見出し画像

風俗嬢に人生を救われた話(13)

<魔眼>

「そうだったんだぁ~……それで不安になって、お店まで来ちゃったの?」

ほえ~という表情で、Aさんは言った。驚いているようにも、呆れているようにも見えた。

部屋に入るなり、来訪の理由を話し、非礼を詫びた。自分の思考がぐちゃぐちゃになり、言い知れぬ不安を感じ、急な来店に繋がったことの説明をした。
本来なら、およそ2ヶ月ぶりの上京ともなれば、
「新しい門出を祝って!」
のように、あくまで前向きな姿勢を崩さず、彼女にありったけの感謝を伝えるのが理想であろう。しかし自分の不安を、到底隠し切れると思えなかったのだ。

確かめたかった。

Aさん自身が無理をしていないか、辛さを隠してはいないか。彼女の場合は十中八九、”素”である予感はしていたが、それでも最後の確信を求めて、店に赴いたのだ。

ベッド上で隣同士に座った状態で、自分が話し終えてすぐのことだった。
Aさんはぐっと自分の頭を掴み、胸元へ引き寄せた。何事かと面食らう自分に、

「大丈夫だよぉ~!!私は死なないから。元気だから。あはは!

……でも、ありがとう。色々あったから、心配してくれたんだろうね」

と言った。
そのまま、彼女は続ける。

「確かにね、ストレスの溜まりやすい仕事ではあるよ? 病んじゃう子も多いし。
けど、私は大丈夫。嘘じゃない、ちゃんと元気だから。幸せだから。日記に書いてるまんまだから。笑」

すっ、と顔を上げられる。目が合った。

「安心した?」

そう囁かれた。極めて印象的な、あの透明感ある瞳に、自分が飲み込まれそうになる錯覚を覚えた。

以前と違うのは、生気が満ち満ちていること。
前回の接客中もチラチラと見られた、笑顔と活気に溢れる女性の姿だ。それが今日は確固たる形をもって、自分の眼前にいた。

「……っ……」

“目力”がすごい。
さながらメデューサか何かのようだ。この瞳は、自分を動けなくする。
全ての行動を、思考を停止させる。

『信じなさい』

と、無言の説得力をもって、自分に微笑み続けている。
不思議なことに、圧力は感じない。ただ、こちらが納得するのを、じっと待っているようには感じた。
そのまま5秒か、10秒か。幾ばくの時間が流れた。

「……安心した」

「うん! 大丈夫だよぉ。笑」

……そういうことになった。
彼女に対し、来る前に抱えていた不安は、綺麗サッパリと消え失せていた。同時に自分が抱えていた、他の憑き物まで落ちたような心地である。

「じゃあ、行こうか~?えへっへー……来てくれて、本当にありがと!」

とびきりチャーミングに、彼女は莞爾と微笑んで見せた。

その輝きは、美人だからだとか、可愛い顔立ちだからとか、それだけで醸し出せるものではない。
風俗嬢である以前に、”人”としての彼女がもつ、魂の魅力のように感じられた。

<共感>

「隣人愛みたいなものなんだろうなぁ、って思ったの。
◯◯さんの、私に対する感情って」

自分の思うところや感じるところを、一通り話した後のこと。
Aさんは、そのような評価を下した。

「1番大事なのは、恋人さんでしょう? でも、私のことも気にしてくれてる。ありがとぅね~。

しかも、嫉妬とかも全然ないし。笑
こんな純粋な人、本当にいるんだって思っちゃった」

Aさんが自分を褒め、持ち上げようとしてくれているのはわかった。それは、とてもありがたい。それが彼女の仕事だからとわかっていても、である。
だが、『純粋』という言葉には、強い抵抗感があった。

例えば今こうして、手持ちの広辞苑を引いてみても、

じゅん・すい【純粋】
① まじりけのないこと。異質なものをそれ自身に含まないこと。
② もっぱらなこと。専一。
③ 完全なこと。
④ 邪念・私欲がなく清らかなこと。

