見出し画像

2022.08.09エッセイ「岬のラーメン」

 六人掛けの大きな木の食卓。一番端の椅子にクッションを集め、父はほぼ毎晩酒を飲む。わたしが小学生のころだったか。その夜父は、ぼけかけた祖父と言い合いもせず、テレビの知識人に向かって怒りもせず、珍しく機嫌よく酔っぱらい、わたしにこんな話をした。

=====

 父が若かったころ。たぶん母と結婚する前か、したすぐのころだったらしい。父は釣りが好きで、ハイエースにしこたま釣り道具を積んで各地に足を伸ばす。その冬。父はグレを釣ろうと、夜中の3時から車で5、6時間もかけて四国最南端の高知県・足摺岬に出かけたのであった。

 着いてみた岬は「人がみんな死んだんちゃうか」と思う無人の土地だったらしい。岬の海風に吹かれて凍えるように寒い。心細くなりながら、だれもいない道を歩いて進むと、ひょっこりと古い食堂が佇んでいる。ありがたくのれんをくぐり、壁札にある「ラーメン 300円」を頼むと、湯で戻した素のチキンラーメンを老婆がぶるぶる震えながら運んできた。

 「昔ばなしの、妖怪が出る山奥の屋敷かとおもたわ」と父はおどけた。「ほなけどなぁ、ラーメンのぬくいんがなぁ、かっと染みて、ありがたぁて。ごっついうまかったわ」

======

 わたしは足摺岬に行ったことはない。インターネットで検索すると、人がたどり着けなさそうな険しい崖っぷちに白い灯台が立っている写真がヒットする。眼下の岩には荒い波が砕けてしぶきを上げ、日本海の冬の海かと見まがう。いまいち「最南端」の南国の雰囲気は感じ取れない、厳峻な海なのである。

 だから、なのだろうか。

 足摺岬には「補陀洛渡海(ほだらくとかい)」の歴史がある。南方に極楽浄土があるとして、たくさんの僧侶が陸に戻れない船に乗り込んできた。それは空海の足取りが残る四国沿岸らしい信仰でもあったし、ある意味ではくち減らしでもあったという。足摺岬は現代も自殺の名所である。

====

 岬に向かう、何対ものほそい両脚を思う。

 想像の足摺岬に町も人影もない。朝とも夜ともつかない夢のように心細い空の下、岬に続く一本道の途中にトタンづくりの食堂が一軒、明かりを漏らしている。

やがておばあさんがこちらに目も合わせず、おぼんに載せたどんぶりを運んで来る。

 たぶんもうない食堂の、めっぽううまい、湯を注いだだけのチキンラーメン。その食堂から岬に向かった脚もあれば、引き返した脚もあっただろう。そういうことをときどき考える。