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「思いわずらうことなく愉しく生きよ」

タイトルに惹かれた。なんて素敵な言葉なんだろう。

これを家訓として父親自筆のものを家に飾っている犬山家、その三姉妹の物語だ。

長女とわたしはほぼ同じ歳。わたしも長女だ。なぜか親近感が湧く。
長女は面倒みが良くて、我慢強くて、口が固い。自分の事より親兄弟の事を考え、その幸せを優先させてしまう生き物だ。
だから、と言っては身も蓋もないが、
駄目な男が寄ってくる。
この長女、麻子は夫からのDVを受けていた。酷い暴力や暴言にすら、
「この人にはわたしがいなければ。わたしが我慢すれば平和なのだ。悪いのはわたしだ」などと思うのだ。

長女は我慢の限界がきたら、暴発してしまう。
世界を破滅させるほどの破壊力だ。
麻子もまたその一人だった。
そうするしかないのだ。それもよくわかる。

わかる、わかる、と思いながら読み進めた。

誰よりも思いやりがあり、母性に溢れ、苦難も乗り越える力がある長女は、
相手さえ間違えなければ、結婚して世界最高に幸せな家庭が築ける、とわたしは思う。

次女、治子の奔放さと大胆さは少し羨ましく思えた。
愛する熊ちゃんをなぜ大切にできなかったのだろう、
愛しているのに、一緒に暮らしているのになぜプロポーズを3回も断るのだろうか、
愛している人がいるのに、なぜ罪悪感なしに他の人と身体の関係がもてるのだろうか、
奔放さ故なのだろうか、
どれも理解ができなかった。

三女の育子は、とても個性的で伸び伸びと健やかだった。3人の中では一番健全なように思えた。
部屋で寝た男たちを見送る関係に嫌気がさしていた育子が、
やっと出会えた見送らなくていい彼。
「よかった、よかったね」とわたしはまるで自分の事のように嬉しく喜んだ。


人にはそれぞれの人生がある。
いい事ばかりではない、
しかし、悩んだって仕方ない、

わたしは以前から、人生は最後には必ず辻褄が合うようになっていると思っている。
いい事ばかりではないけど、
悪い事ばかりでもない。

なんのために産まれてきたのか、というと
この世を、この地球を、この世界を愉しむ為なのだ、
この人生を愉しむ為にわたしたちは今、この時代に産まれてきたのだ。

誰がどうとか、周りがどうとか、どうでもいい、
自分が幸せであれ。
それには、
限りある命、時間を、
愉しく生きるしかない。

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