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風俗嬢に人生を救われた話(10)

<腐食>

腐った水だ。
死んだ魚だ。
季節が巡り、1年が過ぎた。
それでも、自分はここにいる。同じ泥沼に嵌り続けている。

1年前、生き地獄を味わった。
結婚を前提に交際していた相手に振られ、仕事でも致命的な失策を犯した。罪の意識に苛まれた末、女性に慣れる為、交接の作法を学ぶべく、全てのしがらみを振り切って、ソープ通いを始めた。

コンパニオン達からは、怪訝な顔をされた。1万2万と金を支払っても、適当な対応に終始され、ほとんど全く協力してもらえないこともままあった。

それでも、だ。
良くしてくれた人がいた。
真摯に、耳を傾けてくれた人もいた。

少しずつ、変化への手応えを感じることができていた。自分に今できるベストを尽くしている、そういう実感はあったのだ。少しずつでも経験を蓄積し、一歩一歩前に進んでいる、そんな確信があったのだ。

だが、躓いた。

一人の女性を自分の妄執でもって引きずり回し、恩を仇で返してしまった。散々に迷惑をかけた後、三行半を突きつけられ、気が付いた時は「不能」化していた。
過去を振り払い、ようやく見つけ出した新しいパートナーとの関係にも、早速危機を迎えている。

非力だった。無様だった。

あの後思い詰めて、人生初の高級店に向かった。通算で、22人目の師に当たる。
藁にもすがる思いだった。
今更ながらに当時の自分は、完全に恐慌状態だったように思う。

こちらの嬢は、ルックス、スタイル共に、これまで入ったどの店のコンパニオンをも凌駕していた。店員に電話をし、何人か候補として考えていた名前を挙げた上で、「最も店を代表してお勧めできる女性を」と頼み、紹介してもらっただけのことはある。
間違いなく、歴代で最上級の相手だった。女優と紹介されても差し支えないほど整った顔立ちと、全身に肉が詰まっていながら、要所をきゅっと締める筋肉を擁する、完成された肉体の持ち主だった。よほど凹凸が少ない肉体がよいであるとか、豊満な脂肪を有していることが条件であるだとか、特殊な性癖をしていない限り、魅力を感じない男性はいないと断言できるレベルである。

だが、結果は惨めなものだった。内容は概ね、お察しの通りである。
高級店はまとまった金額を確保するため、2時間前後の長い枠を用意することが慣例となっている。その間中、自分は……ということだ。それについて、今更多くを語りたいと思わない。
ただ、相手の女性に一切の非がないことだけは明言しておきたい。容姿だけでなく、接客態度や技術に到るまで、文句のつけようがない女性であったことは、ここに明記しておく。

しかし、だ。
またである。
いよいよもって自分の中に、澱のように溜まっていくものがあるのを感じる。

取り返せない過ちなどない、と説く人がいる。失敗は成功の元、という教えもある。
過ちから人は学び、成長するのだと教えられ、これまでは自分自身、それを疑うことなく生きてきた。

だが、本当にそうなのだろうか?
そんな都合よく、世の中は回っているのだろうか。人の世は動いているのだろうか。

ならばこの息苦しさ、手足に嵌められた枷の重みは何か。
動物として最も自然な、根源的な行為すら、自分はまともに交わすことはできないのだ。

過ちとは所詮、行動の結果としての帰結だ。
得られた経験を活用し、新たな選択肢を模索することを通じて、少なくとも当人が救われることは事実だろう。その意味では、「過ち」そのものは取り返すことが叶うのかもしれない。

だが、「罪悪感」は別だ。

これは終生、己に付き纏う。
過ちを克服し、”人並み”を実現したところで、罪の意識が消えることはない。沈殿していく罪悪感は着実に心身を蝕み、やがて自戒させるのだ。
この時がまさにそうだった。自分という人間に対する嫌悪感が全身に回り、毎日毎時、”敵”と共にいるような感覚に陥る。到底まともな神経ではいられない。
状況は不能発覚当時に比べ、むしろ悪化の一途を辿っていた。

幸か不幸か、仕事は忙しかった。
前年の失敗を受け、新たに配属された部署との相性がすこぶるよかったことに救われていた。年末進行で、パートナーと会う時間がなかなか確保できなかったことも、自分の状況を考えればプラスに働いていたと言える。
少なくとも、諸々の巡り合わせには恵まれていたのだろう。

