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風俗嬢に人生を救われた話(11)

<選択>

「ベッドにする? それとも、マットにする?」

事の用意を始めた矢先、Aさんはそう尋ねてきた。

これには困った。
ここでいう「マット」というのは、専用のローションとエアマット(ゴムボートのような物、と考えてもらって差し支えない)を用いた、和風俗特有のサービスである。始祖は川崎、堀之内のソープ嬢とされており、今から約50年も前(!)に開発された技術体系だという。詳細は割愛させていただくが、達人のそれは間違いなく「絶技」と呼べるもので、敬意を払ってやまない。

一方で、自分自身はマットのサービスを受けた経験に乏しかった。これには、大きく2つの理由がある。

1つは利用してきた店の大半が、格安店だったことだ。特に4月から通い詰めてきたのは、完全にマットNGな店であった。マットプレイは時間がかかり、また肌が荒れやすい。また、技術習得にコストがかかるため、特に格安店では敬遠される傾向にある。実施できない店舗は多いのだ。
もう1つは言わずもがな、自分がソープ通いを始めた理由である。元々”性技能の向上”が目的だったため、自分の意識は、圧倒的に”攻める”側に特化している。”される”ではなく、”する”側として過ごしてきたのだ。前述の通り、マットは客も嬢も、諸々のコストが非常に大きい。そのためサービスを受けている時間があるなら、1分1秒でも舌や指を動かし、自分自身の技術を磨きたい意思が強かったのだ。

上記理由から、片手で数えるほどしか体験していないマットサービスではあったが、熟考の末、この時はお願いすることになった。
何かしらの変化が欲しかった。
無策でこのまま散るぐらいなら、これまで敬遠してきたマットに、敢えて挑戦するのも是ではないか感じられたのだ。

「はーい。じゃあ、急いで洗わないと!」

そう言ってAさんは石鹸を泡立てて自分の体に触れ、せっせと洗い始めた。およそ風俗店であれば当然のことなのだが、どれだけ受けても慣れるものではない。女性とは言え、人体の急所を無防備な状態で相手に曝け出す以上、どうしても体に力は入ってしまう。

そんな話をすると、また笑われた。「とって食いはしない」と言う。全くもってその通りで、思わず苦笑いてしまった。当然だろう。
その最中だった。

「信じるのはこわくないよー」

不意に、Aさんが言った。えっ? と、間抜けな反応をしたと覚えている。
もしかしたら、
「信じてよ、こわくないよー」
だったかもしれない。何にしても、そのような内容だったと思う。
この日、最も印象に残っているやり取りの一つだ。

ぼーっとしている自分とは対照的に、Aさんはゆったりと微笑みながら、巧みに泡を広げ、自分の四肢を洗い続けている。それ以上追求しようとはしてこない。さして意味もなく、素朴な疑問として口にしただけなのかもしれなかった。

一方の自分は洗われるままに、モヤモヤと問いの意味を考え続ける。

(こわい、かぁ。確かに、そうかもしれない。
信じてなかったんだな。誠心誠意なんて謳っておきながら、結局お嬢さん達のことを、信じられてない)

期待するのがこわい。

期待を裏切られるのがこわいからだ。勝手に期待するのはよくないことと理解していても、心の動きは止められないからだ。

知るのがこわい。

知れば知るほど、感情移入してしまう。余計な肩入れもしてしまう。それだけの余裕も自信も、自分にないことがわかっていても、気になることは止められない。

拒絶されるのは、当然恐い。

これは考えるまでもなかった。自分の問題や、責任をひたすら考え続けるのも、「もう拒絶されたくない」という、恐れが一因だったのかもしれない。

(コミュ障は駄目だなぁ……まったく)

自嘲気味に笑ったものの、気分は悪くない。何かストンと、この2ヶ月間の不振の理由についてわかったような気がしたのだ。

少し話が外れるが……改めて考えてみると、射精は

「子孫を残すために、自分の分身を作るために、己の根源的な情報を相手に渡す」

行為である。究極的な自分の内情を、ゴムを挟んで擬似的な形とは言え、相手に渡す(押し付ける、と感じられるかもしれない)ということは、それだけ相手を信用しているか、もしくは
「自分を曝け出し、受け入れることを要求するのに、特別な抵抗を感じていない」
必要がある。