……とある。どれも自分にはそぐわない内容だ。

自分の内面は混沌としている。
不安と情愛、憐憫に反発。感情がひしめき合っては、キリキリとした摩擦音が体内で反響する。①はあり得なかった。
②も違和感がある。自分が直進できるのは、ある特定のことだけだ。好きな四文字熟語が『一意専心』なのは、無いものに対する憧れという意味合いが強い。
③も遠い。自分が常に不完全であるという自覚がある。①同様、混じり気ありありだ。

そして……④ほど、自分からかけ離れた意味合いはない。

例えば今だ。どんな理由があれ、パートナーがいる身で、風俗店に来ているような男である。
パートナーが知れば、即座に関係が終わってもおかしくない。この罪状については、不能だった頃であっても同様だ。つまり今の状況は、尚更性質が悪いとも言える。

邪念もある。
結局のところ、自分はAさんに会いたかったのだ。会って、甘えたかったのだ。癒やされること、許されることで、自分を安定させたかったのだ。この点で、自分に嘘を吐くことはできない。

そして……私欲こそは、自分を支配するものだ。むしろ欲の塊だろう。これは今更である。
パートナーと関係を築きつつも、こうして色欲を満たす場を訪れている。ようやく結婚を前提に付き合える相手を見つけ出したというのに、どこかに

「まだ遊び足りない」

自分がいることはわかっているのだ。
これまでの人生で、他の女性と納得いくまで、充分に付き合えたことがなかったためだろう。パートナーを求めて、様々な女性と会っていた頃でさえ、煩悶し続けていた。
これは本当に最善なのか? このまま本当に進んでよいのか? 実際にはもっと、熱くなれる相手が、瞬間があるのではないのか? 云々。
結局のところ、自分は

“ディスプレイされた商品を試すように”

風俗を言い訳に、他の女性と通じているだけではないか……と、そんな気さえするのである。

①と④については、店でも同じようなことを話したのだが、それをAさんはじっと聞いてくれた。時に頷き、時に首を傾げ、時に笑いながら。
話が一段落すると、彼女はゆっくりと口を開いた。

「……自分が、あんまり好きじゃない?」

迷わず首肯する。この世で1番、嫌いな相手だった。

この男はいつでも、もっとできるだろうに、がんばれない。
もっとやらなければいけないことも中途半端で、やりきれないのである。
その上前述の通り、自分勝手極まりないクソ野郎だ。

セックスにしてもそうだった。相手のためを謳っていても、全てがまるで足りていない。技術も。耐久力も。甲斐性もである。

後ろ向きな態度を詫びつつ、全て本音と付け加えた。

自分にもっと、体力があれば。
自分にもっと、経験があれば。
自分にもっと、会話力があれば。
自分にもっと、財力があれば。
自分にもっと、もっと、あらゆる能力があれば。

自分の周りにいる人達を、少しでも幸福にできたろうに。

自分が自分を許せない、決定的な理由だった。

――彼女の瞳が曇った。

哀しげに少し俯くと、無意識に握りしめていた自分の拳に手を据えて、諭すように語りかけてきた。

「……優しいんだ。でも、優しすぎるのも、辛くなっちゃうんだよ。

誰かのためにがんばれるのは、優しい人だから。あなたは優しい。これは絶対ね?
でも、一方通行だけじゃ、疲れちゃう。

人ってさ……どこかで、見返りを求めちゃう。

でも、それも大事なことなの。みんな見返りっていうか、お返しし合って生きてるの。
だからそれを求めないと、なんで? ってなるんだよ。逆に、みんなが離れて行っちゃう」

――――、

「もっと甘え上手に、尽くされ上手になろう!笑

自分が与えるだけじゃ、だめなんだよー。尽くされ上手になれれば、”相手の尽くしたい、役に立ちたい気持ち”を満たせる人になれるのね?

