去、常に現実側からの視点を途切れさせないのはイキウメらしいなと感じた。

感覚的にはわかるようで、うまく言語化できない“魂”という言葉。
単に肉体に対する精神を示しているわけではなさそうだ。(もしそうなら、脳だけ箱に入って生き残ったかつてイキウメで描かれたストーリーのように、魂がもっと理知的に喋り続けたりしたはず)
社会に対する個人、現実(外部)に対する妄想(内部)。
最初のエピソード(これは独立した話だろうか?)では良心や信念を曲げることを、魂の一部を失うと表現していた。刑務官も仕事柄「人間的な心を敢えて殺さないといけない」人物として描かれていた。
また、魂をすり減らす、というのは「疲弊する」(社会に対して個人をうまく実現できない)というだけでなく「消費される」ということも指すか(息子の喪失を悲しむ詩を公募されて、何かが奪われたと感じる母)。
多重的な意味をもつというより、あえて感覚的な定義にとどめてしまっているのだろうか。これが歯切れ悪さの原因かも。
そのことによって、魂を持つことの是非が、答えの出しにくい問いになっている。魂を持てば社会とぶつかる。それは悪ければ無差別暴力につながる。良くてこの森の中に流れつけるかどうかだ。魂を表現すれば消費される。そして表現者は絶望する(ライブ会場のミュージシャン然り、息子を失った母然り)。

果たして自分の魂を持ったまま生きていくのは幸福なのか。
そしてそもそも、人は本当に魂を持って生まれてくるのか。(個人的には魂は後天的に”物語“によって人間に埋め込まれていくもののように考えている)

ライブで銃弾を受けた刑務官が、自分に起きたことを“奇跡”と表現するのは、個人的な経験、自分にしか起きない体験、自分が社会の中で際立った存在としての“自分”であれるために必要なこと、を示しているのかと思った。
つまり魂のない者が魂を与えられる体験のことなのかもしれない。

「キャッチャーという存在になろうと思った」という“母さん”の言葉、そしてラストの彼女の”子“の言葉、それはこの物語の書き手の、表現者としての決意表明のように響いた。

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