全開マサノリ

海外のコールセンターで品質管理、顧客満足度調査分析を担当する妻子持ち男性。ADHD(イ…

全開マサノリ

海外のコールセンターで品質管理、顧客満足度調査分析を担当する妻子持ち男性。ADHD(インディゴソウル)でもあります。特徴を活かして複雑な事象の解決策の提示と勇気付けをする個人セッションもしています。

マガジン

  • ADHD外国人の「道開き」半生記。

    ADHDな外国人の半生を描いた小説。第1章ADHD少年の「別れ」編。

最近の記事

【第3章 恋愛編】その3

前回も紹介したように好悪、善悪などなど様々なものに「応援」されて、この恋愛は成立した。2人が所属した会社がピンチに陥り緊急タスクフォースに2人が参加させられ同じ業務をする事で距離が近づいたり、女性が住んでいた部屋でトラブルがあり通常の1年分ほどの水道料金を騙しとられそうになったのをきっかけに同棲を働きかけたり。 見方を変えると全てのイベントを男性は恋愛のきっかけに利用しようと、したたかで抜け目がなかった。と言えるのかもしれない。 したたかだったのは女性も同じで、恋愛対象外

    • 恋愛のはじまり【第3章 恋愛編】その2

      恋愛がいつから始まるのか? いつからが恋で、どこからが愛なのか? 生物が雌雄に別れた時から繰り返すテーマに正解はない。 2人の場合は、繋いだその手を拒否された日だったかも知れないし、男性の「逃げた飼い猫」を一緒に探した時かも知れない。もしかすると女性が誤ってオートロックの扉から締め出された時だったかもしれないが、明確なことが1つある。 男性には悪い飲み仲間が沢山いたのだが、何かを察した彼らはある日、女性を飲み会に呼び出した。男性のいない席で根掘り葉掘り酒の肴を聞き出そうと

      • 【第3章 恋愛編】その1

        この恋愛は初デートの公園で手を繋いでみたら「やめて下さい、ありえませんから!」と拒否られたところから始まる。 初デートだと思っていたのは男性側だけで「友達同士だから気楽に遊びに行って美味しいピザを食べようよ!」と主にピザの誘惑に抗えなかった女性側に恋愛感情はなかった。 その後、男性側は様々な美味いものの誘惑で女性と会う機会を増やすが手を繋ぐのは控えていた。ある日、男性が飼っている猫が部屋から逃げ出す。 男性が女性に助けを求めた事から、2人の関係に変化が現れ始める。

        • 楽園に美少女が現れた。どうする?【第2章 再会編】その5

          中年おじさんがリハビリをする楽園。そんな部署が長続きする筈もなく、組織改編が繰り返され、楽園2やβやαが作られてはまた再編される。 そんな感じの生産性のない、規模だけは1000人規模と大きい会社だったので、人の入れ替わりも激しい。 毎月の「さよなら会」と「歓迎会」を繰り返したある日の昼下がり、不二家のペコちゃんみたいな美少女が新入社員として現れた。彼女は可愛いだけでなく、昼過ぎに会社の机で突っ伏して昼寝をするツワモノだった、タイプだ。 だが、その子は12歳年下の平成産まれ。

        【第3章 恋愛編】その3

        マガジン

        • ADHD外国人の「道開き」半生記。
          13本

        記事

          最後の楽園【第2章 再会編】その4

          存在自体が怪しい会社で本社の税金対策でできた子会社だった為か、窓際部署以外のオフィス全体が「最後の楽園」と言われていた。この会社に入る為、わざわざ海外に渡り失望していた人も少なくない。私は入社1ヶ月で移動願いを出し、「本当の楽園」と言われる窓際部署に見事異動した後、毎日コミュニケーションのリハビリをしていた。 業務が質問に対する答えをペアで話し合い正解/不正解を評価する希少性の高い業務の上、ADHD中年が毎日ペアの人と正解/不正解について相談しあうのだ。「考えや答えを導き出

          最後の楽園【第2章 再会編】その4

          ADHD中年、中国の大地に立つ【第2章 再会編】その3

          少し大人の発達障害、ADHDについて書く。日本語で多動性注意欠陥障害。スピリチャルな分野だとインディゴチルドレンと言われたりもする。 病院に行けばADHD、魂診断に行けばインディゴチルドレン、DNAで考えれば狩猟民族。それだけの事で1つの現象を「どの角度から見るのか?」「どの視点から表現してるのか」の違いしかない。 大事なことは「その特徴」が例えば農耕社会だとか、管理型社会では問題として表れることが多い事に気づく事。そしてそれらの社会の中にも「狩猟の要素が求められる職」が

          ADHD中年、中国の大地に立つ【第2章 再会編】その3

          家族団欒【第2章 再会編】その2

          弟には国籍がなかった「無国籍」。世界中の政府や組織が知恵を出し合い法を整備して「無国籍」の発生を防ごうとしているお陰で70億人いる人類の中で無国籍の人は推計1500万人と少ない。が、その一人が身内にいたのだ。経緯は簡単だ。血統主義の日本で生まれた弟は当然、日本の国籍はない。両親の国籍の国に出世届をだせば国籍が得られるのだが、両親は弟だけ出世届をなんらかの理由で出し忘れていたのだ。この問題はこの夜の数年後に弟がパスポートを取りたくなり発覚するのだが、今はまだ分かっていない。アメ