もっと、甘えてみよぉ。でないと、苦しくなっちゃうからさ」

――刺さった。

グサリと刺さった。この世に生きて数十年、ずっと抱えていた生き辛さや、息苦しさ。周りの人と、どこか分かり合えていない感覚。誰と付き合っても、時間が経つ毎に、相手の心が離れていく感覚。

それを、完璧に見透かされた。
対面時間で考えれば、僅か3時間程度しか過ごしていない相手に!

Aさんが続ける。

「私は元気だよぉ。へへへ。
元気、もらったからね。来てくれて、心配してくれて、感謝してくれたからね。

……◯◯さんはね。目が優しいの。本当に、本当に優しいの。笑
だから、一目で
『あっ。このお客さんは、大丈夫だなぁ』
って思ったんだ。やっぱり、大丈夫だった。えへへへ……

だからもっと、自分を大事にしていいんだよ~。
いつも優しくしてくれる◯◯さんだから、大事にしてほしいんだよぉ」

「色々悩んで、お店に来てくれたんだねぇ……本当にありがとう。

でも、店に来てくれるのが嬉しくても、それよりもっと『無理しないで!』って言いたい。
こんな人に、無理させられないよ……しんどくなっちゃうからね?

私、こう見えても人気者だから大丈夫! ちゃんと、稼げてるから。笑」

「……自分を、大事にしてね」

……それで、彼女の話は終わった。

彼女が、慰めようとしてくれているのも伝わってきた。
彼女が、励まそうとしてくれているのも伝わってきた。

これが「共感」なのだと、身を以て理解した。

全ては、自分が客だからだ。金を払って、箱の中に入って来たからである。
流石にそこは理解していた。Aさんにとって良い客であれば、良い客であるほど、自分は立ててもらえるのだろう。実際、後日「答え合わせ」を申し入れたら、
「大事にするよ~。こうしていつも、私に予定合わせて、お店に来てくれるんだもん。笑」
と、あっさり肯定してくれたものだ。

だが……
その「共感」は、彼女の本心であると信じられた。彼女は、そういう人なのだと。

少なくとも、そう信じさせるだけの説得力があった。
自分自身、彼女の言葉を信じた方が

「救われる」

だろうという、確信めいたものがあった。
まだまだ、己の内側に溜まっている汚泥……これまでの人生で溜めに溜めてきた、感情の廃棄物は山積みである。

自分自身の心を、どう洗浄するか? どう整頓するか?
彼女の言葉は、その道標になるのではないか。そんな気がしてならないのだった。

「今日はありがとう~。ちゃんとちょうどよく、自分を甘やかしてね?」

別れ際にAさんは、そんなことを言って送り出してくれた。
苦笑いしつつ、礼を言って店を後にする。

印象的だったのは、あれ以後の接客中、Aさんの口から「また来て」「また会おう」という表現が、一切出てこなかったことだ。「再び来店せよ」という意思が、一度も発せられていなかったことである。

翻って、「大丈夫だよぉ」「本当にねぇ」が、以前に増して登場するようになった。
少なくとも、自分が記憶している範囲においては、片手で数え切れない程度に頻繁に使用されていたと思う。意識したのか、無意識なのかはわからないが、これらは極めて効果的に作用した。どちらも自分を「安心」させる上で、彼女に心を許すために、非常に重要な単語だったからだ。
驚くべき共感能力と言えた。

(これで、終われるか。終わるか? ……いや、)

1番の不安は解消された。ちゃんと礼を伝えることもできた。「大義名分」は今回の来店で、きっちり精算されたことになる。

だが、ハッキリと予感がした。
世間の道理やパートナーとのことで、どれだけ悩み苦しむことがあっても、自分は最後にはどこかで、Aさんと再会する道を選ぶのだろうと。

他ならぬ、彼女の”同業者”を相手に犯した罪がある。

最大の贖罪は、まだ残っている。

<続>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?