そしてようやく共に過ごしたクリスマス、彼女は生理中だった。
しかしこの時ばかりは、自分にとっては天の恵みという他なかった。渡されたクリスマスプレゼントに、精力剤が添えられていたのは、今となっては笑い話だが……そのめげなさ、前向きさに助けられていたのは確かだ。

つまり、後は自分自身の問題だった、ということである。

焦燥感ばかりが募っていく。
本当に精神科医か、それとも泌尿器科医か。あるいは、海外から薬を取り寄せるべきなのか。ありとあらゆる思考が、不安が積もっては離散していく。
そんな、年末のことだった。

<反発>

11月末、件の店で因縁の”彼女”とニアミスして以降、それまで続けていたホームページ(シティヘ◯ン等)の閲覧は、すっかり止めてしまっていた。
どうやっても、彼女の存在を意識してしまう。店名を見かけただけで、彼女の存在を感じてしまう。それに、耐えられなかったからだ。

にも関わらず、その日に限って久々にホームページを覗く気になったのは、穏やかにクリスマスを乗り切れた安心からだったのだろうか。あるいは、年末進行の山場を凌ぎ、久々に取った有給のリラックス効果だったのだろうか。はたまた、見えざる神の手だったのか。

――理由は何でも構わない。
一つ確かなのは、あの日自分に訪れた”虫の知らせ”には、今更ながらに感謝するばかり、ということだ。

……流石に、”彼女”のページは避けていた。同じ店で働く、世話になったコンパニオンには申し訳なかったが、個人ページに近づくことすら出来なかった。
しかし、それ以外のご縁のあった方の個人ページを回っていたら、気が付いたことがある。あれからまた、更に2人のページが消えてなくなっていたのだ。気になって、同グループの他店や3サイズ、アピールポイント等、思いつく限りの条件を付与して検索をかけてみたが、それらしき足跡を辿ることは叶わなかった。

……みんな、いなくなっちまうものなんだな。

そんなことを思った。本当に、厳しい世界なのだ。
「女は体を売ればいいから楽だよな」等と、揶揄する者がいる。「彼女達のような存在がいるから、女性の地位が向上しないのだ!」と、糾弾する者もいる。だが、現実にこの世界に生きる、彼女達が晒されている厳しい日常はどうだ?

常に病や暴力の危険性に晒されながら、接客を続けなければならない。
リピーターが付かないストレスを抱えながら、評価ページの誹謗中傷に心を痛める。
それでも客が入らなければ、コンパニオンがその日得られる収入はゼロだ。

――ここは、究極に弱肉強食の世界だ。

通い始めてから、ちょうど1年の節目。
ようやく自分は、吉原という街の本質を学びつつあった。風俗という業種の厳しさを、間接的にではあるが、実感できるようになってきたのかもしれない。

そんな中でのことである。
通い慣れた閲覧巡回ルートを辿っていく内、ふと違和感を覚えたのだ。

個人ページを開いて、おや……? と思った。

相手は、これまでご縁はなかったが、注目していたコンパニオンの内の1人だった。
1日に2度、3度と日記の更新があり、尚かつ内容も充実している。写真の工夫は勿論、文面が詩的で、写メ日記の”ディスプレイ化”を果たしていた、稀有な嬢だったのだが……

暗い。
どうにも、写真が暗いのである。言葉が暗いのである。
印象が、全般的に暗いのだ。

縮小表示された1枚と、見出しだけで、アンニュイな雰囲気を察知させるのだ。ある意味では嬢のセンスを裏付けるものではあるが、どうにもただ事ではない。
クリックして、最新の日記を開いてみた。

『色々と、疲弊してしまいました。
今月末をもって、実家に帰ります。すみません。今までお世話になった皆さん、本当にありがとうございました』

要約すると、そんなような内容であった。

(また一人、 いなくなるってことなのかよ……)

寒気と目眩がした。
――ここから先は、彼女の呼称を”Aさん”としよう。
Aさんは、自分が日記の定期読者になった時点で、店のトップランカーだったはずである。それも、そんじょそこらのマイナー店ではない。吉原に存在する大衆店の中でも、屈指の人気店においてだ。

それほどのコンパニオンであっても、心を傷めてしまうものなのか……?
あれほど素晴らしい文章を綴り、彼女ならではの世界観を構築できる人が、このまま吉原を去ってしまうのか。

