題名

風俗嬢に人生を救われた話(1)

※このnoteは、筆者の体験してきたことを振り返り、今の自分から見た考察も加えながら、諸々書き綴ったものです。
内容はあくまでも筆者個人のものであるため、中には偏った見方や、正しくない認識が混入している場合があります。
それでも、

「少しでも吉原のことを、性風俗の世界について理解してもらう上で、参考になれば」

と考え、執筆を始めました。
同時に、コンパニオンに対する評価であったり、客が望むことであったりについては、極めてストレートに書きます。
この連載を読んで、気分を害される方がいらっしゃるかもしれないことを承知の上で、

「人格の温かみや個人的尊敬とは別に、プロのサービス提供者として、評価は正しく行われるべき」

という考えから、これを決めました。
自分がお世話になった人達のことが、どうか少しでも、世に正しく伝わりますように。
あの街で生活する、全ての人達に、ほんの僅かでも恩返しになれば……
1人でも、2人でもいい、何かが伝わってくれればと願ってのことです。
よろしければ、ご覧ください。

<生死>

「死ぬか。生きるか」

2年前の年の暮れ。自分の頭の中は、この一念で埋め尽くされていた。
理由はとても単純だ。仕事で大失敗を犯したことと、失恋が重なっただけである。

それだけでも、人は生きることを諦めてしまう場合がある。そのことを、身をもって知った一週間だった。

自分は、いわゆる一つの「こじらせ」中年である。
人に誇れるようなキャリアはなく、コミュニケーションが不得手で、恋愛経験も圧倒的に少ない。仕事を転々としながら生きてきた結果、ようやく今の仕事に落ち着いたのが5年前。しかし、三十路に足を踏み入れた人間が、ゼロから新しい仕事に適応するのは簡単ではない。
日々のリソースの大半を仕事に割き続けた結果、なんとか人並みに働けるようにはなった。一方で、気が付けばアラフォー突入である。結婚適齢期を逃した『訳あり物件』になったことは、誰の目にも明らかだった。

焦った。
焦って、藻掻いて、這いずり回り、ようやく人生で初の、本格的な…いわゆる「結婚前提」な男女交際に漕ぎ着けた。
その相手に、三行半を叩きつけられた。生まれて初めて、現実的に将来を考える形で付き合った恋人だったが、崩壊はまさに一瞬だった。
職場で本社重役に呼び出されるレベルの大失態が発覚したのは、この2日後のことである。

効いた。

この間、臓腑をえぐられ、脳をシェイクされ続けた。
大切な人を悲しませたことも、会社や同僚、上司らを失望させ、迷惑をかけたことも、途方もなく効いた。

元々、自己肯定感の低さには定評があった。自分が自身に下した、評価の低さは、傍目から見ても異常らしい。
周囲と噛み合わずに孤立し続けた幼少期、孤立と疎遠を孤高と勘違いした10代、気が付けば社会と繋がりを失う寸前までいった末に、過ちに気が付いた20代。青息吐息になりながら、ようやく「人並み」を演じているのが30代、現在進行形の自分だ。
しかし、こうして回り道を経ながらもようやく築きつつあった小さな自尊心は、脆くも崩れて消え失せた。

尊厳がなければ、人は生きられない。
初めて、本気で死ぬことを考えた。

何をその程度で……と、お叱りを受けてしまうかもしれないが、その時の自分とっては、食事や睡眠ほか、生きるための最低限の行為ですら、途方も無いエネルギーを要求される難業だったのだ。

自死を選択しないで済んだのは、本当に幸運だったと思う。

上京する友人を出迎える予定があったことや、年の瀬で実家から呼び出しがかかっていたこと。結果的にキャンセルを選んだが、旅行のためにまとまった有給を取得していたこと。積み重なった偶然が、すんでのところで自分を救ってくれた。
「人の繋がりが孤独死を防ぐ」
近年、そんな報道をよく見かけるが、これは本当にその通りだと思う。老年層の孤独死とは状況が異なるが、仮にこの時、友だちや家族との約束で未来を繋ぎ留められていなければ、自分は本気でどうなっていたかわからない。
「とりあえず」、「なんとなく」だが、生き続けないと駄目らしい――そんな風に考えることができたことを、見えざる神の手に感謝している。おかげで、こうして今も呼吸ができているからだ。

何はともあれ、生きることを決めたが、友人の上京までは後4日。
帰省するまでは、後6日の猶予があった。

<思考の迷路>

これから先、どう生きていくか。
この年の年末は、そればかりを延々と考え続けていた。

仕事のために、これ以上自分をすり減らす気にはならなかった。犯した失敗の大きさを考えれば、キャリアプランの下方修正は免れない。むしろこれ以上、周囲に迷惑をかける方が辛かった。便利屋となる方が、遥かに気が楽である。

趣味はちょこちょこと持っていたのだが、どれも決定打に欠けた。スポーツ観戦、映画鑑賞、読書、ゲーム……全てが中途半端で、人生を賭けて貪るほどのものじゃない。
では、新しい何かを始めるか、習い事にでも打ち込むか? と言うと、これも現実的ではなかった。今回のことで、自分の中のエネルギーは枯渇寸前で、そもそも興味を惹かれるものがない。老いを実感したものである。