          家族団欒【第2章 再会編】その2

          出国前夜の話【第2章 再会編】その1

          ADHDを抱える子供が、何かを察していた母を亡くし、自由に育てる父に育てて貰い無自覚に一般社会に出る。これ程大変なことは他にもいっぱいあるでしょう。でもこれもなかなか大変です。本人も企業も同僚も可哀想。 なんか生きづらいな〜と、数々の転職とトラブルを乗り越えた31歳のある日私は考えていました。「外国人だからやっぱり世間の人の常識がわからないのかもな」と.まだADHDに気がついていない私は的が少し外れた思案をし「日本に帰化したら色んな問題が解決するのかもな」と今後の身の振り方

          出国前夜の話【第2章 再会編】その1

          シングルファーザーと三人兄弟【第1章 別れ編】その5

          突然の母の死のその後、シングルファーザーになった父と、私、妹、弟の三人兄弟は毎晩、川の字になって一緒になることで寂しさを紛らわすのでした。 父親がつくる手料理は納豆入り卵焼きなど捻りが効きすぎていて、残念ながら子供達に受け入れられず、食事が外食続きになったのを見かねた祖母や親戚がヘルプに来てくれることで、食事問題は解決しました。 しかし、親子のコミュニケーションはなかなか上手くいかずギクシャクすることが多かったのですが、ただただ一緒に生活し、一緒にねる時間を重ねることで乗

          シングルファーザーと三人兄弟【第1章 別れ編】その5

          母の葬式【第1章 別れ編】その4

          母が棺で帰宅した当時、私は小学四年生で一年生の妹と私は、遺体に触れた時の悲しい冷たさを理解でき泣いたのですが、妹と年子で幼稚園の年長だった弟は死を理解できなかったのか、ヘラヘラ笑っており「悲しいことだから泣かなきゃいけないんだよ!」と私と妹説明されていたのがより一層哀れなのでした。 もう1人、父親も泣かずにいたので、子供心にお父さんが悲しくないか心配していたのですが「悲しいことなんだよ!」と説明する訳にもいかず父親に注目していました。出棺の時に突然泣きはじめ遺体にすがりつく

          母の葬式【第1章 別れ編】その4

          前夜と交通事故のこと【第1章 別れ編】その3

          教育熱心な母親を支える父親はサービス業の店長をしていた。金銭的には裕福な部類の家庭だったが父親は忙しく朝早くから夜遅くまで外にいた。こどもを寝かしつけた後、夜中に疲れた父を迎えに行くのが母の日課だった。 そんなサイクルを理解していたある晩、母が迎えの支度をする物音に目覚めた私はいつになく母を玄関で呼び止めた。「お母さん行かないで!」と、衝動を口にする私に「すぐ帰るから」と説得をして母は出かけた。 母を寝て待つ間に事故は起きた。父と母が乗った国産車は6叉路で信号待ちをし信号

          前夜と交通事故のこと【第1章 別れ編】その3

          ADHDな子供の母親のこと【第1章 別れ編】その2

          前回のように蝶々結びすら満足に覚えないだけでなく、不規則発言を繰り返したり夜な夜な喘息の発作を起こす我が子。学校の音楽教師だったこともある母はやはり異常や危機感を感じていたのでしょう。幼少期は休みが日曜日しかないお稽古ごと尽くめの日々でした。中でも母は得意分野のピアノのレッスンに情熱を注ぎ時に厳しくお稽古を私に強いるのですが、バイエル通り弾くことや鍵盤を覚えることに興味がない息子にピアノを教えるだけでも骨が折れたのではないかと思います。 小学校に上がる頃にようやく苦手なピア

          ADHDな子供の母親のこと【第1章 別れ編】その2

          ADHDな大人の幼少期のこと【第1章 別れ編】その1

          大人になりADHDだと気がついた1977年生まれの中年男性が今振り返ると、幼少期はなかなか大変でした。毎日のように起きる喘息の発作、フルーツを食べると起きる喉のかゆみなどのアレルギー反応。呼吸ができなくなるたびに「生きるのって辛いな〜」と思っていたことを思い出します。 私は少しアスペルガーも入っていたのか、家族揃って車で出かける度に「交通事故に遭わないなんて私達はすごいね、ラッキーだね!」と繰り返し発作的に同じ発言をし、両親にたしなめられることも度々でした。 もう一つ印象

          ADHDな大人の幼少期のこと【第1章 別れ編】その1

          前書きと自己紹介

          ここに1人の中年男性がいる。日本で生まれ育った1977年生まれの外国人男性で現在は外国で暮らしている。 彼は「日本の女性」と「中国」で出会い、恋愛と結婚をして子供もいる。様々な奇跡と幸運に恵まれて、全てに許されて産まれた愛しい娘だ。里帰り出産や妻の意向で家族は今、日本にいる。 この男性には「外国人」である他にもう1つ特徴がある。ADHD(注意欠陥多動性障害)だ。彼がその特徴に気がつき受け入れ対処が出来たのは中国に来た後で、日本では「他の人が常識的にできる事が当たり前に出来

          前書きと自己紹介