その点で言えば、自信喪失状態だった自分の場合、大きな抵抗があって当然な訳である。自分であれ他人であれ、手で致してもらう場合は問題なかったことも、あくまで"外に出す""野に放つ"分には、塵芥として消えるだけで、抵抗が薄かったからではないか? ……と、今では理解しているところだ。

閑話休題。
Aさんは慣れた手付きで、自分に歯ブラシとコップを用意&手渡し、次いでうがいを勧めてきた。更にこちらが歯を磨いている間、全長2m長もあろうかという”ゴムボート”を担ぎ出し、タライに熱湯を注いでローションの準備をする。

手捌きには、熟練のものが感じられた。年齢は自分より10歳以上も若かろう娘さんが、この空間においては、完全に”先達”のそれである。不思議な頼もしさを感じたものだ。

日記の最新の更新や、初対面に感じていた「アンニュイ」な雰囲気はだいぶ薄れ、仕事と真摯に向き合い、取り組んでいるのが伝わってくる、彼女の別の顔が見えてきた気がしたのだ。

(……うまくいくかどうかはわからない。けど、来て良かった)

前回と前々回のお嬢さん方も、一生懸命にサービスを施してくれた。
だが今回は、自分の働きかけがあって彼女が応えようとしてくれているような感覚があった。言葉にするのは難しいのだが、何か”一体感”のようなものを感じていたのだ。

少なくとも、そう感じさせるような「言葉選び」があり、「触れ方」があり、「反応」があった。その分だけ自分が安心していたのは確かだ。

湯船で温まるのもそこそこに、せっせとマットの上に乗せられる。次いで、湯で解いたローションを全身にかけられ、彼女は目まぐるしく体を回転させ、滑り回った。口、指、胸、尻、太もも、足先の全てを活用していたはずだ。見事だった。

――だが、これは後日談になるが、本人曰く

「あの頃はマットの時、お客さんに体重を預け過ぎて、甘えちゃってた部分があったんだよね~。自分の体も重かったし。今は反省して、ダイエットもしてるし、ちゃんと腕の筋肉つけたよ。これで体を支えられるよね。笑」

とのことであった。
この言葉一つとっても、彼女の人柄が伺えると思う。

――それでも当時の自分には、充分に”してもらう”良さは伝わった。
ありがたかった。金を払って肌を重ねてもらうことに対する申し訳なさが消えることはないが、彼女の

「仕事だから、ちゃんとやらせてくれることも嬉しいんだよ?」

という言葉にも救われていた。この自分の罪悪感に働きかけ、先手を打つような言葉選びにも、礼を言いつつ「絶妙な……」と感心しきりだった。

<海容>

で、結局のところ。
この日も最後まで、致すことは出来なかったのだった。
これだけお膳立てがあったにも関わらず、である。そう簡単には、事は運ばなかったのだ。

彼女は、自分のテクニックがないからと謝った。自分もまた、自らのお手際を謝った。「不能」であるとは流石に言い出せなかったが、緊張に極端に弱く、ソープ遊びですら慣れや安心が必要である、自分の特性については正直に告白した。寝不足や疲れから、所謂"溜まった"状態からは、程遠かったこともよくなかったのだ、と。

当然、落ち込みはした。罪悪感も生まれた。
だが……
だが、不思議な満足感があった。自分の中の何かが、確かに満たされた感覚があった。先述の通り全く後悔していない自分を、不思議な心地で捉えていた。最後まで達せられなかったというのに、これはどういうことか。

風呂から上がった後、残った時間は10分ほどである。
いよいよ、本題について切り出した。何故、店を辞めることを決めたのか。差し支えない範囲で、話してほしいと頼んだのだ。

「店を辞めるのを知って、来てくれる人がいるなんてね……日記、がんばってて良かった」

まずは礼を言われた。しかしこの後の言葉は、良い意味で自分を裏切るものだった。

「でも、色々考えて、辞めない方がいいかな? って考え出してるのね」

息を飲んだ。
知りたかった。この僅かな間に、何がどう揺れ、何故そういう結論に到ったのか。

「うん? 色々あったんだ~。どうしても人間と人間って、疲れちゃうこと……あるよね。
お客さんにしても、お店の中にしても。自分のこともそう。笑」

「休むと決めたからには休むよ。一度実家に帰って、ちゃんと自分を見直してくる。磨き直すの。お店には、在籍だけは残してもらえることになったから、これからも日記は書くつもり」