――冗談じゃない。

ここから先は、自分でも驚くほど素早く行動していた。もはや理性ではなく、多分に衝動的なものが強かったように思う。

トゥルルル、カチ。

「お電話ありがとうございます、○○○○ですー!」

すぐに反応があり、店員の威勢のいい声が聞こえた。
そのまま、Aさんの空き時間を聞く。

「Aさんですか? ええと今日だと、13:20から一番短い枠なら、お取りできそうなんですが、それ以外はちょっと……」

時計を見た。11:27。
急げば、充分間に合う時間だった。枠を取ってもらことをお願いし、すぐに身支度を始める。

――これで無理だったら、病院に行こう。ソープにもう、希望はない。

彼女はある種、自分にとって憧れの対象だった。勝手ながら、風俗嬢という仕事を通じて「自己実現」を果たしているような、そんな印象を長らく抱いていた。他にも何人か、その才気に唸らされる嬢はいたが、その中でもピカイチの1人だったのだ。

(待っててくれ。まだ帰ってくれるな、辞めてくれるな……)

言いようのない焦燥感に突き動かされながら、”三十路にして不能”の男は、急ぎ風俗店に向かったのだ。

<流水>

「こんにちはぁ~~……よろしくお願いします」

最初に交わした言葉は、こんなようだったと思う。
Aさんの第一印象は、

(写真より、むっちりしている。だが……美人さんだ)

だった。
所謂”油断禁物ライン”であるW58表記ではあったが、そこは店のトップランカーということで、そこまで大きなパネマジはないと踏んでいた。実際、写真とは多少印象が異なるものの、切れ長の透明感ある瞳が印象的な美人だ。強い「目ヂカラ」を感じさせる風貌だった。

ただ一方で、やはりどこかアンニュイな印象も受ける。
時折下がる目尻が、少し寂しげに映った。なんとも、疲れが濃い様子だったのを覚えている。

「ご指名ありがとう。へへ~……もうちょっと、上なんだ」

不思議な笑い方だった。発音としてはえへへ~、に近い。
普段は先述のような美人顔なのだが、笑うといたずらっぽさが出るというか、”一筋縄ではいかない”感を醸し出す。
何にしても、印象的な笑い声だった。

上の階の部屋に案内され、お互いベッドに腰掛けて向き合いながら、挨拶を交わす。

「はじめまして~……ようこそ、いらっしゃいましたぁ。Aです」

言葉にすると、間延びした発音を繰り返しているように思われるかもしれないが、そういう訳ではないのだ。どこか訛りを感じさせる、独特のイントネーションが混じっていると考えていただけるとよいと思う。彼女ならではのリズムが、耳に心地よかった。

ただ、間違いなく、疲れていた。
果たしてこのまま押し倒したら、壊れてしまうんじゃないかという印象すら受ける。
勿論、いきなり”用事”を済ませる気にはならなかった。
そのまましばらく、色々なことについて話し込んだ。

日記のこと。
印象のこと。
今日、慌てて押しかけた理由に、パートナーがいることも伝えた。
20分近くも話し込んでいたように思う。

Aさんは問いの一つ一つに、ふわり、つつり、と答えていった。
時に明るく、時にゆったりと、言葉を探しながら話す人という感じである。会話のテンポが、何とも独特で、惹き込まれるものがある。
会話をする内に、相手の緊張もほぐれてきたのか、表情は明るくなってきていた。それは率直に、「美しい」と言えるものだった。

思わず、口を開いて伝えた。

「なんというか、『水』だと思う。例えるとするならなんだけど。
透明感があるんだ。
決まった形がなくて、掴めない。スルッと、手から逃げていく」

Aさんの目が、初めて大きく見開かれた。猫の目のようだ。
傍目から見てもわかるほど、驚いているようだった。

本心だった。
水は冷たくも、熱くもなれる。液体のままでも自在に形を変えられるし、冷やし続ければ氷に、熱し続ければ水蒸気になり、目に見えようと見えまいと、地球上のどこにでも存在している。
それが、彼女にピッタリな気がしたのだ。

「形がない、かぁ。
これでも少し前までは、すごーく色々、尖ってたんだよ?」

Aさんがそう言って、にこりと笑う。最初に見せた笑みよりも、目尻がしっかりと上がっていて、会話を楽しんでくれているという実感が伝わってきた。
思わず釣られて、笑い返す。

本当に久々に、ソープに来て、心が休まる瞬間を感じていた。
そのことを内心、心から感謝した。

ふと時計を見ると、25分余りが経過している。大衆店で遊ぶ場合、無視できない時間の浪費っぷりである。
2人して、慌てて準備に入る。
店を訪れた以上、避けては通れない”用事”を済ませる時間が来た。

<続>

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