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出国前夜の話【第2章 再会編】その1

ADHDを抱える子供が、何かを察していた母を亡くし、自由に育てる父に育てて貰い無自覚に一般社会に出る。これ程大変なことは他にもいっぱいあるでしょう。でもこれもなかなか大変です。本人も企業も同僚も可哀想。

なんか生きづらいな〜と、数々の転職とトラブルを乗り越えた31歳のある日私は考えていました。「外国人だからやっぱり世間の人の常識がわからないのかもな」と.まだADHDに気がついていない私は的が少し外れた思案をし「日本に帰化したら色んな問題が解決するのかもな」と今後の身の振り方をズレてるなりに真剣に考えていたのでした。

思案の結果「産まれた時に決められた国籍であれこれするより、本当に外国人になろう!」と方向性を決めた私は複数の海外求人の中から中国の大連市で働く道を選び出し当時、転職&転国の準備中でした。

同じ父親に自由に育てられた妹は当時既に米国暮らし、弟はダンスを踊るヒッピーのような生活を始めて家族はそれぞれの生活をしていたのですが出国前夜、連絡もしていないのに妹が一時帰国し、弟も引き寄せられるように家に寄り、シングルファーザーと3人兄弟は奇跡の晩餐会を共にするのでした。
続く

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