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映画「レナードの朝」を観て。


原題:Awakenings
邦題:レナードの朝

監督:ペニー・マーシャル(1991)

あらすじ: ニューヨーク、ブロンクスにある慢性神経病患者専門の病院に赴任したセイヤー医師(ロビン・ウィリアムズ)は、話すことも動くこともできない患者たちに反射神経が残っていることに気づき、訓練によって彼らの生気を取り戻すことに成功する。ある日彼は、30年前にこの病院に入院して以来ずっと眠り続けている嗜眠性脳炎の患者レナード(ロバート・デ・ニーロ)に、まだ認可されていないパーキンソン病の新薬を投与する。


感想:自覚すればするほど。

レナードが、自覚すればするほど切なくなっていく。写真で自分が老いていたことへの自覚。自由に動けても自由には生きられないという自覚。ひとりの患者という自覚。恋すらまともにできない、してはいけないという自覚。そして、また戻ってしまうという自覚…。

「いいから撮れ!」とセイヤーにカメラを回させ続けるシーンには誰もが脱帽ではないでしょうか。自覚してるからこそ発した言葉で、今後の世界に残そうという心構え。切ない。カメラを回すのも辛くなる、セイヤーの気持ちもすごくわかる。

最初は身体の自由を喜んでいたが、生きることの自由を求める難しさに直面したときレナード。生きる、ってなんだろうとなった。

まさしく、最近ワタシ自身が思っていたこと。いや、今も思い続けている。何のために生きているのか。何が楽しくて生きているのか。自由なはずなのに、なぜか不自由を感じている自分が、嫌になる。レナードの自由さと比べる必要はないのだが、レナードを見れば見るほど、自分はなんて、と思ってしまう。

レナードは、だんだんと朝が来ることを怖くなっていたのではないかなあ。次の朝は来るのか、と。

ワタシも数年前、入院してたとき。夜寝る前に、朝は来るだろうかと思っていた。怖い反面、まあいいかあという投げやりな気持ちにもなっていた。多分、その時から精神的に不安定さを持っていただろう。

自覚していたからこそ、直接さよならを言いたかったレナード。あのダンスシーンは忘れられない。恋した相手が素敵な人だったから、少しの間しかレナードの人間性を見られなかったが、レナードもきっと素敵な人。

デ・ニーロは本当にいつの時代も素晴らしい。努力家な人なんだと思わせてくれる。

ロビン・ウィリアムズも、終始優しい穏やかな空気をまとっていて、彼にしかできない演技だとわからせてくれる。

他の医師や看護師、患者らも素晴らしいかった。全てが自然体で、見てて何一つ違和感を持たせなかった。

他の患者の様子も見ていて、微笑ましくも切なくなった。彼ら彼女らも、ちゃんと朝が来るのかという恐怖を、レナードを見て感じていたのだろうか。

話さなくなってしまった後でも、メイクを施すちょっとしたシーンが切なかった。

朝が来る。当たり前なんだけど、だからこそ感謝が必要。

自由でいること。これだけでも生きがいとして見てもいいかなと思った。

ワタシの、何のために生きてるのかという思考に、一石を投じてくれました。



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