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女性器描写映画『STILL LIFE OF MEMORIES/スティルライフオブメモリーズ』にみる女のわかれ道

 「撮られる女」と「撮られない女」の対比をみるのが愉しい作品だった。

 ※ ネタバレあり ※

◾️サンケイスポーツ新聞の切り抜き

 サンケイスポーツ新聞が堂々と<女性器描写映画>と書いている切り抜きを、新宿K's cinemaのロビーでみかけた。「なんだそれ……?」と、気になって、そこに貼りめぐらされていた数々の紙面にすべて目を通した。

 2年間、とある女性の性器を撮りまくった男がいる。という話だ。シンプルだが、それだけでもインパクトがある。

 映画『STILL LIFE OF MEMORIES/スティルライフオブメモリーズ』はその男 アンリ・マッケローニの写真集『とある⼥性の性器写真集成百枚ただし、⼆千枚より厳選したる』から読みとれる男女の温度感に触発されて、できている。


◾️女性器を撮られる女

 男に局部を「撮られる女」は、怜という美術館勤務のオンナだ。

 大人の女性としては、もうある程度完成されてしまった "" 美しさ "" を持っている。だが、完璧ではなく、1つの不安要素がある。それを除いてはすべて自立できている。

 怜は、<変わりゆく表情><留まらない形>を自身の女性器に求めている。そのようすは、心身ともに衰退し、やがて死にゆくであろう母の姿を前にして、まるでそれ以上の成長を拒んでいるかのようだ。

 カメラのレンズを男に向けられているとき、怜をとりまく時の流れは、おそらく止まっている。撮影するシャッターの「連続性」と「継続性」のみが、かろうじて彼女の生命をうごかしているようにみえる。

 男(春馬)は、怜を求めている。ただ、はじめからそうだったわけではない。彼女の「変化」をみるようにやり、やがてそうなったというかんじだ。しかし、その衝動は拒絶されてしまう。

 怜が存在する証をその女性器にみているだけでは、じぶんが消えてしまいそうだ。せめて、作品にしなければ、なにも手中におさまらない。


◾️女性器を撮られない女

 男に局部を「撮られない女」は、夏生という、ギャラリー勤務のオンナだ。男(=春馬)の恋人であり、やがて妊婦になる。彼の子を宿すのだ。

 バランスのとれた肉体美はすばらしいが、精神面ではかなり幼さをかんじる。春馬とはお互いに恋愛感情があり、暮らしをともにしている。

 夏生は春馬のよき理解者とおもわれるが、ただ傍にいることや性行為をすること以外での接触を求められているようすはない。日々の暮らしからの「慣れ」がそうさせているというより、根本的にあまり興味・関心をひきだせなくなっているような。

 微妙な舌足らずさもあいまってところどころに幼稚な言動が目立つ一方で、カラダはどんどん、「母親」に向かっていく。じぶんでは止めようのない変化を受け入れながら成長せざるをえない状況が、夏生をつよくする。

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