「やっぱり、この仕事が好きなんだね~。色々、疲れちゃったこともあったけど、やっぱり全部捨てちゃったら、何にもなくなっちゃうから。全否定になっちゃうのは、よくないって」

「自分をもう少し、大事にすることにしたの。追い詰め過ぎちゃってたかも、と思ったんだ」

……!!

「自分なりにだけど、がんばってきたから。だからそれは、認めてあげようって」

――一言一句を、正しく覚えている訳ではない。その時の印象で、そういう言葉が並んでいた気がしたというだけで、違う表現も混じっているかもしれないことは、どうかご容赦をお願いしたい。それでも、大筋で合致していることは保証する。

ちなみに、今もって彼女は、

「私はな~~~んにも、特別なことはしてないよ。ただ◯◯さんのお話しを聞いて、ニコニコしてただけ。笑」

という。
実際、それは正しい。彼女は、特別なことは何もしていない。だが、誰にでもできる接客ではないことも、また確かである。

客の話に耳を傾け、
客の心に共鳴して、客が欲するものを考え、
自分の立場や心を決して崩すことなく、はみ出ることもなく、
時に笑みを浮かべ、時には客と共に沈みつつ、
自分の責任を果たすべく、全力でサービスに励む。

そして、自分を大事にする。
客だけじゃなく、自分自身も大切にする、と言っているのだ。

それだけだ。
だが、「それだけ」の、なんと難しいことか。

風俗に限ったことではない。全ての人と、人が関わる仕事において、それができない人間が、どれほど世界にはいるのだろう。可能な人間に、果たして何人、お目にかかれるだろうか。

――同じだ。
そう思った。

性別も、性格も、生きている世界も、何もかもが違う。
けど、彼女も傷付いていたのだろう。嫌なことも、抱えているものもあったのだろう。
2人ともその意味では、今は余裕がない状態なのだ。一度は、挫折しかけたのである。

だが、大きな違いが1つあった。
彼女は、自分自身を許そうとしていた。認めようとしていた。
自分自身を、信じようとしていることがわかった。前向きに生きようとしていることが、伝わってきた。

矮小なことを、卑怯なことを承知で、彼女に告げる。筋違いでもいい。一つの「言葉」が欲しかった。みっともなく、泣きじゃくってでも、助けて欲しかったのだ。


「……ごめんね。こんな素敵な娘相手に、ちゃんとイケなくって」
「え? ……いやいや、そんなことないよ。私がちゃんとできなかったんだから」
「いや、さっきも言った通り、おれはあれこれ面倒くさいんだ。
考えすぎちゃうし、時間もかかるんだ。何をするにも」

「それでも……許して、ほしい」

――ふわりと笑って、彼女は抱き寄せてくれた。
自分の頭を抱えながら、言った。


「……大丈夫だよぉ。勿論、全部ちゃんと許してるから」


……ああ。そうか。
「取り返せない過ちはない」って、こういうことだったんだ。
犯してしまった罪も、迷惑をかけてしまった人への罪悪感も、消えない。自分の場合は特に、生涯消えることはない。消したいとも思わない。
今更、生き方までは変えられない。

けれど、他の誰かに、傷を癒やしてもらうことはできるのだ。
自分がしてきたこと、自分の生き方。自分のがんばり。自分という人間。
それを、認めてもらうことはできるのだ。

許して、もらうことはできるのだ――

「それじゃあ、またね~。今日は来てくれて、本当にありがとう♪」
「こちらこそ。……ありがとう。本当に」

――翌日。
自室に泊まりに来たパートナーと、初めて交接が成功した。

自分が傷付けてしまった相手と、最後に致してから3ヶ月。
明確に拒絶されてからは、ちょうど2ヶ月。

彼女の……Aさんの力を借りて、ようやく自分は、自分を許すことができたのだ。

<続>

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