恋愛はもう、しばらくは懲り懲りだった。誰かに好かれない、見向きもされないことには慣れきっていたつもりだったが、誰かに拒絶されること、それ以上に失望されることが、いかに自分の神経を削り落とすものか。身を持って味わったのは、僅か数日前のことだ。

それでも、延々と自問自答を繰り返していれば、少しずつ感情の輪郭が見えてくる。

罪悪感。
贖罪の念。
失恋した相手に対する、謝罪と後悔。

一度別れを切り出されて受諾した以上、自分に相手を追う資格はない。それは理解しているつもりだった。
だが、それでも伝えたい「ごめんなさい」がある。伝え足りない「ありがとう」があったのだ。
自己満足の極みと自覚していても、なんとか相手の一部分になりたいと願ってしまうのは、まさに「拗らせ」故である。

しかし、だ。冷静に考えれば、自分が相手のために取れる最善手は、フェードアウト一択なのである。もし追いすがったとしても、無為な時間と感情の浪費を、相手に強いるだけだろう。
今回は特に、お互い若くはない身だった。早々に次の相手を見つけるにこしたことはない。互いの幸運を祈りつつ、もらった経験を役立てる……それ以外に、『失敗者』にできることはない。

不思議なもので、一度冷静になると、今度はじっとしていることが辛くなってくる。
贖罪とは、一種の鎮痛剤だ。例え自己満足そのものであろうと、何かしらの行為に従事しなければ、心に負った傷がズキズキと痛み出す。その時の自分は、何かしらの「自戒」行動を起こさなければ、心の傷が塞がるどころか、新たな問題を抱えかねない状態だった。

大切な人を不幸にした以上、償いが必要だ。
自身の欠点を克服し、二度と誰かを不当に傷つけては、不幸にしてはならない。

……そんなことを思った。
だから、必死になって考えた。
生まれて初めて、本気で自分を分析した。ノートが一冊、丸々埋まるほど、思いつく限りの視点から考えた上で、以下の結論に落ち着いた。

①性機能・性技能の不足
別れた原因の一端は、性の不一致だった。自分の性的技能の未熟さであり、責任の不履行である。詳細は割愛するが、そもそもの恋愛経験の少なさと、「人並み」を演じてきたことで空洞化した中身とが、最悪の形で結実した代償だった。当時の失態の数々は、今思い返してみても、相手に対する申し訳なさしかない。

②対人時における余裕のなさ
先の①にも通じることだが、「相手のことを考えられない」コミュニケーションが、最大の癌だ。
その大きな理由が、会話や行動時の余裕のなさである。沈黙に対する恐怖、相手の目を直視できない意思の弱さ、表情から察せられない洞察力のなさ。どれもこれまで、改善から逃げ回ってきたことばかりだった。特に、女性と接する際の動揺っぷりは、哀れを誘うほど滑稽な自覚があった。

③「人並み」に対する憧憬=呪い
結局、「人並み」や「普通」、「一般的」といった言葉や価値観に囚われて、自分で自分の首を締め続けていたことを痛感した。就職、恋愛、対人、全てにおける落ちこぼれ感を払拭しようと、向き不向きも考えず、力技の正攻法のみで乗り越えようと躍起になっていた。論理的な解決策を導き出すための思考を放棄していた、と言ってもいい。今度こそ自分の特徴や実力、環境に合った解決策を探さねばならない。

――しかし、はたと困った。

先述の通り、すぐに新しい恋人探しに挑めるような状態ではない。
贖罪もなしに、自分だけ次の幸せを探すような、厚顔無恥な真似はできない。加えて、弱点が克服されないままに失恋を繰り返しでもすれば、今度こそ自分を保てない恐怖も大きかった。
不可。

とは言え、出会い系等々で「練習相手」を探すのも無理難題だ。
口説き下手の自分が、魑魅魍魎とサクラが跋扈する「遊び」目的の出会い系界隈で、食い物にされず成功を掴む未来は、どうにも想像し難い。万に一つの幸運で相手に巡り会えたとしても、相手が『本命』になってしまえば、どんな問題を引き起こすかもわからない。
不可。

では、どうするか……?

夢想や机上の空論ではなく、実践的な対人経験を詰める場所。
次の本命と巡り会う前に、罪悪感や後顧の憂いなく、性交渉の実践が可能な相手。
「普通」にはもはやこだわらず、自身が納得いく方法で、欠損部を塞ぐことのできる方法。

――師が必要だ。

「適当」や「こんな感じ」では駄目だ。論理的な、理に適った学びの場を欲していた。教えを請う相手が必要なのだ。

しかし、どこにそんな存在がいる? どうすれば出会える? どんな相手なら、数々の問題をクリアできる?

そんな問答を延々と繰り返した末、ようやく一つの結論を得る。

(……もう、自分の『普通』と、自分自身とは、違うものとして考えよう。

普通から、外れてもいいんじゃないか。せっかく、生きるなら。)

……確かそんなことを考えた記憶が、漠然とだが、残っている。

こうして自分は、日本最大の風俗街。

吉原のご厄介になることを決めたのだ。

<続>


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